コミュニケーションとは思いやり。
相手にとって気持ちいい言葉を聞かせるのがコミュニケーションだ、とどこかの漫画で読んだ。
コミュニケーションは質問から始まる、というのもどこかで聞いた。
すべてひっくるめて、コミュニケーションを断定すると「思いやり」になるという私の意見のお話。
小学生か中学生の頃に「相手の気持ちを考えよう」「相手のことを考えて発言しよう」「相手の嫌がることは言わないしない」などと一度は指導されたことがあると思う。
これらすべて、相手が基準。
コミュニケーションには相手が必要なので必然とこうなる。
友達同士のくだけたコミュニケーション、取り引きをするときの緊迫したコミュニケーション、見ず知らずの人と日常で会話するときのコミュニケーション。
ここにあえて勝敗をつけるとしたら、相手をいい気分にさせた方の勝ちだと思う。
新井紀子さんのこちらの著書はなかなか面白かった。
「AIがやれることはAIにやらせて、人間はAIにできないことをやろう」
現在の時点で人間がつけいる隙はコミュニケーションや言語運用であると気づかされた。
知っている、というのはこれから先の時代あまり価値がない。
なぜなら調べれば済むから。翻訳機能も向上しているので、調べながらではあるが、言語を習得せずとも、日常で外国人とコミュニケーションを普通にとれる時代がきている。
その翻訳の意味はAIは知らない。ビッグデータから引っ張り出してきただけ。
さて、インターネットの集合知に一個人の人間が敵うはずもない。
じゃあ我々にできることは?
表題にある通り、思いやりであろう。
心は複雑怪奇、人によって千差万別。
Aさんに喜んでもらったことはBさんにとっては迷惑に映ることもある。
だから相手のことを考えなさいという一定の指導はなんら疑うことなく鵜呑みにして聞いていいレベルの良い指導である。
店員さんに横柄な態度を取る人、
誰彼構わずどなり散らす人、
つっけんどんな態度を取る人、
子どもだったらわかるが、18歳を過ぎて成人と見られるようになったら