イマジナリー・アビス

令和5年 7月27日

 何度も記録に残していることだが、俺の故郷は海だ。
 たとえ母や父と血が繋がっていようが、俺の帰るべきところは海なのである。俺が俺らしく在れるのは、あの緩やかな波と時流に呑まれ自我が海へ広がっていく感覚であって、せかせかした地上の生活を送るのは息が詰まる。だから時折こうして、母なる海に想いを馳せるのだ。
 海だけが俺を許してくれる。ふわふわ舞うクラゲと踊りながら、ちっぽけな自我をどこかへ放り捨て、ただそこに在るだけのものとして浮かぶのだ。ヒトとして生きないということは、こんなにも心地がいい。目を閉じてどこまでも沈んでゆけば、穏やかなまま永遠を過ごせそうだ。

 もちろん、時折“泡(思考)"の狼煙があがることもある。遊泳するあいだ思考は邪魔でしかないから無視したいのだけれど、いかんせん脳などという器官が備わっているから拾ってしまう。そうなると、泡たちが繋がってブクブク肥大化し、からだごと包み込まれてしまうのだ。思考の檻に囚われると、一筋縄ではいかない。足掻きもがいても抜け出せないことばかりだから、泡が弾けるまで大人しく閉じ込められておくしかない。
 文字に起こすと優しく見えないかもしれないが、海で生きていく以上はこの泡も波も耐える必要がある。郷に入っては郷に従え、クラゲになりたい俺には不可避の苦難なのだ。

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