雑文 肉体と精神のズレについて

人の眉毛を整えることが得意だが、自分の眉毛は不釣り合いに、細く尖って、ズレている
今日は、友だちに「私の場合いまだに眉の整え方がさだまらない…ぴょ」と言われたので、「人の整えるの得意だから やってあげたい。自分のは一生わかんないけど 人のはわかる」と返したら「自分のは分かんないけど人のはわかるのちょっとわかる」と 返された

日常に何故疲れるかというと、完全に 地球にいると感じるけど、地球にいないのであれば一生自分とは関係の無い あらゆるどーでもいいことにどっぷり浸かってしまうことだ。例えば自分の顔が嫌いだとか、人が憎いだとか、何かを言われて傷付くだとか、単に何段も階段を上って疲れた であるとか  そういう肉塊系の悩みを、全く本来であれば交わる必要のない精神にまで持ってきてしまう。本来水しか注いではいけない専用の機械にオレンジジュースを注ぎ続ければ壊れる みたいな…。

一方自分の肉体を除く意識の部分では、この部分への執着が 全くない

死に近いことが起こったあとが、肉体と離れる時という感じもするが 夢がいい例だと思う。
例えば、夢の中の自分は、自分の顔が嫌いだとか考えていないし、そもそも自分の顔がどうであることなんて、頭にもない。そんなことより、起こっている風景に翻弄されているし、ドキドキしている。
寝起きコンマ0秒、魂が、丸洗いされているような、こんなに悩みってどうでもよかったんだと痛感する、世俗から離れたあの感覚はいつも 肉体を精神だと勘違いし、のめり込んだ自分を振り出しにもどしてくれる。

どうでもいい疲れることは、この地球で肉体を介しているから起こる雑事に過ぎないと、さくらももこが 帝王切開の時感じたという文に私はつよーく感銘を受け、こんな文を書いているのだけど……。

私たちはそもそもは、宇宙の星であったと 生年月日占いが当たり過ぎていることから 思想として持っているが、にしても  そうなのだ、私たちは、そんなん言ってる場合ではないくらい、宇宙から来た、ひとつひとつの大きな、エネルギーなのだ !

けれど、肉体が全くの無意味ということはないだろう。

肉体とは、なんだ?

肉体とは、心だと 友だちはわたしに言う。

心とは、なんだ?

さくはももこは、心を状態だと示している。

"人間は、この地球に来るために 肉体を手段として、手に入れている。この、「自分」という、肉体の乗り物に乗っているだけであって本来わたしたちはただの肉であり、そこに意識というエネルギーが乗っかっている。意識というエネルギーこそが、宇宙からやってきた、私たちの肉体とは切り離された"存在"であり、核だと手術中に実感した "みたいなことを、さくらももこが言っているページまで来たところで、今日は腑に落ちた たしかに。

どうでもいい話をして笑っているときは、この 意識 の部分が大きいだろう

とにかく、日頃 しょうもないコンプレックスを熱心に話してしまう自分のことを、自分は嫌がっている。

けれど、これが 肉体の自分だ 記憶を辿り、脳が、これを意識を即座に覆って、これをするのだ。最悪だ。

こんなくだらない話より もう一度話をしたときの歯医者の苺味の何かの話の方が よっぽど楽しい。こんな話はしたくないが、そんなことを考えている肉塊のわたしがいるから きっと電話をするときは声で話すわけだから 肉体を伝って会話をすると、この疑いの目をまた無意識にも向けるだろうと、今 これらを整理したが、心底,どうでもいいことがわかる  どうでもいいと言うと 不誠実に聞こえるかもしれないが、投げやっているわけではなく、本当に考えた上で、「どうでもいい」のだ 

雑事にのめり込んだ考えというのは、常に 恥ずかしい。

 わたしがどうこうできることではないし好きなように人は,生きるのだから…



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