見出し画像

ワシントンワインのビジョナリーAllen Shoups氏の功績

昨日11月9日に私達の輸入するロング・シャドウズのオーナーでありワシントンワインの名前を世界に轟かせた功績者であるアレン・シュープ氏の訃報が届きました。ワイナリーから届きました手紙を訳したものを下記に記します。


Allen Shoup, Washington State wine visionary

ワシントン州シアトル - 2022年11月8日
 2002年にロング・シャドウズ・ヴィントナーズを設立するまでの20年間、ワシントンワイン業界の創成期をリードしたワシントンワインの先見者、アレン・チェスター・シュープが2022年11月7日、79歳で逝去しました。

シュープは、40年以上にわたってワシントンワイン産業の発展を牽引してきた人物です。1970年代半ばにカリフォルニア州モデストでE & J Gallo Winesのマーケティング・ディレクターとしてワインのキャリアをスタートさせ、1980年に一生をかけてキャリアのリスクを取り、ワシントン州ウッディンヴィルのシャトー・サン・ミッシェルのマーケティング・バイスプレジデントに就任しました。ワシントン州に移った当時、シャトー・サン・ミッシェルはまだほとんど知られておらず、ワシントン州にある数少ないワイナリーの一つでした。シュープはシャトー・サン・ミッシェルに入社した翌年、「ワシントン州のワイン産地は主要な観光地になり、10〜15年以内に太平洋岸北西部は白ワインよりも赤ワインで有名になるだろう。」と大胆に予言したのでした。
クリエイティブなマーケッターとして、またダイナミックな業界のリーダーとして広く知られているシュープは、自身の予言の実現に向け、ここから長い道のりを歩むことになる道を切り開くのです。

1983年から2000年まで、シャトー サン ミシェルを含むワイン会社、スティムソン・ レーン ヴィンヤーズ&エステート社の社長兼CEOを務めた彼はその間、シャトー・サン・ミッシェルとその関連ワイナリーを全米ブランドに成長させました。シュープは、質の高いワイン造りと革新的なブドウ栽培に力を注ぎ、コロンビア・クレスト、ドメーヌ・サンミッシェル、ノーススター、スノークォルミーといった有名なワシントンワインを、ナパバレーのヴィラ・マウント・エデンやコン・クリークとともに発展させたのです。
シャトー サン ミッシェルに入社した際、彼はワシントン州産ワインの国際的な評価を高めるには、ブドウ畑が重要であると信じていましたので、ウェイド・ウルフ博士とウォルター・クロア博士を雇い、コロンビア・ヴァレーの原産地呼称確立のための申請書を作成させ、1984年に連邦政府からその申請が認められました。AVAの承認後まもなく、シュープは、ワシントン・ワイン協会の設立に尽力し、1987年に州議会によって設立されました。そして1988年には、コロンビア・ヴァレーの認知度を高め、地域社会に貢献することを目的に、オークション・オブ・ワシントン・ワインの設立に携わりました。このオークションは、設立以来、シアトル子供病院とワシントンワイン業界を支援するために、5,900万ドルを集めています。

彼の功績で特に注目すべきは、トスカーナのピエロ・アンティノリと組んで“コル・ソラーレ”を、ドイツのアーネスト・ローゼン博士と組んで、この国のリースリングルネッサンスの火付け役となったオフドライのリースリング、“エロイカ”を造り、シャトー サン ミシェルのジョイントワイン・ベンチャー事業を確立し、ワシントン州のブドウ畑への国際的注目をさらに高めることができたことです。

シュープは2000年末にスティムソン・レーンを退職した後、「ワシントンワインの世界的な評価を高める」という彼の献身的な努力と、「家族経営のワイナリーを作る」という彼の生涯の夢とを組み合わせたプロジェクト、ロング・シャドウズに取り組み始め、2002年、ロング・シャドウズを正式に立ち上げました。国際的に有名な醸造家たちによるドリーム・チームをコロンビア・ヴァレーに招き、彼らの代表的なブドウを使ったワインを造ったのです。このプロジェクトはすぐに成功を収め、批評家から絶賛され、ワイン愛好家の熱狂的な支持を得ることができました。2007年には、フード&ワイン誌がロング・シャドウズを「ワイナリー・オブ・ザ・イヤー」に選出しています。

ロング・シャドウズに最初に加わったパートナーの1人が、シュープの友人でナパバレーの醸造家であるアガスティン ・ヒュネイアス・シニアでした。「アレンはワシントン州ワインとコロンビア・ヴァレーのブドウ畑の、優秀で疲れを知らないチャンピオンでした。彼は、この産地の可能性を疑う人々を打ち負かすことを喜びとし、ワシントンワインに魅了された人々とワインを分かち合うことが何よりの楽しみでした。」と、ヒュネイアスは語っています。「彼は、友人であり師匠であるロバート・モンダヴィがナパバレーにとってそうであったようにワシントンにとってのモンダヴィだったんだ。」

生涯を通じて美術品のパトロンであり、コレクターであったシュープは、芸術とワインを結びつける創造的な方法を見出しました。2007年には、友人であり世界的なガラス工芸家であるデイル・チフリーと協力して、ロング・シャドウズのワラワラ・ワイナリーにガラス芸術のコレクションをもたらしました。このアートは現在もチフリー ・テイスティング ルームに展示されています。1996年、シュープはシャトー サン ミシェルのアーティストシリーズを設立し、コレクションの最初のヴィンテージにチフリーの作品を描きました。同時に、ピルチャック・グラス・スクールと協力し、リベンスキー賞の設立もしています。その後、ワイナリーは受賞者の作品をアーティストシリーズのラベルに掲載するようになりました。また、シュープは舞台芸術の支援者でもあり、パシフィック・ノースウエスト・バレエ団の理事を長年務め、活発に活動を行いました。

ミシガン州で育ったシュープは、デトロイトのクライスラー自動車に勤務した後、徴兵されて陸軍に2年間入隊、主にベトナム戦争中のペンタゴンで勤務していました。その後、アムウェイ社で製品開発を担当し、マックス・ファクター社やE&Jガロ・ワインでマーケティングを担当します。そして1980年にワシントン州に移るまで、ボイジー・カスケード社の広報責任者を務めました。シュープは、ロバート・パーカーJrのワイン・パーソナリティ・オブ・ザ・イヤー、ピュージェット・サウンド・ビジネス・ジャーナルの殿堂入り、サンセット誌のライフタイム・アチーブメント賞、ウォルター・クロア・センターのワシントンワインの殿堂入り、アメリカワイン協会の功労賞など数々の賞を受賞しています。シュープは、自らが設立したすべてのワシントンワイン業界団体の役員を務めたほか、アメリカン・ヴィントナーズ協会、センチュリー・カウンシル、カリフォルニアワイン協会、アメリカワイン・フード・アートセンターなど、多くの団体の役員として精力的に活動しました。

 シュープ 妻キャサリーン、息子ライアン・シュープ(オーブリー)、継息子デーン・ナーベイツ(サラ)、孫3人に囲まれています。

心よりお悔やみ申し上げます。そして素晴らしいワインを私たちに届けて下さったことに感謝いたします。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?