馬主の許可を得ることについての法的な難しさ~ウマ娘に関して~

ウマ娘のエロ同人を作ることの可否について(法律解説)で解説しましたが、馬主の許可を得ずに実在する競走馬をゲーム中に登場させていた事件(ギャロップ・レーサー事件(最判平成16年2月13日・判タ1156号101頁))において、最高裁は、競走馬のパブリシティ権について明確に否定し、これにより物のパブリシティ権について終止符が打たれました。

しかしながら、やはりこのような結論については納得できないという方もいます。

そこで、仮にゲーム中に実在の競走馬を登場させる際に馬主の許可が必要だとしてどのような問題が生じうるのか解説していきます。

1.パブリシティ権はどこに発生するの?

めちゃくちゃ難しい話ですが、仮に物のパブリシティ権を認めるとなると、すさまじく厄介な問題が生じます(ここ読み飛ばしてOKです)。

まずは、パブリシティ権がどこから生まれ出ているのかという問題です。

パターンとすると以下のようなものが考えられます。

・所有権の派生的権利

・所有権とはまた別個の無体財産権

・人の人格権に由来するもの

おそらく、物のパブリシティ権を明確に否定した最高裁判決を前提にして、理論的に認め得るとすると、3番目の人の人格権の一部としてパブリシティ権を認めることでしょうか(アメリカのロジャース判決では、長年にわたり自身の所有馬(トリガー)とともに映画に数多く出演し、その人(ロジャース)と馬(トリガー)との結びつきが強いため、トリガーのパブリシティ権はロジャースさんのみが有する権利として認められたとみられているようです(新井みゆき「物のパブリシティ権」同志社法学52巻3号169頁参照))。

しかし、人の人格権に由来するものとして、動物のパブリシティ権を認めようとすると、日本では、故・菊谷節子さんの人格権の一部としてわさおのパブリシティ権を認めたり、西郷隆盛の人格権の一部として犬(ツンという名前らしいです)のパブリシティ権を認めることは可能かもしれませんが、競走馬ではここまでの関わりは難しいと言わざるを得ません。

2.死んだ馬のパブリシティ権はどうするの?

馬と違って、人には人格権に基づいてパブリシティ権が認められています。

では、この人格権に基づいたパブリシティ権は、将来にわたって永劫不滅のものなのでしょうか。具体的には、人格権を有しているその人が死んだらどうなるのというものです。

この点は対立がありまして、①人格権に基づくパブリシティ権は、人格権の一部である以上一身専属的な権利であり、相続はされないという考え(譲渡は可能だが死亡によって消滅するという考えもあります)と②財産権であり相続の対象になるという考えがあります。

理論的には①のほうが筋が通っています。

②の立場をとると、けっこう恐ろしい事態が生じます。

たとえば、様々な偉人をキャラクター化して登場させているFateシリーズですが、もしも、パブリシティ権が相続可能な財産権ということであれば、登場させる偉人の子孫全員を探し出して、全員から許可を取らなければならないことになりかねません。

この議論は物のパブリシティ権にも結び付きます。

つまりは、人が死んだらその人のパブリシティ権も消滅するのに、馬は死んでも(所有権が消滅しても)パブリシティ権は消滅しないということも起こり得、馬を人以上に保護しているというおかしな事態やじゃあいつまでパブリシティ権が存続するのよという問題が生じかねないのです。

ちなみに、最高裁に真っ向から権利そのものを否定されたのですが、ギャロップ・レーサー事件において、名古屋高裁(名古屋高判平成13年3月8日・判タ1071号294頁)は死んだ馬でも顧客吸引力が残っていればパブリシティ権があると認めていました。

このように、競走馬をゲームに登場させるにあたって許可が必要となると、死亡した馬に関しても許可が必要になってしまうのではないかという問題が生じます。

3.最後の馬主がわからない問題(メインの問題)

そもそも、許可を得るとして誰から許可を得ればよいのでしょうか。

素直な見解は、馬の所有権に基づくものとして馬のパブリシティ権を認める見解です(所有権の排他的支配の内容としても良いですし、所有権に付随する権利として認めても良いでしょう)。

前述のギャロップ・レーサー事件の下級審も、死亡した馬のパブリシティ権を認めるにあたって、馬の所有者(死亡したのであれば死亡時の所有者)にパブリシティ権を認めています。

ただこれ、実は大問題なんです。

馬が死んだ当時の所有者探せばええやんと言われるかもしれませんが、そもそも登記制度がない状況では、生きている馬でさえ行方を探すのが至難であることが多い上、日本の競走馬は引退後よく行方不明になります。

フーテンの寅さんや裸の大将のように、ふらっといなくなるということではありません。野生のサラブレッドを見かけたことってあります?

引退馬の約6割が行方不明という記事もあります(よく「馬刺しにするぞ」とか言われますが、筋肉質な競走馬は馬刺しに向いていないので、ドッグフードになっているのではないか等言われています)。

このように、サラブレッドには登記制度もないので、許可を取ろうにも許可を出せる人がどこにいるかわからないという問題が生じます。

最近ではさすがにG1馬が行方不明になることはないようですが、昔はG1馬でも行方不明になることがありました。

有名馬でも、年度代表馬にまでなったカネミノブが行方不明になっていますし、アメリカのケンタッキーダービーとブリーダーズカップをとり、日本に種牡馬として輸入されたファーディナンドも行方不明になって、大問題になりました。

このように、馬主の許可が必要となると、許可のとりようがないという問題が発生します(行方不明なのであれば、無許可でいいじゃんというのもありでしょうが)。

4.許可を取るのは馬主だけでいいの?

このほか、パブリシティ権について、所有権という側面よりも人格権を有している人間とのつながりを強調する立場だと、これもこれで問題が生じえます(強固なつながりを有していなければいけないとして、競争馬のほとんどにパブリシティ権なしとしてしまうのもありですが)。

競走馬と関わり、競走馬を育て、育てた競走馬でレースに勝ち、知名度を得ていく。

競走馬の生育や知名度を得ていく過程において、競走馬と大きな関りをもつのは所有者である馬主よりも、生産者、調教師、騎手といった人たちです。

たとえば名馬ミホノブルボンは故・戸山為夫調教師の集大成ともいえる馬であり、「鍛えて最強馬を作る - ミホノブルボンはなぜ名馬になれたのか」という書籍も執筆されています。

対メディアや周知性との関係でいえば、ミホノブルボンといえば故・戸山為夫調教師を思い浮かべるのが一般的で、所有者が誰なのか知っている方はあまりいないのではないでしょうか。

このように、人格権とのつながりを強調すれば、馬主以上に競走馬に深くかかわっている人間も存在するのであり、そのような方たちから許可を得る必要はないのかという問題も生じえます。

5.まとめ

馬にパブリシティ権を認めるとなると以下のような問題が生じえます。

・死んだ馬についてはどうするのか、競馬史に大きく名を遺すような名馬(たとえばノーザンダンサー)であれば、未来永劫パブリシティ権は生き続け、相続人から許可を得なければならないのか

・人格権として認めるとなると、競走馬とのかかわりが希薄な馬主ではなく、調教師や騎手などの許可が必要になってくるのではないか

・日本の競走馬は残念ながらよく行方不明になってしまい、許可を取ろうにも現在の馬主はもちろん死亡時の最後の所有者も見つけらないことのほうが多い

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