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盛る花より散る花を

春になるということは、四季のある国に住む多くの人々にとって、大きな意味を持つものです。その最も代表的な象徴の一つは、桜の開花でしょう。
そういうことで、今日は好みの変化について書きます。

小学生くらいまでは、桜は満開が好きでした。
寒いのが大嫌いなので暖かくなってくれるだけでニコニコになってしまいますが、その上満開となると、もういてもたってもいられないような高揚感を覚えるのです。
咲き溢れる桜のもつパワーは凄まじいもので、インドア派な私を、外に出るようにと駆り立てました。そして意味もなく駆けずり回ってしまうのでした。大木から流れるように垂れた枝に手を伸ばして、何度も飛び上がりました。(運動音痴で、跳躍力も0のため全然届かなかった。ダメダメ)どこからともなくやってきた、まだ少し冷気を含む風に揺さぶられて、細っこい枝先がぴょこぴょこと跳ねていました。幹の方はそういった様子を静かに眺めて、あいも変わらず威風堂々と構えているように見えました。
着ているセーターが温まってふかふかになるように、桜の木も、花びらの一枚一枚までぬくみを吸収していきます。吸収し終えた花びらは、その純白さで光をはね返し、一帯を照らすほどに眩いのでした。今までギュッと蕾になってちぢこまっていた反動で、めいいっぱいに開いているのです。咲き誇る、その通りに、本当に誇らしい表情で咲く桜たちは幸せそのものでした。
走っていると疲れてくるので木の下に腰を下ろしました。さっきまで昼ごはんを食べて腹がくちかったはずなのに、今はお腹が空いています。ポケットの中から、ビスケットやチョコを取り出して食べました。

こんなに嬉しいのは、毎日毎日開花が進む過程を確認していたからでもあります。
一番早く咲くのはスーパーの近くの木で、次が○○公園で、次が中学校のところで……
私は、町中がゆうくりと春に染まっていくのを目に焼き付けていきました。


中学生になる頃には満開の桜に対して、最高潮の興奮は感じなくなっていました。咲く花はいつだって笑っていて、私も笑っていて、元気いっぱいでどこまでも幸せである、という考えは薄まっていったのです。
その分代わりに、胸が苦しいような寂しい気持ちを感じました。「咲けば、散らなければならない」ことがずっと痛く押し寄せてくるのです。もちろん、前から散るのは悲しかったけれども、今度は若々しくて瑞々しい葉が生えてくるし、それはそれで楽しいじゃない、と思っていました。
終わりの存在が、他のどんな生き物よりありありと目に見え、それがひどく美しく切ないのでした。

日がすっかり落ち、向こうが薄紫や淡い緑にゆらめいている時、沈んだ中に佇む面様は、大変にしっとりして上品です。風や埃なぞは容易くあしらってから、ごく小さな声で軽やかに笑いました。隠れて見えないけれど、ふっくらした柔らかい唇が少し開いて漏れ出ているのだろうと思いました。一方で昼間は、可憐な少女みたいに戯れになっていることもあるのです。そういう時、私は笑顔になってしまいます。着物の重さを物ともしないふうに、長い裾を翻して舞っていました。同じように長い髪が、サラサラとしたサクラ色の髪が、乱れてその聡明な額にかかるのでした。生き生きと動き回ってはいても、振る舞いには優雅さや威厳があって、流し目を受けたときには、私は思わず目を伏せてしまいました。
その後、夜に窓をふと覗いてみると、外には電信柱の電灯で木々がぼうっと闇に浮かび上がっているのでした。ハッと息を飲んで、すぐにでも輪郭を確かめようとしました。でも、何か薄布を掛けているのか、不思議の仕業なのか、決定的に捉えることはできませんでした。ひとつひとつの花を見ようとしてさえも、変に白い光と黒い光を持っていて目がチクチクするのです。私ごときが夜に御姿をお見かけしようなど、全く無礼なのだと思います。レースのカーテンを閉めました。真っ暗な中に、取るに足らぬような灯だけで凛と座っているなど、私にはできそうもありません。美しく「なければならない」彼女の覚悟は、夜の恐ろしさがあっても謳歌「されなければならない」のです。

ある日はとても天気が良いので、洗濯をすることにしました。洗濯物を干していると、視界に動くものが見えました。桜の花弁です。光の反射の感じで、花弁は裏返ったり逆さまになったり、めちゃめちゃに踊らされていることが分かりました。木はほんのちょっとの揺れで、ハラハラと花弁を落としていました。それは悲しくて惜しんでいる、というよりはむしろ、惜しみなく身を散らしているようでした。口元に笑みが浮かび、満足そうなのです。あなたの格別な髪が、削ぎ落とされていっているというのに。散ってしまわないで。
洗濯バサミのパチパチという音や、ささやかな鳥のさえずりくらいしか聞こえない中で、花吹雪はいささか異様で、華やかすぎでした。私には、鳥や緑の草や洗濯バサミや、太陽の光の中にだって、彼女の今までの覚悟に並ぶことができる、あるいは抱き締めることができる者はいなかったのです。結果として、恐ろしいほどの花びらはただ地べたに落ちていくばかりで、痛々しく見えました。散るのは止まらず、木はひっきりなしに花弁を落とし続けました。
震える手で、たった一枚だけ拾い上げて左手のひらに載せました。強さとは裏腹に、透き通るように薄く、たおやかで幼い花びらでした。少しでも力をかければ破けてしまうし、優しく握っただけでしわしわに潰されるようでした。ふっと息を吹きかけて逃しました。花びらは慌てて舞い上がり、やがて地面に張り付きました。
うららかな春の日の中へと、花は消え去ってゆきました。