学校の石油ストーブ

先日は例のように投票に行きました。こっちに来てから初めての選挙だったので、近所の小学校に入ったのも初めてでした。(やっぱり人が多いんですね、校舎内も土足で上がれるようにしてあって、順路もあって、人も各所に配置して非常にスムーズに投票できるようにしている。それともコロナだからなのか?地元の集会所みたいに悠長に靴なんか脱がないんだわ。投票の時に他の住民に会ったことって、ほとんどなかったし)

それで、想起することがいろいろとあったのです。その一つが石油ストーブ(でっかいヒーター)にまつわることでした。雨が降って寒かったですから、教室ではこうこうとストーブが燃えていました。廊下と教室内の温度差のなんと大きいこと!そしてあの、ムッとするような、頬をアツアツにしてしまう暖気はなんなのでしょう。石油ストーブでしかあの感覚はないんだよなあ。

私が小学生の頃は、ちょうど煙突ストーブと石油ストーブの転換期でした。完全に煤漏れ?を起こして皆のマスクが真っ黒になったり(インフルエンザの時期なので全員マスクをかけているんですね)、煙突に触ってしまってやけどを負ったクラスメイトがいたりしました。柵で囲ってあるのに、なんで近づいちゃうのよ…ストーブの上には、必ず水張ったたらいが置いてあってね。しゅんしゅん湯気がでてくるから、加湿器なんてなくていいんですよ。水を汲んでくるのは、保健委員の役割だった。あまりに忘れていていると先生に怒るので、や、やめて~~…と内心思っていました。私は休み時間になると椅子をそばに持ってきて、水筒のお茶を飲みながぬくぬくと読書をしたりなんだりしていたものです。なに大人ぶってんだ、子どもは外で遊べよ!懐かしいねぇ。

そんな私でも、低学年までは元気に外をかけ回っていたのです。寒い日の「観察池」は大人気でした。魚がいたのはとうの昔のことで、今は汚い水だまりでしかないこの池ですが、氷が張るとアトラクション顔負けの盛況っぷり。子どもっていうのはなんであんなに氷が好きなんでしょう(大人も好きだよ!)。霜柱踏みとかも取り合いで、まだ踏んでいない箇所があると嬉々として踏みつけてましたもん。あと、かなっっっっらず毎年池に落ちる男子がいる。氷の上歩こうとするんですね。さすがに無理よ。そんなに厚くないから。シュンとした顔で、震えながら教室へと引っ込んで行って体操服に着替えていました。かくいう私も片足やらかしたことがあって、かなりしょぼんとした記憶があります。でも、落ちてもなおヘラヘラした笑顔のヤツっているんですよね。真・小学生男子よ。あの状況でそれはすごいと思うの。あっぱれだわ。

なんて暖かいんだろう!ストーブに手をかざす。じんじんと血が巡っていくのが感じられる。真っ赤な肌に紫色の血管が浮かび上がって、やがて血色の良いピンク色になっていくのです。休み時間後だけではなくて、掃除の後ストーブに当たるのも極楽だったなあ。小学校はちゃんと毎日ぞうきんで水拭きをしていましたね。とにかく手がかじかんで絞るどころの話ではないくらい痛いのですが、これを我慢すれば暖かいストーブが待っているんだと思えば、乗り切れたものでした。落ち葉の季節の外掃除も良かったな。それ以外の季節はただのゴミ拾いだから、とってもやりがいがある!1年生もほうきを持たせてもらえるから(ほうき係はなぜか高学年だけしかできなかったので)、ちょっぴり嬉しかった。やっぱり寒いけれども。

部活の会場となる音楽室は、石油ストーブ1台くらいでは全然暖まりませんでした。特にサックスパートは、ストーブとは対角線上で最も遠くに位置していたので、いつもぶるぶる震えていました。演奏中ならまだいいのですが、他のパートの指導を待っている時は「さみ~~」しか頭になくなってしまいました。休憩時間中はストーブの周りは大混雑でした。

それからストーブの有り難さで言うと、卒業式の練習だと思います。6年生はほぼ毎日「朝練」があって、朝一の体育館に集合しなければなりませんでした。当然の如く気温は氷点下で、息は白いし、なんならドアの近く水分が凍ってるし、そんな中でピアノを弾けっていうのはなかなか厳しいものがありました。ただ、ある日驚異的な寒波が到来して、さすがにやばいとなって、特大ジェットヒーターが出動したことがありました。その登場の輝きとたるや!神の降臨と寸分違わぬ眩しさを誇っていたと思うのです。あったか~~~いの。皆の目にも、なんとなく光が戻っていた気がしました。


とりとめのない話は以上です。