鬱鬱鬱

令和5年 8月8日

 いやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだ人生の全てが嫌になってしまった。こういう絶大な闇が訪れる周期なのかもしれないが、職場へのストレスや日常的な小さな負荷が積み重なって破裂してしまった。躁鬱の波を交互に繰り返し続けて、悲しんだり喜んだり憂いだり笑ったりするのが忙しくて無意味に疲れてしまう。
 元気の浪費と苦痛の享受が組み上がると、元気に暴れる悲壮モンスターが出来上がる。
 助けの求め方なんて、習っていないから知らない。せいぜい苦しいとか消えたいとかツイートするのが関の山だ。だから暴れるしかない。誰も傷つけないように、自分を苦しめるためだけに暴れるのだ。文字をこうして書き連ねている時ばかりは、少しだけ頭の中が整い破壊衝動が落ち着くのだけれど、言葉を拾い集めるのをやめた途端に自己破壊が止まらなくなってしまうのだ。正常だ、正常なのだ。人間は苦痛の重みに潰れてしまえば、こうして矛盾に逃げてしまう。躁と鬱の無限サンドイッチを作り続けて暴食し、中身さえわからない苦しみの毒を暴飲して、完膚なきまで自分を壊すことによって、理想や整合性、しあわせの形を曖昧にするのだ。もう嫌だ、ぜんぶがいやだ、明日なんて来なければ良い。ずっとずっと青いスクリーンを眺めて、無限とも思える時をすごして、海に溶けていくことだけが必要なのに。
 誰も助けてくれない。当たり前だ。助けの呼び方も知らないのだから。誰も教えてくれなかったし、誰も助けてくれないのだから、どうすれば自分が助かるのかわからない。そもそも、何から救われたいのかさえわからないのだ。
 どうして誰も教えてくれなかったの?

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