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【感想】FF14 黄金のレガシーは、地上波のゴールデン番組にはなり得ない

先日、無事に黄金のレガシーメインストーリーをクリアした。

黄金の感想を一言で言うと、とても面白かった!
それと同時に今回のシナリオは、非常に難しいテーマに挑戦しているとも思った。
この二つの感想を交えながら、率直な思いを書いていこうと思う。

意味不明なタイトルの記事だが、読んだら理解してもらえると思うので少しだけお付き合い頂きたい。
また、3割はネガティブ・ネタバレ満載の内容なので、未クリアの人は注意されたし。



〇黄金のシナリオは、かつてなく挑戦的である

まず、面白かったという感想を詳しく言うと、「楽しい、心が動かされた」の面白いよりも、
「興味深い、好奇心がくすぐられた」という意味の割合が大きい。(逆に漆黒や暁月は「楽しい、心が動かされた」の方が大きかった)
私が黄金でそう感じたのは、前半のストーリーが「トラル大陸の文化を学んでいく」という内容だったからなのは間違いない。

王位継承の儀を通して、ウクラマトとヒカセンたちはトラル大陸各地を巡り、その土地に住まう人の文化──思想や宗教、彼らが何を大切にして生きているかを学んでいく。
黄金の世界観設定、ロアはどれも非常に丁寧かつ詳細に描かれていて、NPCたちから話を聞くたびに「へ~そうなんだ!おもしろ~!」となっていた。
特に私はヨカフイ族の文化や死生観がとても好きだ。
生前墓に名前が刻まれた人は、亡くなった後でも誰かが覚えていてくれる限り生きているという。
この考え方を自分の価値観に取り入れてみると、漫画家・小説家・芸術家……何かを作るクリエイターは、後世に作品が残っている限り、人々の心に生き続けることになるのだろうと思った。
自分の生きた証を残すというのはとても尊いことだなと思い、感動しっぱなしだった。

また、シャブルク・ピビルという料理の誕生にまつわるエピソードも面白かった。
シュバラール族とマムージャ族の和平によって生まれたなんて、知的好奇心が躍らないわけがない。
他にもたくさん面白い!と思う文化の描写があり、私はまるで外国旅行に行ったような気分になれた。

今までの拡張パッチでも、訪れた土地の文化を学ぶ描写はあったけれど、それは世界を救う旅の副産物のような形だった。
それは、その土地を巡る目的が「脅威からその土地の人々を救う」ことが主だったためだと思う。
例えば帝国が襲来しているのに、呑気にその土地の伝統料理をテーマにしたお料理対決などをやっている場合ではないからだ。

黄金で光の戦士は、世界を救うためではなく、ウクラマトを王位継承の儀で勝利させるためにトラル大陸各地を巡っていく。
英雄としてではなく、経験を積んだ先輩冒険者のような立ち位置で、ウクラマトや仲間たちと一緒にトラル大陸の文化に触れていく。
そんな構図のおかげか、私は黄金のシナリオに今までにない面白みを感じたのだ。

トラル大陸を旅して学び知った文化は、当然どれもファンタジーのフィクション、所詮は誰かが考えた空想だ。
それでもフィクションの文化が面白いと思えたのは、私が現実の世界の文化を知ることが好きな気質だからだと思う。

先日このようなツイートをしたところ、思ったより反応を頂けてすごくびっくりした。
私は世界各地の風景や、その土地に住む人たちの話、文化を聞いたりする類のテレビ番組が大好きだ。
(ぶっちゃけ最近はニュース番組以外ほとんどテレビを見ないので、追っているテレビ番組はこれらしかない)
黄金のシナリオは特に、「世界ふれあい街歩き」のような旅番組が好きな人には刺さると思う。

世界ふれあい街歩きとは、NHKのBSで放送されている番組だ。
番組の概要を簡単に説明すると、世界各地の観光地や街に繰り出し、散策を行いながらそこで出会った現地の人の話や、その土地の文化を紹介する内容だ。
何か大きな出来事が起こるわけでもなく、ただありのままの現地の日常が、淡々とテレビ画面に映し出されていく。
芸能人がナレーターを担当するが、芸能人は現地に出演せず、基本的にカメラマンの一人称主観カメラの映像が流れて、まるで自分が現地を旅行しているような感覚になれる……そんな番組なのだ。

番組ホームページ
https://www.nhk.jp/p/sekaimachi/ts/NJVPP9ZYK6/
本放送:NHK BSテレビ 毎週火曜日 19時~19時59分

私は昔からこの番組が大好きで、時間の合う限り必ず見ている。
私にとってこの番組は、自分の知らない世界の文化を教えてくれる、とても面白い番組だ。
黄金のシナリオ、特に前半はこの「学び知ることの大切さ」が重要なテーマになっていると思うため、私は特に前半のシナリオが大好きになった。

だがここに、黄金のシナリオがかなり挑戦的だと思った要因がある。
本当に難しいことに、世の中には知ることを楽しいと思わない人もいるのだ。

それをさらに詳しく言うと、自分の興味のない分野の知識を得ても、「へぇ、そうなんだ」で終わらせてしまう人もいる。
というか、自分もそういう一面がある。

私は数学がめちゃくちゃ苦手で、中学のテストでは14点を取ったことがあるほどだ。
もし黄金のシナリオが、「素数は1とその数自身のみでしか割り切れないんですよ!面白いでしょう?」という内容だったなら、私はコントローラーを投げていたかもしれない。
でも、数学が好きな人にとっては、これはきっとめちゃくちゃ面白いことなのだ。

という感じで、そもそも黄金の大事な要素である「社会科、地理歴史、民俗学、宗教、死生観、自然、哲学」の分野に興味がない人にとっては、刺さりにくい内容だったのではないかと思う。
もし全人類がこれらに興味があったのなら、私の大好きな「世界ふれあい街歩き」は、民放地上波のゴールデン番組になっているはずだ。
でも、世界ふれあい街歩きのような番組はゴールデン番組にはなく、バラエティー番組やドラマが視聴率を取っている。
例えるなら、漆黒や暁月は民放地上波のゴールデン番組。
黄金はその裏番組のようなものなのだ。

トラル大陸の文化を知ることに面白みを見出せない人がいるのは当然で、シナリオ班もそれを分かっていたと思う。
だから黄金のシナリオ、特に前半はかなり挑戦的な内容だと思うし、人の好みが分かれるのも理解できる。
でも、私はめちゃくちゃ面白いと思ったし、これを書いてくれたシナリオ班に感謝したい。
トラル大陸のことをしっかりと知れて、本当に良かった。
そして、この内容で行こうと決めたシナリオ班の勇気を私は心から称えたい。

もしかするとシナリオ班は、知ることは楽しいくて尊いことなのだと、シナリオを通して伝えたかったのではないだろうか。
終盤のカフキワの印象的なセリフから、私はそう思った。

カフキワ「……実を言うとさ、少し怖かったんだ。このままずっと永久人として障壁に閉じ込められて、知る喜びを感じなくなったら、どうなっちまうんだろうってね」
「だからほら、顔を上げて。あたしの記憶も連れて行ってよ! この世界は、まだまだ未知で溢れているんだ!」

黄金のメインストーリーをプレイしている最中、一つ思い出したことがある。
私は数学が大の苦手だが、人生で一度だけ数学が楽しいと思ったことがあった。
それは中学受験の時に通っていた塾で、先生に個別でみっちりと数学を教えてもらい、今まで理解できなかった問題が解けた時だった。
今まで理解できなかったことが、理解できるようになるのは、こんなにも楽しいことなのか。
そう衝撃を受けた体験は、大人になった今でも私の心の中に残っていた。

だからこの記事を読んでいる人で、文化とか歴史とか興味ないし黄金のシナリオ面白くなかったな、時間を無駄にしたなと思っている人が、もしいるとしたら。
あなたが聞いて感じて考えたトラル大陸の冒険の記憶を、少しだけ大切に扱ってみるのはどうだろうか。
例えるなら、テレビ番組の録画一覧からすぐに消すのではなく、ちょっと置いておくような感じでだ。

黄金は、「FF14の次の10年」の始まりだ。
今は面白くない、無駄だったと思うことがあっても、もしかすると私のように、後になってから面白いと感じる瞬間があるかもしれない。
だからその瞬間のために、黄金の冒険の記憶を大切に扱っておくと、良いことがあるんじゃないかと私は思う。


〇ウクラマトはなぜ王に相応しかったのか

この項目は、一部ふせったーに投稿していた内容を加筆修正したものだ。

黄金で一番好きなNPCは誰かと聞かれたら、私はウクラマトだと答える。
FF14に登場する女性NPCの中でも、一番好きなレベルだ。

私がウクラマトを好きな理由ははっきりしている。
それは私(筆者)の座右の銘が、「受け入れなくても良いから受け止める」なのが大きく影響している。
ウクラマトの生き方を見て、彼女の考え方に共感し、自分も彼女のようにありたい……そんな風に思えるキャラクターだった。

そして私は、ウクラマトの「知りたい、理解できたら相手のことが好きになれるかもしれない」という考え方が、王になれた理由だと思っている。

ウクラマトは、知りてぇんだ!と言って知ったこと、最初から否定するのは絶対にしないキャラクターだ。
マムークの里でも、新生アレクサンドリア連王国でも、自分の倫理観から外れた文化を聞いても開口一番に否定することはない。
一旦そうなんだな、と受け止めて、それで自分が思うことがあれば「こうなんじゃねぇか?」「こうした方が良いんじゃねぇか?」「すまねぇ、自分の大切な人たちに危害が出るのは許容できねぇ」とコミュニケーションを取るタイプだ。
それは簡単にできそうで、実はすごく難しいことだと思う。
知らないことや理解できないことには、恐怖を抱いて遠ざける人間も多いからだ。

最近のシナリオだと、帝国崩壊後に生き残ったガレアン人たちが特にそんな考え方だったと思う。
それとうろ覚えだが、マムークの里にも「外の人は何考えてるか分からなくて怖い」と言ってた人がいた気がする。

「受け入れなくても良いから受け止める」
この言葉は、私の通っていた高校で教えてもらい、今も座右の銘として大切にしているものだ。ウクラマトが王に相応しかった理由の一つに、彼女はこれができているのがあると思う。

誰でも理解できないことや受け入れたくないことがあって、ドッチボールで例えると、相手のボールをキャッチせずに避けた方が、体力的には楽だ。
しかしウクラマトは、相手から投げられたボールを避けずに受け止めて、それを相手に返すことが出来る子なのだ。
そうして対話が生まれて解決することもあれば、最終的にスフェーンのように対立したりすることもある。
それでもボールを受け取った時の痛みは彼女の手に残っていて、その痛みを決して忘れない、次に繋げると言うことができるのがウクラマトの良いところであり、王に相応しい理由であり、私が大好きになった理由なのだ。

それに加えて彼女は冒険の中で、自分の弱さを認め、力不足を認め、周りに弱さを見せることができるように成長したことも、王の器として相応しかったと思う。

自分が正しい、自分は間違っていないと正当化をしていると、先を見通す目が曇ってしまう。
多民族国家であるトライヨラを導く王になるためには、曇りのない視点が必要だ。

しかし自分の非を認めて自分を変えようとすることも、すごく難しいことだ。
現実の世界でも、周囲から散々非難されているにも関わらず、自分を曲げずに崩壊していく人を時々見かけることがあると思う。

理王になったコーナも、旅の過程で自分の至らない点に気づき、自分を変えることが出来た。
だが、今作に登場するもう一組の連王、ゾラージャとスフェーンは、それができなかった。

スフェーンはAIのようなもので、破綻しかけた永久人のシステムを守るという設定がされており、自分の考えを変えることはできない。
ゾラージャは奇跡の子という呪いに憑りつかれて道を見失い、自分は自分であると証明するために力を振るった。
二人とも、自分の非を認めて自分を変えることができなかったから、崩壊していったのだ。

相手の思いを受け止め、自分の至らない部分を認めることができるウクラマトとコーナ。
それができなかったゾラージャとスフェーン。

この連王たちの対比が、今作はすごく綺麗でよかったなぁと思う。


〇クリエイティブスタジオ3のシナリオ制作体制について

ここからはネガティブ要素多めの話だ。
辛辣なことも書いているので、そういったことを読むのが苦手な方は、どうかブラウザバックして欲しい。

繰り返し言うが、私は黄金のシナリオを面白いと思ったし、ゲーム体験としても楽しいと感じることの方が多かった。
しかしシナリオのクオリティについては、正直に言って思うところがある。
例えば「ここ、もうちょっと上手いこと書けなかったのかな」といった違和感を覚えたり、「私ならこう書くんだけどなぁ」「あ、あのシーンはこの展開に繋げたいからああ書いたんだな」と感じてしまう場面が、漆黒や暁月に比べて明らかに多かったのだ。(もちろん、漆黒と暁月が完璧だったというわけではない)

例えば、ゾラージャがトライヨラに攻めてきた後に、ヤシュトラとラハが合流するシーン。
暁の血盟の出番だな、という話の流れになって、暁のメンバーが一向にサンクレッドとウリエンジェに連絡を取らないのが不思議だった。
うろ覚えなので、もしかしたら間違っているかもしれないのが、アルフィノがヒントトークで「二人はまだトラル大陸に残っているだろうか」みたいなことを言っていた気がする。
リンクパールというすごく便利なものがあるんだから早く連絡を取りなよ、なんでしないんだろうとすごく違和感を覚えた。

もう一つ私が特に気になったのが、リビングメモリーに普通に魔物が徘徊し、永久人に危害を加えてている点だ。(生きていた頃の恋人に送る指輪を魔物に奪われた話)
案内人のコンスタンシさんによると、街に徘徊している魔物は保存のために大陸から持ち込まれたものらしい。
しかし永久人を大切に思っているはずのスフェーンが、死後の永久人たちが平和に暮らす世界に魔物を放して、永久人に危害が及んでいる状況を放置するのは、正直違和感を抱かざるを得なかった。

フィールドには魔物を配置しなければいけないという制約があるのは、当然分かる。
でも、このような些細な設定一つにしても、しっかりと作り込んでほしかった。
例えば、生者であるヒカセン一行たちにだけ襲い掛かってくるとか、スフェーンがメインターミナルの記憶領域を消去している影響でバグが発生し、魔物を収容していた檻が壊れたとか。
そんな感じで、素人の私が少し考えただけでもそれっぽい理由を思いつくことが出来るのに、プロであるシナリオ班の方々が出来ないとは思えないのだ。

他にもリビングメモリーに突入する人員が少なすぎるとか、(さすがにエスティニアンが原初世界側に残るのは戦力が偏り過ぎてると思う)機械兵の身体を乗り換えられるのに、ただオーティスに守られているだけのスフェーンとか、細かいことを言ったら他にも色々あるけれど、これ以上は個人の好みの範疇かなと思うので言わないでおく。

で、そういったシナリオ上の違和感を覚えた時に、私の頭の中に浮かんでいるのは吉Pやなっちゃん(イシカワナツコ氏)、織田さんの顔なのだ。
この後どうなるんだろうとか、早く先に進めたいな~とかを考えるのではなく、ゲームを作った側の人たちをことを考えてしまう。
つまりそう感じている間は、そのゲームの世界観にのめり込めなくなっているのだ。

細かいことは気にしない方が、精神衛生良いのはもちろん分かっている。
でも、この料理が美味しかったなという想いが自然に浮かぶように、この料理は口に合わなかったな、という想いも止めることはできないし、想い返さないようにするのは私には難しい。
だから私は、なるべくシナリオ班の方々には、矛盾や違和感のないシナリオを作ってほしいなと思っている。

少し話を戻すが、なぜ黄金では私が違和感を感じる場面が増えたのか。
色々な感想を読んでいると、今回初めてメインシナリオ制作を担当したライター二人の力量のせいだと指摘する意見が多いけれど、私はそれが全てではないと思う。
なぜなら今回は、なっちゃんがメインライター二人の上司の立場になって、監修をしたりアドバイスをしているはずだからだ。

でも、よくよく考えればFF14のシナリオには、新生~紅蓮のパッチ4.0くらいまでも、違和感を覚えることが多々あった。
あと別のゲームにはなるが、FF16のシナリオも違和感を覚える場面が多かった。

つまり、私が漆黒と暁月のシナリオに違和感を覚えることが少なかっただけで、クリエイティブスタジオ3(旧名・第三開発事業本部)のシナリオは、昔からこのようなテイストだったのだと思う。

ではなぜ私は、漆黒と暁月のシナリオに違和感を感じることが少なかったのか。
過去のインタビュー記事などを読んでみて、一つ気になったところがあるので引用させて頂く。
引用だけではインタビュー内容を正確に読み取ることが出来ないので、ぜひリンク先の元記事を読んでみてほしい。

・暁月発売後のインタビュー記事引用
石川『漆黒のヴィランズ』が発売されたのが2019年、その年の末には、イメージ・スタジオ部にトレーラーのコンテを出さないといけませんでした。そこで同年の秋と冬の間ぐらいに、シナリオの概要を決めるための合宿を行いました。じつはここで問題が……。私たちの中で“慣れ”が起きてしまっていて、「シナリオで語らないといけない要素は残りコレとコレだから、それらを消化すればいいよね」という感じで、シナリオ合宿自体はすごくさらっと終わったんです。そうして決まった要素を詳細に落とし込むのは私が担当したのですが、改めて内容を組み立ててみると「いままでのような拡張パッケージのひとつだったらこれでいいかもしれないが、“フィナーレ”と銘打つものとして本当にこれでいいの?」と感じたんです。そこで、出し惜しみしないで出す部分や盛り上げたい要素、いままでの物語に対する回収など、概要から練り直すことにしました。その決断をしたのが締め切り2日前で、そこから集中して現在の物語の原型を制作した記憶があります。

https://www.famitsu.com/news/202203/29255742.html

※暁月の発売は2021年12月

これを読んで気になったのが
・暁月発売2年前にはシナリオ制作が動き出し、大筋が開発初期には決まっている
・シナリオ合宿でさらりと決まったことに、あとからなっちゃんが本当に良いのかと疑問を持ち、練り直すことを決めた
という点である。

ここから先は完全に私の想像で、確実な根拠もない仮定の話だが。(←重要)
クリエイティブスタジオ3のシナリオ班には、「決めたものを後から本当に良いのかと疑問を持って、良い意味での粗探しが出来る人材が少ない・もしくはその環境がない」のではないだろうか。

漆黒と暁月は、なっちゃんが自分で考えたシナリオを客観的に見て修正することができる人だったから、違和感を感じることが少なかったのではないだろうか。
もちろん、私個人の好みもあるだろうけれど。

クリエイターにとって、他人の作ったものにダメ出しをするのは非常に勇気のいる行為だ。
自分に自信がなければ難しいし、相手の立場によっては何も言えなくなってしまうのは、社会人としてはあるあるの話だろう。
私の勤めている会社だって同じだし、世の中の企業のほとんどはそんな感じだと思う。

でも、私の推察がもし当たっているのならば。
クリエイティブスタジオ3には、ぜひその高い壁を越えていって欲しいと思っている。
吉Pやなっちゃん、織田さんがOKと言ったことについても、こうした方が良くないですか?と提案できる環境になってほしいと思う。(元々そういう環境だったら、これは私の勝手な杞憂で済むだけの話だ)

私はクリエイティブスタジオ3のシナリオが大好きだ。
多少の違和感はあれど、今までゲームのシナリオとしては極上のものを読ませてもらってきたと思っている。
今回の黄金のシナリオだって、他のゲームでは読めないような新しい体験をすることができた。
だから社会人として、良い意味での粗探しをするのは難しいと思うけれど、それを実践したら彼らはさらに良いものを作れると私は信じている。

私は、クリエイティブスタジオ3のこれから創るゲームが楽しみで仕方がない。
私は彼らの創るゲームが大好きだから、もっともっとクリエイティブスタジオ3のゲームで遊んでいたいのだ。
頑張れクリエイティブスタジオ3、私はずっとずっとあなた達のことを応援している。

すっかり長くなってしまったが、以上で黄金の感想記事を書き終える。
ここまで読んでくださった皆様、ありがとうございました。
願わくば、再び今回のような長文感想記事が書けるようなゲームが遊べますように。