免疫複合体の歴史

兼ねてより私はワクチン接種後に起こる疾患は免疫複合体疾患であるという主張だが、その免疫複合体についての歴史を覗いてみよう。
粕川禮司 著「免疫複合体病」から一部を紹介しようと思う。

免疫複合体の歴史

免疫複合体病という言葉は immune complex disease の和訳である。この言葉がいつ頃から誰によって使われたか詳かではない。以前に用いられた血清病(serum sickness)という病名の,より現代的な呼び名といえよう。
この血清病という言葉は1905年,von Pirquetにより提唱されたもので,Serumkrankheit, serum disease, serum sickness と呼ばれるものである。ジフテリアや破傷風に対するきわめて有効な治療法として,1891年,Behring と北里により,血清療法が発見された。ジフテリアや破傷風菌の細菌毒素で免疫したウマの抗毒素血清を患者に注射することにより,ジフテリアの心臓障害や破傷風の脳神経障害が防止されるようになった。この抗毒素療法は,これらの疾患に対する最も確実な治療法として,抗生物質が発見されるまでの50~60年間,広く使用されてきた。
しかし,この血清療法にはしばしば続発症がみられた。すなわち,血清病の発症である。抗毒素血清注射後,7〜12日に発熱,皮疹,リンパ節腫脹,関節痛がみられ,時には腎炎や心筋炎が出現する。このような病態を理解するのに,von Pirquet は「注射されたウマ血清と,これに対して患者に産生された抗体との結合物がもたらす組織障害である」という仮説を提唱し,この病気を血清病と呼んだのである。
しかし,この仮説は推論の域を出ず,血清病が抗原と抗体との結合物によっておこる病気であるという確実な証明は,1953年のGer-muthや1961年の Dixonらの実験報告まで待たなければならなかった。彼らは近代的免疫学の手法を用いてこれを証明したのである。すなわち,ウサギにウシ血清アルブミン(BSA) を1回大量投与すると,抗体の産生に伴い注射された抗原が血中から消失し,この時期に一致して,心,関節,腎に病変が発症する。
病変局所には腎糸球体でみられるよらにウサギIgG抗体の顆粒状沈着がみとめられて,このウサギにみられた番白尿は BSA と IgG 抗体の結合物によりおきた免疫複合体病であることが示された。この実験結果はヒトの血清病と非常によく似た病像を呈するので,免疫複合体病のモデルとして広く引用されるようになった。
ウサギのこのBSA 注射による実験は全身的免疫複合体病であるが,これとは別に局所におこる免疫複合体病変の実験が,古く1903年にArthusにより行われていた。この実験はウサギに異種蛋白を注射して抗体を十分に産生させておいてから,そのウサギの皮膚に同じ異種蛋白を注射すると,注射局所に浮腫,出血,壊死が認められるというので,Arthus 反応(現象)と呼ばれている。この Arthus 反応は抗体が流れている皮下の血管を中心にみとめられる病変で,この抗体と注射抗原との結合によってもたらされる局所免疫複合体病である。
このArthus 病変は抗原と抗体との量的割合いからみると,抗体が血中を多量に流れているので,抗体過剰域で生じた免疫複合体病である。一方,ウサギの BSA 静注による全身性免疫複合体病は,大量のBSA 抗原注射のあとにみられる病変なので,抗原過剰域で生じた免疫複合体病である。

読み取れる免疫複合体疾患の病態

・免疫複合体の定義が抗原と抗体の複合体である事からすると、抗原の種類や抗体の種類は関係ない。

・血清療法とワクチン接種後に起こる抗原抗体反応により、免疫複合体が形成される。(両者の共通点は免疫複合体)

・免疫複合体が形成されてから病態が変化する

・抗原曝露した回数、抗原量、抗体量によって様々な反応が見られる

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