広めたい mixi日記 煮汁さんの投稿。

以下本文。

いろんな物を探すのが面倒臭いので、全部捨てることにした。

本も家具も服も文房具も家のカギもアルバムも、全てがないと分かっていれば探す手間などまったくいらない。
何もかもを捨てるということは、一切の無駄がなくなるということだ。

物質的に何一つ所有しないことで、従来の

1、何かしら必要になる
2、どこにあったのか思い出そうとする
3、思い出せないので、心当たりをしらみつぶしに探す
4、見つかる、または見つからず諦める

という手順は劇的に圧縮され、

1、ない

という非常にシンプルかつ潔いスタイルに生まれ変わる。

何も持たず、ゆえに迷わず。
きっと僕の生活は、一切の無駄を排除することで劇的な進化を遂げるだろう。
想像ではあるが、おそらく以下のような形になると思う。

***

朝。
目が覚めても家はなく、顔を洗う水も歯を磨くブラシも身につけるスーツないのでそのまま通勤。
徒歩で駅へ向かう途中、定期がなく切符を買うお金もないことに気付き、あきらめて線路沿いを徒歩で行進することに。
6時間ほど遅刻しそうである旨を上司に連絡しようと思うが、携帯電話がないので上空のハトに「遅刻します」と伝えることで一縷の望みに賭ける。

昼を越え、日が西へ傾きかけたところで職場に到着。
無断遅刻を平身低頭して謝罪し、服を着なさいと怒られる。
服を持っていない旨を伝え、それなら仕方ないということで決着。

2時間ほど働いて定時。
同僚が居酒屋に誘ってくるが、全裸なので、と辞退し、最寄りの公園へ帰宅。
11月の夜道は存外に冷たいということを素足になって初めて知る。
ベンチに横たわり、果たしてこの環境で眠り生き永らえるか、と不安を覚えていると、不意に胸の中に暖かい羽毛の感触。
視線を巡らすと、胸の中にハトがいる。
思わず「ありがとう」と言うと、「別に気にしなくていい」とそっけなく返される。
「遅刻の連絡が間に合わなかったからな、詫びだ」と言うハトに「それでもありがとう」と重ねて礼を言うと、軽くつつかれる。
照れたらしい。

良いやつだ、と感謝を抱いて就寝。
10時間ほどで地球の反対側で日が沈み、新たな朝がやってくる。

日の出とともに、まぶしさで覚醒。
起きた途端に胃が空腹を訴え、手近なもので適当に朝食を済ませて出勤。

遅刻することなく始業30分前に到着。
上司に服を着なさいと怒られるが、服を持っていない旨を伝えると、それなら私のを着なさい、と脱いだスーツを渡される。物を持たない主義なので捨てる。

始業前に同僚が寄ってきて、昨晩飲んだ居酒屋の感想を伝えてくる。
焼き鳥が美味かったという言葉に、自分も今朝は鳥を食べたが、シンプルで潔い味だったと返した。
ついで上司が全裸なのだが理由を知らないかと尋ねられたので、おそらく文明社会に対するアンチテーゼだろうと答える。
お前もアンチテーゼなのかと聞かれたので、服を持っていない旨を伝えると、それなら俺のを着ればいい、と脱いだスーツを渡される。物を持たない主義なので捨てる。

何事もなく働き、定時。
同僚が誘ってくるので居酒屋へ行き、入店を断られる。
服を持っていない旨を告げると、もう一度入店を断られる。

***

どうだろう。
ほんの一部を抜粋したに過ぎないが、それだけでも十分に洗練されたライフスタイルであることが伝わったと思う。

手段がないから迷わない。何もないから探さない。物を持ったらすぐ捨てる。
一分のスキもなく確立された価値観にもとづく、いっさい無駄のない行動様式。
それはおそらく、こんにち現代人のほとんどが持ちえていない至宝だ。

何かを所有することから、愚かしい余事は生まれる。
物を持つことで無数に増える選択肢は、選び探すという時間の浪費を僕達に押しつけているのだ。

さあ、全てを捨て、町に出よう。
あらゆる迷いを断ち切ったその先には、きっと想像もできないような未来が待ち受けている。

これが2012年の日記か。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?