見出し画像

W3D1 理論値-이론치

「なるほどねぇ……」百合子はぼんやりと、直也が淹れたコーヒーを飲みながら言う。
 身体を冷やしてはいけないと、ルナにはホットコーヒーが渡されている。
 まるで自分を品定めするように感じる百合子の視線に、目のやり場が困る。

 決して百合子は攻撃をしようとしているわけではない。
 そのことは頭では十分にわかっているし、そのつもりで生きている。
 しかし、いざ目の前に座られてじっと見られると、まるで自分が興味本位で見られているように感じてしまう。

 侮蔑や、そんな大それた感情ではないことが分かっていても、どうしても自分を見られているような気がしてしまう。
 百合子はもしかしたら、自分をニッポニアに売り渡そうとする悪魔なのではないか。
 そんな意識を払しょくできず、つらさを流し込むかのようにコーヒーをのどに流し込む。

 暖かいを通り越して熱い液体が、わずかにルナの気持ちを押し殺す。
 しかし、コーヒーから放たれていた芳香や、苦みを味わう余裕など、一切なかった。

「逃げてしまって、追っ手と戦わなくちゃいけない、か……」

 ルナを見て、百合子は言う。
 百合子は真剣に考えているようで、難儀なこの課題をどのように解決してやればいいのか、と困惑した様子でじっとルナを見る。
 ルナは心のなかを覗かれぬように、と目をそらす。

「ルナ、あたしのこと、そんなに信じられない?」百合子は少しばかり悲しそうに聞く。

 決して信じたくないわけではない。
 しかし体を改造された気持ちなど、直也ですら理解などできないだろう。
 そう思うと、なんだかここにいることも悲しくなってしまう。
 どうせもう、自分は死んでいる。
 もうここで話したところで、失われた自分の身体は取り返せないし、追われることには変わらない。
 そう思うと、ここで話していることすらもう意味がなく、息抜きにすらならない。
 ただ聞いていることで、何ができるのだろうかと思う。

「しかし、改造されるなんてこと、あるんですね……。特撮番組の世界だけだと思っていた」直也は言うと、ゆっくりと息を吐く。

 ニッポニアという組織が、どんなものか。
 それは直也にもわからない。
 ただ、ルナから聞くところによると相当異質なものであることはわかった。
 全員が仮面をかぶり、白装束を着こんでいる。
 アマテラスというものがおり、それが凛とした声で統治していいる。

 そして狐の仮面をかぶった兵士が人間を襲い、ルナを襲っている。
 そのような狂気が、果たして本当に現実に起こっていることなのか、二人にはいまだに像を結べていない。
 もしこれが本当にあったことなのだとしたら、一体どれだけの危機が迫っているのか。
 それを考えると、直也もまた不安の中に落ちていく。
 自分は今、ルナという客をもてなしている。
 ともだちだから断ることなどできない。
 しかし、もし追われてしまうことが起こってしまったら。

 それが恐ろしく、考えるうちにそわそわと足が動いてしまう。

「正直、俺も信じられないんです。一体何でこんなことになってしまうんだろう、って。ルナはただ生きていただけですし、それにいくら優秀だと言っても、こんな目に遭わなければならない人間ではありません。普通の留学生が、被害に遭って、戦い、恐怖におびえながら生きていかなければならない。ルナを思うと、なんだかかわいそうで……」

 かわいそう、という言葉に収れんした直也の思い。 
 自分はかわいそうなのかもしれない。
 しかし、それ以上に絶望感が目の前にあり、何をしたらいいのかがわからない。
 この恐怖を抱えたまま、自分は残りの何十年を生きていかなければならない。
 孤独で、しかも前が見えない。
 そのことを考えると、目の前は真っ暗で、早く死んでしまいたい。
 しかし、ただ建物から飛び降りるだけではこの体は何のダメージも与えられないことが分かった。

 もし、ここからの帰り道に死ねるのなら。
 ルナは考える。
 もし死んだら、自分のために葬式を行ってくれるのだろうか。
 もっといろんなことを学びたかった。
 いろんなことを学び、社会という複雑怪奇な怪物を理解したかった。
 それを学ぶための留学だったはずだ。
 それなのになぜ。
 ルナは顔を落とす。

「ルナ、大丈夫か?」百合子は隣に座りルナを見る。

 ルナはただひたすら声を殺して涙を流す。
 何が悲しいかは理解している。
 しかし、そんな悲しみを誰も理解などしてくれるはずがない。
 そう思うと、さらに涙がこみあげてくる。

「僕は……僕は……」

 不安や悲しみが強くなっても、感情の自制が聞いてしまうのか、日本語を話すだけの落ち着きはあるようだった。
 そのことを自分でどのように処理したらいいのかわからず、さらに激しく涙を流す。
 自分を殺した敵と戦う事なんかよりも、今自分が殺されたことが悲しい。

「何が悲しいか、少し聞いていい?」百合子は優しく聞く。

 無駄なことかもしれない。
 ルナはそう疑いつつも、頷く。

「悲しいのは改造されたこと?」百合子は言う。

 ルナは混乱する頭をゆっくりと整理し、考える。
 改造されたことが悲しいのだろうか。
 そもそも自分は悲しいのだろうか。
 それが分からず、さらに涙を流し、顔を振る。
 その態度から、ルナが混乱状態にあると、百合子は感じる、

「私たちを信じてくれる?」百合子は安心できるように聞く。

 ルナはどうしたらいいのかを考えてみる。
 直也は確かに、敵の関係者ではないのかもしれない。
 しかし、本当に敵兵なのかどうなのかわからない。
 もしかしたら敵兵で、ルナを殺そうとしているのかもしれない。
 そう思うと、ルナはもはや百合子すらも信じることができないと感じる。
 ただ。
 ルナは顔を上げ、百合子、そして直也を見る。
 二人はにこやかにルナを見て、慈悲を見せる。
 しかし自分は。

 心に感情がこみあげてくる。
 ルナはその、嫌な感情を避けるべく顔を振る。
 しかし、心の中の悪感情はじっとりと、ねっとりとまとわりつき、心の中でとげとげしたものに変わっていく。

 ナオ。

 ルナは言おうとする。
 しかしその言葉は口を突かずに折り曲げられ、ルナの心の中でむなしく響く。
 ルナはその言葉のかすを一つ一つ拾い上げるように、顔を落とす。
 そしてしばらく涙を流すと、すっくと立ちあがった。

「どうしたんだい?」直也は言う。

 しかし、ルナは何も言わずに部屋を飛び出した。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?