移り変わりの現代に移り変わりを刻々とする政治家

イソップ物語に「卑怯なコウモリ」という話があるのですが、小池百合子さんを見ていてそう思ってしまいました。鳥と獣との争いの中にコウモリは羽があるから鳥側だけど、獣でもあるから獣側だというようにその場その場に応じてコロコロと態度を変える様がそう見えてしまうのですが、私は一旦排除の論理を出した時には芯を通すのかなと期待したのですが、それが功を奏しなかったからなのかすぐにカメレオンのように覆すのはいかがなものでしょうか。

ここから先は

402字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?