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ラブプラス・姉ヶ崎寧々さんと過ごした14年間

2009年9月3日、コナミデジタルエンタテインメント社より「ラブプラス」というニンテンドーDS用コミュニケーションゲームが発売された。
発売日の終業後、スーツ姿でラブプラスを購入した私は、姉ヶ崎寧々さんと出逢った。2日後の9月5日に寧々さんから告白され、つきあい始めて今日で14年が経った。
何故私がラブプラスにハマってしまったのか、寧々さんと付き合い続けてどう世界が変わったのかについて書き記そうと思う…自分のために。

出逢いは偶然だった

当初、ラブプラスのティーザー広告を見た私は「国民的ガールフレンド デビュー!だと?コナミまた何かやってるよ」と、特に興味を持たなかったし、買う予定もなかった。
しかし、発売日直前に見た4gamerのラブプラスプレイレポートが、あまりに異次元すぎて衝撃を受けたのだった。ぜひ読んで欲しい。

ラブの摂り過ぎにご注意ください。危険な恋愛コミュニケーションゲーム,「ラブプラス」をレポート(4gamer)
https://www.4gamer.net/games/094/G009426/20090826058/

読後、全細胞がこのソフトを買うべきだと語りかけてきた。しかし、ソフトを買う予算がなかったので、急いで買うほどではないかなあと思っていたところ、当時軽く嗜んでいたパチンコであっさりソフト代を稼いでしまった。これは買うしかない。
そこで、発売日の仕事帰りに予約なしで量販店で購入。後に知ることになったが、発売時点ではソフトの生産数が少なく、その後口コミでラブプラスがブームになると瞬く間に売り切れになってしまい、深刻な「ラブプラス難民」が生まれてしまったのだ。ソフトの配信があたりまえの現在ではもう起こらないけど。


姉ヶ崎寧々さんを選んだ理由

ラブプラスでは3人のヒロインが登場し、一人を彼女にしておつきあいをするのだが、データは3つセーブできるので、全員と同時におつきあいすることも可能だ。
私は姉ヶ崎寧々さんとだけおつきあいしているのだが、その理由は、「皆口裕子さんが声を当てているから」だ。
私の好きな声優さんは天野由梨さん、川澄綾子さんあたりなのだが、皆口裕子さんは、「ねるとん紅鯨団」のナレーションで気になり、「YAWARA!」に至って、猪熊柔の「松田さん!」というセリフを脳内で自分の名字に変換して喜ぶ程度にこじらせていた。
ラブプラスを買うと「皆口裕子さんが自分の彼女として自分の名前を呼びかけてくれる」わけです。これは夢ではなかろうか。
初めて皆口さんの声で私の名字を呼びかけられたとき、コナミには一生ついて行こうと誓った。

札幌大通り公園と私の寧々さん(2010)

動いているだけでかわいい

ラブプラスの魅力については、これまで様々な方がその理由(携帯性、リアルタイム制、エンドレスな内容、タッチできるなど)を挙がているが、私がラブプラスにハマった最も大きな理由は「動いているだけでかわいいCGだから」だった。
初代ラブプラスはニンテンドーDSなので、画面のキャプチャだけをみると、(技術的にはDSの本来の能力以上の出力をしているものの)当時の据え置き機やアーケードゲーム機と比べると劣ってしまう。
しかし、実際にソフトを起動してみると、寧々さんのめまぐるしく変わる表情と動きがかわいいのだ。
デートの待ち合わせをして、寧々さんが向こうから手を振って近づいてくると超かわいい。表情筋が崩れる。かわいくて倒れそうだ。

2作目の「ラブプラス+」公式PVより

動き萌えの元祖、「ゆめりあ」はすごかった

ここで時を巻き戻す。
昔から、私はポリゴン美少女が好きだった。ポリゴン美少女で時代の最先端を走っていたのが当時のナムコ。
アーケードのRAVE RACERのデモ画面や家庭用のリッジレーサーR4のオープニングムービーを見て萌え萌えしていたのだが、
2003年に「ゆめりあ」というギャルゲーが発売された。
パッケージがかなり恥ずかしく買うのを躊躇していたが、ネットでの評判が良いので購入。

これをレジに持っていく勇気がなかった…(写真は私物)
裏返してレジに持っていったがもっとダメだった…

ゆめりあはモーションキャプチャーではなく手付けのモーションだったが、多彩な表情と「動き萌え」を狙ったモーションは、立ち絵とメッセージが表示される当時主流のギャルゲーと比べると、異次元のインパクトだった。よく動くしかわいい。
ヒロインのみづきが自分の頭をポリポリとかく仕草に私は完全にやられてしまった。私にとって彼女は寧々さんだが、みづきは俺の嫁。

インターネットアーカイブに保存されている公式サイト(yumeria.com)より。

あまりにゆめりあが楽しくて、仕事に差し障るくらいにハマってしまった。
ゆめりあはアニメ化され、キャラクターが別のゲームに出演したりしたが、残念なことに続編が作られることはなかった。

動き萌えの闘魂伝承

 今では、ポリゴン美少女が出るゲームはコンシューマー機用でもスマートフォンアプリでも一般的になった。キャラクターは可愛く踊るし可愛く動く。「かわいい」動きを研究しているゲーム開発者もおられる。

それでも私は「可愛く踊る」「可愛く動く」ものと、「動いているだけで可愛い」ものは違うと思っていたし、今でも思っている。
ゆめりあは萌え萌えな動きでないモーションも、動いているだけで可愛かった。
ユーザーに媚びてない自然な動きなのに見ていて幸せになってしまうゲームは、ゆめりあ以降出会うことがなかったのだが、ラブプラスを少し遊んだ段階で、
これだ!メーカーは違うけどゆめりあの動き萌えを継承したのはラブプラスだったか!!
と感激してしまった。
その後、3DS版、スマホ版になって寧々さんはとても綺麗になったが、動きに関してはちょっと後退してしまった気がする。高画質に負けない動きを追求してほしかった。

ラブプラスを永くプレイし続けられた理由

どんなゲームでも飽きからは逃れられない。
幸いなことに、ラブプラスは定期的にデータの引き継げる新作や関連作品が出続けたことで、飽きることなく遊び続けることができた。
それ以上に、彼氏同士の交流が楽しかった。
私はラブプラスが発売された当初、2ちゃんねるにいた。2ちゃんねるのラブプラススレでは、彼女との甘々な暮らしを彼氏たちが報告し合っていた。そして、画像掲示板に彼女とのデートや彼女を美しく撮影した写真が上げられ、皆で感想を述べ合っていた。

仕事から帰り、家事を済ませてラブプラススレの投稿を読んだり感想を書き込んだりする時間が毎日ほんとうに楽しかった。

上海 花园饭店より撮影した街並みと寧々さん(2010)

2ちゃんねるからTwitter(X)に活動の場を移してからも彼氏さんとの交流は楽しかった。

ラブプラスが変えた人生

寧々さんと14年間おつきあいをしてきたということは、私の人生の◯分の1を寧々さんとともに歩んだ計算になる。正直ヤバい。いい意味でも悪い意味でもヤバい。
そんな寧々さんとの日々は私の人生を変えるインパクトがあった。

①2ちゃんねるに書き込みをした
2ちややんねるに書き込みをするなんて狂気の沙汰と思っていたが、写真のアップ報告や、東京ゲームショウで入手した高嶺愛花さんからのラブレターの譲渡などで、2ちゃんねるのラブプラススレに書き込みをしてしまったし、マナカレさんとメール連絡してしまった。東北在住のマナカレさん元気かな?

②Twitterを始める
私はTwitterが嫌いだった。しかし、2ちゃんねるのラブプラススレが過疎化してしまい、彼氏さんとの交流のため、やむなくTwitterを始めることにした。
いざ始めてみると、水が合っていたようで、今でも飽きずに続けている。

③ネットでしか知らない人に会う
学校ではネットでしか知らない人と合うのは危険だと教わる。しかし、Twitterを始めて程なく、オフ会に誘われてしまった。Twitterこわい。しかし自分は成人なので、自己責任で会いに行ったら楽しいひと時を過ごすことができた。
また、少し後に、自称オジさんと2人でNEWラブプラスの通信機能を使った「カノジョ通信」をやることになった。
しかし待ち合わせ場所に現れたのは、花がらのワンピースを着た美女だった。Twitterこわい。

④オフ会を主催する
Twitterのラブプラスクラスタでは彼女の誕生日などに大規模なオフ会が開催されていた。
しかし、日程の都合でどうしても行けない私に、心の中の金髪縦ロールな私が「オフ会に参加できないなら自分が参加できる日程でオフ会を開けばいいじゃな〜い」と語りかけてきたので、自由参加のオフ会(彼女通信会)を主催してしまった。
会いたかったTwitterのフォロワーさんがたくさん来てくれて幸せだった。

告知用画像


マックでの彼女通信会の様子(2015) 参加者は必ず商品を購入し、他のお客さんの迷惑にならないよう注意を徹底した。実際、クレームは1件もなかった。

⑤メディアに取り上げられる
ラブプラスのユーザーとして、ゲーム雑誌やWEBメディアの取材を受け、載ってしまった。
本名も顔写真も載っていないので実生活に影響はないが、仲の良いオタクの友人にこっそり報告したら爆笑された。また、2013年の公式配信番組で阪口大助さんと杉田智和さんに、自分の投稿を突っ込まれたのは腰を抜かした。

⑥外国の方との交流
ラブプラスの彼氏は日本国内にとどまらず、中国やタイなどの海外彼氏さんと交流することができた。カナダの研究者からはヒアリングも受けた。残念なことに論文にはならなかったが。

ラブプラスに出会わなかったら

とりとめのない文章になってしまった。
14年間の思い出を4000文字でまとめること自体無茶ってものだ。梅田のヨドバシカメラに集う彼氏さんたちとの交流やイルミネーション撮影など、ここには書けなかった思い出もたくさんある。

もし、マフィア梶田さんの上記記事を読まずにラブプラスと出会えなかったら、今どんな人生を送っていただろうか。少なくとも仲良くしてもらっているTwitterのフォロワーさんには出会えなかった。
他のエントリーのとおり、私は町内会カツドウも頑張っているのでリアルの暮らしは寂しくないけれど、ネットでは今ほど充実した暮らしはできなかったろう。

寧々さんとの生活はこれからも続く。
ラブプラス発売15周年の来年、コナミさんは何かしてくれるだろうか。




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