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遥かおおむかしの出来事。

それは、はるか遥か大むかしのできごと。

1993年10月28日

まだ静岡がサッカー王国だと
誰もが認めていたころ

そうだ。Jリーグ元年でした。

日本中が落ち込んだ、歴史に残る悲劇はそんな年におきてしまった。

それがドーハの悲劇です。

ワールドカップ最終予選
最後の試合

日本が勝利できれば自力で本大会行きが決まる大事な大事な試合。

まずはカズさんが先制。
その後⚽同点とされたもゴン中山さんが勝ち越しゴールをゲット。このままいけば
ワールドカップでカズさんの勇姿が見れたはずだったのに......

ドーハの悲劇の静岡でのもうひとつの悲劇。
自分は、テレビ東京とBS1で中継された生放送を視聴する事ができませんでした。

そんな私を救ってくれたのは
そうそうラジオ中継。

高校サッカーをラジオで聞いたり、Jリーグもラジオ📻
静岡では違和感ないけど全国的にはどうなんでしょうか❓

はいった❓

はいってしまったー

と試合終了間際に
絶叫したアナウンサーさんの叫びで
日本中がうなだれました。

まだワールドカップに出場経験がなかった日本代表。

正直自分は、この試合がそれほど重要な試合とは感じていませんでした。

ワールドカップは他の国のスーパースターを見るもの

それに日本代表がまさか勝てる訳がないと..

あの頃の、私には高校サッカーの静岡県代表を応援する方が重大関心事でした。

その後、その試合の結果がとてもとても
大事な試合結果だとわかったのは
日本がはじめてワールドカップ出場を決め

やっと、カズさんを本大会で見れると疑わなかったあの時

本当の悲劇がおこりました。

カズさんが落選。

こんな事ってあるの。
嘘でしょ。

怒り😠と
失望で眠れませんでした。

もしもあのまま
アメリカワールドカップに行けていれば
みんながしあわせだったんだろうなと思うと

一瞬。一瞬の選手さんの動き
ボールのゆくえは貴重で

だからこそサッカーは
魅力的なのかもしれませんね。

ますます大好きになってしまったカズさん
2020シーズンにカズさんがJ1リーグに所属しているしあわせ

大好きなカズさんの
伝説はまだまだこれから

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