ニューカルトからの解脱
アタシのオカンは、新興宗教の信者をやっている。
最近は仏壇で木魚にスマホを立てかけて集会の動画を見ながら拝んでいるが、小さい頃は、よく実際の集会についていった。
お経や教祖の話の間は、3時間ほどある。長い、本当に。 教祖の話をメモる用の母のノートに絵をずっと描いていた。というか、未だについていったらその間は絵を描く。
都会の方のデカい建物に行く日は特別だった。ガランとしていて、他の人の靴の音が反響する。
壁際にある分厚いガラスの扉の向こうに行ったことは滅多になかった。風船が象られた色画用紙がたくさんガラスに貼ってある。多分子供部屋 常に薄暗い。
ちなみにアタシは、ここの売店でカップラーメンを買ってもらうのがとても好きだった。売店は1階にあり、ほのかにコーヒーの匂いがしている。沢山集まってくるので、よく相席でご飯を食べていた。少し透けた茶色のコップに麦茶を入れて、「食べ物には感謝の気持ちを持ちなさい」みたいなことを書かれた立て紙をなんとなく読んでみたりしながらオカンが売店から帰ってくるのを待った。
お祭りもある!来場した信者がシールを貼っていったら デカい笑ってる教祖の写真が浮かび上がるモザイクアートとかも、あった。
あと、あったか〜いうどんが優しいお出汁で、おいしかった。
プラ板コーナーに行ったらもう終わっていた。 青年が「ごめんなさい、もうプラ板が無くなっちゃったんですよ」と言って 代わりに展示用のプラ板をくれた。キキララがなぞられていたような気がする。
この場所は薄暗くても簡素でも手作りで優しくて、嫌いではなかった。
嫌になったのは、小学六年生の頃だった。
ここの青年達は本当に返事が良く 年相応ではない素直さを持っている。人間から一番遠い所で笑う
苦しいのです
反抗期始まりのアタシにとって、小さな空間で肩を縮こませて正座をしているあの風景は なんとなく、悔しかったのかもしれません
中学になると2chにアンチスレを立てた。 思った以上に盛り上がってしまった。オカンが信じているものをここまで悪く言われたことにも反抗し、途中からは擁護気味のレスを書き込むようになった。
オカンのお父さんは、早くに事故で亡くなった。そこでおばあちゃんが入信したのが、この宗教だった。
オカンは霊能者に「あっ 今 お父様が笑ってらっしゃいますよ」と言われたことが忘れられないと嬉しそうに話す
本当に笑っていたのかどうか分からないけど、それでオカンが納得したなら、それに救われたことは本当だった
今日も木魚に立てかかったスマホから「教祖様が今、御守りの待受画面を信徒サイトから送って下さいました!」と 意味のわからない司会進行が聞こえてくる
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