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日本人の女性の名前にはなぜ子がつくのか?

先日、ある英国の哲学者の先生が、ふと不思議に思ったのか、「なぜ日本人女性の名前には子がつくのですか?」と尋ねてきた。ふむ、どうしてなんだろう?と思いながらも、仕事前の軽い会話中だったので、それは「子供」と言う意味の漢字で女の子を示すのですよ、と軽く答えた。が、なぜ?どうして?と物事を掘りさげる哲学の先生への答えとしてはお粗末しすぎた。それに、私さえも、その背景が分かっていなかった。そこで、現代の知識の宝庫であるインターネットでいろいろ調べ、昨夜、改めて彼にメールで返事をした。

今朝、その歴史的由来を思いかえすと、何か連綿たる歴史や文化の延長上にこうして私も他の多くの日本人女性たちも命名されていることに改めて大きな時代との深いつながりを感じ、開眼の思いになっている。

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T先生へ

なぜ日本人女性の名前は「子」で終わる人が多いのですか?というあなたの質問は、多くの日本人が問うことを多分夢にも思わない興味深い質問でした...それはあって当たり前のものとして、私たちの文化に深く根付いているからです。日本人に「なぜパンではなく米を食べるのですか?」と尋ねるようなものです。今日ではパンも食べますし、スパゲティも食べますが…。

事は古代中国に遡ります... 古代中国はご存じのように稲作や芸術、文化、哲学など多くの遺産を持つ偉大な文明を発展させていました。 ... 6世紀以来、まだ国として発展していなかった日本はそのような中国文化を取り入れ、熱心に学びました。

ですから、日本には漢字を含め、中国由来のものがたくさんあります。その一環として、日本人はこの「子」を学びました。それは今、「子供」を象徴しますが、当時は「偉大なマスター」を意味しました。中国では「cius/zi」と発音され、孔子などの偉人に対して使われていたのです。例えば、孟子や老子、荘子がそうです。

当時の日本の天皇や貴族はこの中国の伝統に従い、これを敬称として使用しました(ただ日本では「し」と発音しました)。そして、社会で高い地位にある人物に使いました。例えば、行政改革や仏教伝番で日本を統一しようとしたレジェンド「聖徳太子」ですね。しかし、それは男性にのみ使用されました。

その後、9 世紀(平安時代)に当時の嵯峨天皇がご自分の娘 (数十人) にこの文字を使用し、それ以来、「子」は女性にも使われるようになりました。しかし、皇族や貴族の身分の女性のみにでした。ですから、普通の女性は例えばマサ、クニ、フミとか呼ばれ、語尾に「子」はつきませんでした。

しかし、数百年に及ぶ封建時代がついに終わり、1868年に近代明治時代が始まった後、「子」は、庶民の女子に使われはじめ、流行し、徐々にこの命名法は一般的なものとして広がっていきました。そして第二次世界大戦後、昭和時代に入り、「あけみ」を筆頭に語尾が「子」でない名前も徐々に使われるようになり始めました。そして時代は平成、令和に移り、人々はよりリベラルになり、非常に創造的になってきていて、最後に子のつかない様々な名前を付け始めています。これらの新種な名前は、現在、キラキラネームと呼ばれています。

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<考察>
なるほど…。いずれ、「子」のつく女の子の名前は消えていくかもしれませんね。江戸時代や明治時代に、おはなさん、おきくさん、など名前の前に「お」をつけていた慣習がなくなっていったように…。すべては変化の流れの中で、時代に影響され、その時々一瞬煌めくユニークな姿をとるのでしょう。この哲学者の先生は、時代の寵児であるかのように科学とスピリチュアリティを統合するような斬新な世界観を探求しています。その時代時代に、人類の世界観も常に変わり続けているのですね。「ホモ・サピエンス」の著者で世界有数の歴史学者ノヴァル・ハラリは言います。
<b>「歴史とは過去を学ぶ学問ではなく、どのように物事が変化していくかという変化を学ぶ学問です。過去を思い出し、その過去自体から自分たちを解放するためにです。」
</b>

であれば、私たちは今、どんな過去の慣習や価値観から解放され、どのような新しい展望を集合的に開こうとしているのでしょう?「子」へのふとした問いかけが、さらにこんな疑問へと発展したことは、興味深いと思います。哲学者のT先生は、人生が神秘の中にあることを前提にしています。ただ、それを「不可解なもの」としてではなく、「不思議なもの」として探求し、理性と直感の両者で新たな展望を開き、洞察を深めていくことを提案しています。

注)上記の哲学者の先生/ティム・フリーク
  参照:https://timfreke.jp/

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