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マイノリティーのすヽめ

最近、自分は、選択肢がある時、マイノリティーになる方を選ぶ傾向がある気がしてる。そういうひねくれたところがある気がしてる。

僕は、大学院時代にカナダのバンクーバーにしばらく滞在してた。それがマイノリティー選びがち問題に影響を与えたんじゃないかと思う。英語もロクにできずに、海外で暮らすのは、それなりに大変やった。でも、英語がわからなくても日常生活は送れるし、当時からインターネットでなんでも調べられたし、Skypeで日本にいる人と話せたし、大きな不便はなかった。バンクーバーは移民の街でマルチカルチャーでよそ者に優しいところだったのも、ありがたかった。ただ、やっぱり、ことある毎に「よそ者感」を感じてたように思う。

そんな中、ある日、先輩と一緒にプライドパレードを見に行った。性的マイノリティーの人やその人たちを応援してる人がパレードするやつ。背景をあまり知らずに見に行ったら、かなりのカルチャーショックやった。参加してる人全員、明るくて前向きに意見を主張しているように見えた。単にお祭りで騒いでるだけのようにも見えたけど。あとで、目的を知ると、なんか小さなことで悩むのがアホらしく思えた。

その時から、徐々にマイノリティーのことを気にするようになっていった。幸か不幸か、バンクーバーに行くまで、自分はマイノリティーであることを経験することがなかったように思う。自分がマイノリティーになったときの疎外感とか劣等感みたいな気持ちを、ほとんど知らなかった。海外で暮らす時の気持ちなんて、性的マイノリティーの人らに比べたら無視できるくらいかもしれないけど。それでも、経験できてよかったなぁと思ってる。

自分の意見をいう時は、マイノリティーの人が聞いたらどう思うか少しは気にするようになった。十分に配慮できてる気は全然しないけれど、想像が及ぶ範囲で意識するようになった。そういうのを大切にしていきたいと思ってる。

社会人になってからも、何か決断するときは、少数派になるような選択をしがちな気がする。人と違うことをやりたいって気持ちもあるけれど、マイノリティー側になって、明るく権利を主張していきたいって気持ちが少なからずある気がする。プライドパレードに出てる人がカッコ良かったからなのかも。彼ら彼女らはただ、楽しんでいただけなのかもしれないけれど、少なくとも僕はカッコいいなと感じてた。これからも、自分で選べる選択肢があれば、ひねくれてるかもやけど、マイノリティー推しで行きたい。

今度のバンクーバープライドパレードはオンラインでやるらしい。August 2, 2020。あと40日。楽しみ。


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