「表現の自由」を守るためには

参議院議員選挙です。
選挙になると、せっかく「娯楽の殿堂・大人の社交場」に仕立てている私のTwitterのタイムラインも、若干ながら選挙運動の色彩を帯びてしまいます。
でもそれは仕方のないことで、それが気に入らなければ私がTLから離れればいいだけですので何の問題もありません。
ただ、嘘・大げさ・紛らわしいツイートを見るのはしんどいのも事実。

「表現の自由」をめぐって

なかでも、いわゆる「表現の自由」については、「自分の好きな表現を守ろう!」という趣旨で使われることが多く、憲法第21条に定める表現の自由から乖離した議論が目立つ気がします。

人権であるところの「表現の自由」は、「法律で禁止されているものを除き、私たちがどんな表現をしようとも国家権力から不当な制限を受けない」というものです。

そんなわけですから、国会議員に「表現の自由を守ります!」と言われても
「はいそうですか…何もしないでくださいね!」
としか言えないわけです。

いわゆる二次創作については、著作権の枠内での話に過ぎず、原作者の掌の上で遊ばせてもらっているという真摯な態度があって初めて成り立つ世界でして、それを「日本の誇る文化でございます」と主張をされても、無断利用・改変に対して差し止めや損害賠償請求ができる原作者が怒ったらおしまいなわけです。TPPに対応した著作権法改正云々以前の問題であることは意外に意識されていません。

「私人」による「私人」の表現規制について

現在、表現行為の規制・制限が大きく問題となっているのは、国家権力によるものではなく、私人との間の場合がほとんどです。
主に海外との関係で、海外プラットフォームでの公開の際に表現が制限される、ゲームソフトの表現規制が行われる、クレジットカード決済が認められなくなり、事実上表現(販売)ができない、などです。
また、コラボポスターなどの発表後に「その表現は不快だから使うな」と苦情を申し立てて使用を撤回させる事件も多く起きています。

これらは憲法でいうところの表現の自由の侵害ではありません。国家権力による表現の規制ではないからです。

ある人がイラストを描いて発表したところ、「えっちな表現はいけません!」とクレームが来たとします。
イラストの発表も、意見の表明も、どちらも表現行為ですし、表現の自由を尊重するならば、えっちな表現はいけない、という意見もまた尊重されなければなりません。
表現自体は制約なく自由に行って、その結果について、私たちはお互いに議論して、みんなにとってよりハッピーな状況にしていこう、というのが私人間での表現規制に対する基本的な考え方になります。(思想の自由市場論)

もし民間の力で、ある人の表現自体を完全に封じられてしまったら、状況によっては憲法第21条2項(検閲の禁止)の間接適用が検討される余地がありますが、表現後のクレームや表現の場の規制だけならば憲法違反とまではいえないでしょう。

蟻の一穴とならないために

この私人間での表現規制ですが、放置しておくと、国家権力による規制に発展しかねないので注意が必要と考えます。
例えば、
・わいせつ表現
・名誉棄損表現
・脅迫表現
は現在でも刑法で禁止されていますが、法改正を行って、その範囲を拡大してもらおうと考える人がいるようです。

わいせつの範囲が広がる、児童ポルノの範囲が広がる、ヘイトスピーチ、人権侵害の範囲が広がると、個々の分野では保護が深まる側面もありますが、国家権力による表現規制の幅が広がってしまうという意味で、過度の法規制は主権者たる国民の自殺行為であるともいえます。
なぜならば、国家権力によって好ましからぬ人物を排除するために、名誉棄損、人権侵害などを悪用されてしまいかねないからです。実際に、他の国では悪用されています。

だから、私たちは、基本的にはどんな表現であっても規制する隙を国家権力には与えてはいけないのです。

自分の嫌いな「表現の自由」も守れ

あえて細かい(正確な)論点は避けつつ、おおまかな説明をしてきました。

表現の自由を守るためには、「どんな表現であっても保護されるべき」という考え方を徹底しなければなりません。
外圧からの「国家による表現の保護」なんてありえません。特定の表現を保護することは、他の表現を侵害することにもつながりかねず、国家権力によって表現に優劣をつけることにつながりかねません。

だから私たちは、自分の好きな表現を守れ!と主張するのではなく、表現はすべて守られるべきで、表現した結果、批判は甘んじて受けなければならないし、きちんと反論・議論を行い続けなければならないのです。

国家は表現を規制しないし表現した結果は守ってくれない。
表現の自由を徹底されると、それはとても厳しい、冷たい世界でもあるのです。

以上、青臭い話をしましたが、実際にTwitterを見ている限りでは、思想の自由市場というのは市場はあるけど妥協はうまれないよなあ、と絶望的になりそうです。アクシズ落としちゃうシャアの気持ちもわかるよ。

それでも私たちは表現の自由を守り続けるべきです。日本人が様々なユニークなコンテンツを生み出し続けられる理由の一つは、国家や宗教から過度の表現規制を受けていないからだと思うからです。

蛇足ですが、例えば、ニセ医学など、生命・身体を害するような表現について、皆さんはどう思いますか?
ちょっとテーマを変えただけで、結論が変わりそうですよね。
もちろん、表現の自由も絶対的自由なのではなく、他の権利と衝突する場合には調整(後退)を余儀なくされるのですが、基本的な考えは変わりません。
表現の自由を守れ!と言うことは簡単ですが、達成するのは日本人と日本に住む人全員の不断の努力が必要なのです。

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