令和5年 8月17日

 ふと、本に触れなくなって久しいことに気がつく。頁を繰るのなんてゲームの資料集だとか漫画だとかでしかしていない。昔はあれほど本に依存して生きていたのに、今は持ち歩かなくても困ることがなくなってしまった。スマホ一つでいろんなことができる令和の時代、わざわざ本を持たずとも暇を持て余してしまうことはない。それがなんだか寂しい気もする。

 俺が少年だった頃は、2日に一冊のペースで小説本を読んだりしていたものだが、今はとてもできる気がしない。
 文章を読むのは苦ではない。ただ、作品として成り立つ文章群を、“一つのもの”として認識し続けることが難しく感じるようになったのだ。インターネットがすぐそばにある環境に長く居続けたせいで、Twitter(Xでは断じてない)で140字の独り言が目まぐるしく更新されていくような、あのテンポ感を求めてしまうのだ。要は100〜1000字ほどの文章をたくさん読むことによって、数の満足感を得たい。質より量、とにかく不純物をドバドバに脳に取り込みたい。
 集合知というわけではないのだが、多くの意見を吸収するに伴い色んな思想に触れられるのが快感なのだ。フォローしているアカウントから発信される情報そのものに興味があるから、結局タイムラインを全部見なければ気が済まない。最近はフォロー数が100近くにもなってしまいなかなか追いきれていない。見逃したくないアカウントはリストに入れればいい話なのだが。

 ここまで話しておいて、結局オチは「めっきり本を読まなくなってしまったなぁ」というそれだけのことだ。長い文を読むには忍耐力だけでなく読み解く力が必要だから、ニディガの小説が来るまでにリハビリをしておくべきだろうか。

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