武井シンを憎む前に 〜泥流地帯考察〜

 被災しなかったカジカの沢に住む武井シンが「心がけがいいから助かった」と幾度か口にしたことで多くの被災者を傷つけ、憂悶させます。

「死んだ者は心がけが悪かったというのか」
「死んでいない深城は心がけが良かったというのか」

 人は誰しも無意識に、悪意なく人を傷つける(傷つけている)という罪に触れられ、物語後半の重要なテーマにもなっているわけですが、もちろん「こういうことを口にせず生きるべき」ということではありませんよね。
 こういう言葉を決して吐かない人生をストイックに歩んでいく覚悟をしてしまうと、最終的には(かなり早い段階で)二度と他人と会話なんてできないようになってしまいます。

 被災後、菊川先生のもとを訪れた教え子たち。
 「普段の心がけが~」という何気ない、まったく悪意のない言葉が時として刃となり誰かを深く傷つけてしまうことが話題になり、
 「しかし、それは先生たちだって、うっかり言ってきたことだ。自分がつらい目にあわないうちは、それがどんなにひどい言葉だか、気づかずに使うもんだ。お前たちだって、今まで何度も言って来たべ」と語られます。

 また物語の中では、富の嫁入りシーンで「雪が降らんで、いかった」「んだんだ、富ちゃんの心がけがいかったからな」というやりとりがあります。後半の武井シンのセリフに照らすなら、婚礼の日に雨や雪、嵐に見舞われた夫婦もいたでしょうから、同様に「じゃあ何かい(怒)、ウチは心がけが~」となるはずですが、実際はじっちゃんを含む全ての登場人物はこれを聞き流しますし、私を含め読者の多くも読み飛ばしていることでしょう。

 その他にも中学に通う生徒がいきいきとエンジョイしただけで中学を諦め高等科に通う耕作を傷つけた場面など「耕作の中学と富の嫁入り問題」以外にも「悪気なく、気づかずに」が実例として割と前半に仕込まれていることに後から気づかされます。

 とはいえこれはもうキリがないというか、何かで一位を獲った人に向ける「よく頑張ったね」なんていうありきたりの言葉も、二位の人から「じゃ僕は頑張りが足りなかったと言うんですか」なんて来られたらもう口を開くこともできません。

 綾子さんが何を伝えようとしたかというと、武井シンみたいなこと言わないように気を付けよう、ではなく、罪(刑法犯の類ではありません)を犯さず生きる人間、無謬の人間なんていないんだから、そこんとこ理解して生きていこうぜ!ということなのだと思うんですよね。


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