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ポーカーで得たものと失ったもの



どうも、TOJです。

皆さんはポーカーと出会い、何を得て何を失いましたか。お金でしょうか、人脈でしょうか、はたまた人生そのものかもしれません。

今回は僕が失ったものと得たものについて、ポーカーと私生活を並行して書いていこうと思います。



僕は、2020年の1月からポーカーを始めました。僕のポーカー初デビューはstarsのプレイマネーでした。

初めは、よい暇つぶしのスマホゲームを見つけた程度でしたが、次第にそのゲーム性にのめりこみ、気づけば一日中金にならないチップをベットしていました。

プレイマネーではアカウント作成時に5000チップが無料で配布されるのですが、それ欲しさにアカウントを何個も作り直しては破産を繰り返していました。(これが原因で、のちにリアルマネーでBRを築き始めた頃アカBANをくらいますがその話はまた別の機会に..)

上手くなりたいという気持ちが日に日に強くなり、ためになりそうなものを片っ端から読み込みました。気づけばチップは2億まで増えてしまい、自分が世界最強...だと思いました。


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そして意気揚々とリアルマネーの世界に足を踏み入れていくのでした。初めは2nlzを打ちましたが、貧乏学生にとってはギャンブルの高揚感を味わうのに十分な額でした。




ちょうど僕のポーカーに対する熱が最高潮を迎えた頃、世間は緊急事態宣言を迎えました。

また同時に、当時大学4年生であった僕は、8月に控える大学院試験の勉強を始めなければなりませんでした。


そんなことはお構いなく、一か月間朝か夜かも分らずPCの前に座り続けました。

この時にプレイングと座学を高速に回し続けた経験が、自分のポーカーの基礎となったと思います。



ポーカーの分散の大きさやBR管理の重要性、ティルトが引き起こすBRの破壊、など戦略以外で重要なことを低レートで学習出来たのはよかったです。

これらの全てをクリアしなければいくらwinrate出そうともBR構築は不可能ですからね。


twitterを見ているとティルトして破産したり、到底分散に耐えられるBRでないレートを打って破産している人が散見され、自分は低レートで経験でき安い勉強代で済んだんだなと思います。




そして2020年5月頃starsがバンされたことをきっかけにkkpokerへとメインフィールドを移しました。

とりあえず様子見で$100を入金し当時最低レートであった20nlを打ち始めました。

この頃は破天荒集団モンゴリアン達が卓を埋め尽くしており、運よく40nlの20バイインのBRをすぐに構築することが出来ました。


もともと根っからの負けず嫌いである私は、ティルトすると上のレートへ特攻し取り返そうとする愚かさを持ち合わせていました。

これはstarsを打っていた時に嫌というほど味わされ、自覚していました。

当時、時給1000円で必死にお金を貯めていた僕にとってはkkpokerは間違いなくハイステークスでした。そんな自分の大切なお金をさらすわけなので、BR管理についてはきちんとルールを決めました。


最近「BR管理のコツを教えてください!」とよくDMを頂くので、ここで自分なりの考えを書いていきたいと思います。BR管理なんて余裕だろ!という人はとばして読み進めて下さい。




BR管理について


当時自分で決めたルールは、次のレートの20バイインBR構築するまでは絶対にレートアップしないというスタンダードなものです。

例えば100nl flashを打つのであれば$2000必要という感じですね。分散に耐え得るBRがそのくらいと聞いたので、とりあえず設定しました。

大事なことは "自分で決めたルールを守る" ということです。しかし今考えるとこれでも全然足らなかったなと思います。

下のレートを打っていた時は、実力差があり分散を抑えられていたことや、アグレッションが低いことから20バイインでも問題ありませんでした。

ただ "ティルトしない" という観点からは最低でも30バイイン以上は欲しいです。

長くプレイしていれば1日に500bb負けることなんてザラです。20バイインだった場合にBRの1/4を持っていかれるわけです。流石に少しメンタルにきますよね。人間そんなに強くないです。ティルトしない1番の方法は潤沢なBRだと思っています。

自分は今、レートの100バイイン以上のBRでプレイしているので500bb負けようがティルトすることはありません。無傷なのです。

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さて、話を戻します。

瞬く間にステークスを駆け上がり、学生である私にとっては額も大きくなり ”ポーカーでお金を稼ぐ” という悦びに狂いました。

この時期、院試勉強のためグループで毎日集まって勉強しようと団結していたのですが、完全にポーカー中毒の私はろくにいきもせず、また行ったとしても参考書片手に美味しい卓を探しては稼働していました。

そんな中途半端な勉強を続けた結果、”大学院試不合格”というほぼ地獄行の切符を押し付けられたのです。しかもそのグループで落ちたのは私だけでした。

これが最初に私がポーカーで失ったものです。

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大学院に不合格になった人間に突き付けられる選択肢は思っていたよりも残酷でした。


1院浪
2秋採用から就活 
3留年し次年度で就活


以上の3つです。
もともと大学院はなんとなく周りが行くからというのが動機だったので(国立理系だと8,9割が院進するのでこの理由の人は多いです)

まっさきに院浪の選択肢は消しました.となると必然的に就活をしなければなりませんが、全く就活とは無縁の大学生活でしたし、周囲で就活をした友達もいなかったので何をすればいいのかまるで分らない、まさに右も左もわからないといった具合でした。

一年浪人して大学に入学しているので、もう一年使うことは避けたいと考え秋就活を選択しました。

しかしながら大手が既に募集を打ち切りにしている秋に、就活の知識もまるでない私が納得のいく企業を見つけられるわけもなく、次年度での就活へと切り替えざるをえませんでした。初めの就活は失敗に終わったわけです。


さらに研究室で課される卒業研究も本格化し始め、大学生活で山場とされる「就活」「卒論」2つが同時に襲い掛かるという、もはやただただ泣くしかないに地獄に叩き落とされました。

しかしそれでも私の脳みそはポーカーを打ちたいと懇願するのでした。まあ完全に正常な状態ではなかったですね。

さらにこの時ちょうど100nlflashが新たに登場し、これが私のポーカー欲を刺激しました。こんな状況とは思えないほど稼働していました。

人生の止まらない下振れとは裏腹にポーカーのBRはさらに増えていき僅か$100であったBRは$10,000にまで増えました。1ヶ月の100flash収支企画では全体で1位を記録しノリノリでした。

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しかしそんなふざけた人間を神様が許してくれるわけありません、更なる悲劇が起こったのです。2年半付き合った彼女に愛想をつかされ振られたのです。






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全てを失ったというほどの絶望感を味わいました。

大学四年の1月に進路も見えず、院試に落ちてからもずっと支えてくれていた彼女を失い、数週間は吐き気でご飯が食べれず、もともと細みですが4㎏痩せました。夜は酒飲まないとメンタルが保てないのでスト缶を毎日ごくごく飲んでました。結構ヤバかったです。


まあ完全に自業自得なんですけどね。
そんな日々が続きましたが人生の底という底を見せられると人間頑張れるものです。

とりあえず何とか卒論を書き上げることが出来ました。一時は本当に無理だと思っていたので提出できてとりあえず良かったです。


さて残るはリーマンショック以上と当時いわれていたコロナ就活です。一浪一留就活仲間0という丸裸で立ち向かわなければなりません。


先ほども述べた通り、自分は大学時代大したこともしてないし自分をアピールできるものが特にありません。前年度の就活ではそれが敗因でもありました。

何か自分のアピールできるもの、、いやまてよ自分にはポーカーがあるじゃないか..。これってワンチャン使えるんじゃね?と考えました。ポーカーだけは情熱を注いで本気で頑張ったことです。

ただポーカーのギャンブル的なネガティブイメージ、そもそもポーカー自体の認知度の低さからこれを就活で使うのは悪手にしか思えませんでした。

しかしこの状況他の人と同じことをしても上手くいかない!と半ばやけくそでした。就活に詳しい先輩に相談しても反対されましたが、もともと型にはまる性格でもありません、「関係ねえ!もうやるしかねえ!」とポーカー就活にオールインしました。


ちなみにその頃ポーカーはどうだったのかというと、就活解禁となった三月にも僕は↓のようなツイートをしておきながら名前を変えてKKのテーブルに座り続けます。

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自分で決めたことも守れない奴は本当に終わってると思います。BRの所を読んでいただいた方は、は?って感じですね。まあそこはご愛嬌です(笑)



この頃から2/4までレートをあげていました。
ここらへんからレギュラーの質ががらりと変わります。


今まではそこそこうまいプレイヤーをケアしつつ、弱いプレイヤーから搾取するだけで良かったのですが、専業や100z勝っているようなプレイヤーにもしっかり抵抗していかなければいけません。


ところがそれがまた刺激的で、益々ポーカーへのめりこんでいきます。またこのレート帯からマネープレッシャーとの戦いも本格化していきました。普段の金銭感覚と切り離さなければ数万円のブラフオールインなんてできません。



マネープレッシャーをどう受け止めるかはポーカープレイヤーに重要な要素の一つです。

初めから何も感じずいきなり上のレートを打ってしまう人もいれば、実力があるのにマネプレのせいで上のレートを打てないプレイヤーもいます。ポーカープレイヤーに求められるスキルは本当に様々ですね。僕としては克服しなければいけない一つの壁でした。





さて就活に話を戻します。

就活では学生時代頑張ったこと、いわゆる"ガクチカ"をメインに展開しますが、自分はポーカーを通して自己PRしたわけです。

幸い自分は自己ブランディング力には自信がありました。ティンダー(出会い系アプリ)で一か月で800マッチを達成した経験があります。
....いきなり何の話やねん!って感じですが、まあつまり内容はどうであれ魅せ方を工夫するのが得意ということです。(笑)

僕は全くのイケメンではないのですが、ティンダーという市場で求められることを把握し、上手くプロフィールを設計、そこからメッセージルーティン→アポイントメントまでの工程を最適化することでうまく立ち回っていました。...あ、就活も一緒だ。と思ったわけです。

就活で求められる要素を自分のポーカーの活動から抽出し、ある程度の脚色を加えて、ES→面接まで有利に進められるルーティンを構築しました。

ここで院試に落ちた挙句、就活まで失敗したら完全に自分がだめになる、と思ったので命がけです。ポーカーしながらですけど..(小声)



そんな崖っぷちの踏ん張りが実を結び、就活は大成功しました。ポーカーというトピックがめちゃくちゃ受けたのです。大手14社エントリーしES全通、面接も全戦全勝しました。内定を複数もらった後に第一志望の内定を獲得することが出来ました。この時は本当に本当にうれしかったです。長いトンネルを抜けて人生を何とか軌道修正することが出来た!と思いました。

ポーカー就活は学生ポーカープレイヤーには本当におすすめなので、具体的な内容に関してはまた書きたいなと思っています。


ちなみに内定獲得後ポーカーで振られた元カノとも紆余曲折あって復縁しました(笑)


ここまでが2021年の5月までで、とりあえずの僕がポーカーで失ったものと得たものです。一年余計に遠回りすることにはなってしまいましたが、結果的にポーカーで失ったものは巡り巡って帰ってきました。(笑)


ポーカーと出会えて本当に良かったと思います。



僕のポーカー人生はもちろんここで終わりなわけではありません。この後、就活も卒論もない完全にフリーな一年を手に入れた僕は、ポーカーをしにラスベガスへ挑戦するわけですがそこでは200万という大金を失います。その話はまた今度....


最後まで読んでいただきありがとうございました。



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