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「知らない」と言える勇気と、その勇気を馬鹿にしない度量

言いたいことは全てタイトルで言ってるので、それ以上も以下もないのですが、補足のような文章を書いてみます。

物事に対して「知らない」というのは割と恥ずかしい行為でもあります。

ただ「知らない」と言う事実から、ある分野に対する理解が深まる事もあります。知ったかぶりをしてしまったが故に、知識を得る為の機会を失ってしまう事がある、と言うか。「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の損(または恥)」という言葉もありますよね。

ともあれ、個人的には「知らない」という言葉を積極的に発したいし、他人が「知らない」という言葉を発したときは、その言葉を尊重したいな、と思っています。

ただ、世の中には「知らない」という言葉に対して、上から目線でたたく人が割といたりします。私の親父がそのような人間なのですが、一方で、こういう親の下で育つと「何でも先にも学んでやろう」という妙な心持ちが育って、勉強が好きな子供(つまり私)が出来てしまうから不思議です。

未だに父親と会話していると疲れる事この上無いのですが、これにも功罪はあるよなぁ、と思ったりもしました。言うなれば、物事はマイナス面があれば、プラス面もあるわけで。光があれば闇が出来、闇があると言うことは光もあると言う事です。

最近、コテンラジオなどを聴いていても、歴史の偉人達がやっていることも、まったく同じだなと思います。短期的には良くても中長期的にはダメになる例は数知れず。逆もまたしかり。

繰り返しになりますが、「今の私」としては、きちんと「知らないことは知らない」と言い続けたいし、人が勇気を持って発した「知らない」という言葉は、大切にしたいと思います。

いずれにせよ、お互いが「知らない」を言い合うことで、高めあっていければよいな、と思います。

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