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社会科学の深さ

こんばんは。本日は偶然が重なり、終日リモート勤務に。生徒とビデオ通話をし、小論文の対策です。

小論文の内容は、生徒の志望大学や志望学科に合わせてさまざまなテーマが送られてきます。私の人生の目標は「マッド・ヒューマニスト」なので(笑)、人文科学系のテーマは、大抵が私の担当です。

冗談はさておき、本日やり取りをしたのは、教育学部への進学を目指す生徒でした。その生徒の問題意識に「日本の学校教育は、現代社会を理解するための知識を授けられていない」というものがあり、教員としては考えさせられました。

学校で勉強するのは、大学受験のための知識である。失礼ながら、もしかしたらSNSなどで流布している決まり文句を繰り返しているだけの可能性もあります。しかし、こういった生徒の叫びは、できるだけ尊重してあげたいところです。

ところで、その生徒は社会科の授業に対して、特に問題意識を持つようになったようでした。無論、私は社会科の先生方を非難するつもりは毛頭ありません。今まで出会ってきた社会科の先生方は、教科領域を超えて博識な方ばかりでしたし、創造性あふれる教育実践も、社会科の授業に関しては枚挙にいとまがありません。ですが、もし生徒にとって困難があるとするならば、伝えなければならない項目の多さなのかなと思います。

国語や英語であれば、確かに単語の意味がわからなければ困ることはありますが、自身の持っている背景知識であったり、周囲の単語や文脈から推測できることもあるように思います。その点、社会科は知らない事項は、もうどうしようもないですよね。さまざまな事項も一枚岩でなく絡み合っているため、もし苦手に直面した場合、どこから手をつけて良いのか途方に暮れてしまうのかも、などと感じたり。

ごめんなさい。何だか取り止めがなくなってしまいましたが、また自身の教育観を省みてみようと思わされました。最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。

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