題 「変(2)身」

●声
「?」
「気付く前に失われている感覚だよ。片手を開いた時のもう一本目の指。それってなんだ?」
片手が暗闇の中照らされて、浮かび上がる。

●人通りの多い街をAは女性Bと歩いていた。
B 「なんでわたしをよんだの?」 BはAなど眼中にないかの如く目を合わせない。
A 小さな声で「だって...」
B 「聞こえない。」高圧的にいう。
A 「だって君が今まであってきた人達とは違って見えたんだ。君だけが僕の目を見てくれていた。そうでしょう?」
B 「ふうん、よくわかんないなぁ。」
A 無言のままBの横顔を見ている。
B 頑なにAの方を見ない。
A 突然、何かを嗅ぐそぶりをする。変わった匂いがした。
画面の中央でBより一歩先を歩いていたAが横を見る。
そこで路肩に座る一人のホームレスと目が合う。彼は燃えかけた炭カスのような見た目をしていた。少年ホームレスは座りながら、Aを見据え目を離さず、決して瞬きをしない。
Aは慌てて目をそらす。
少年はAを指さして大きく口を開けて笑い出す。親しげにAに対して手を振る。周りの騒音でその声は一切聞こえない。
B 頑なにAや少年ホームレスの方を見ない。
A 声を出さずに「僕は元気だったよ」と薄く笑いながら口を動かす。

●Aの寝室。窓から月の明かりが入って来る。
A 寝返りを打ち返して目を覚ます。尿意を感じてトイレに行く。Aの部屋は真っ暗でトイレは明るい。

×××

A 夕方に目を覚ます。窓から見える日の光は鮮やかなオレンジ色だった。

●Aは知らないバスに乗って、とある神社に着く。
そこで汚れた少年が話しかけてくる。
ほ 「久しぶりだね。」
A 「...?」知らない人に久しぶりと言われて、とても困惑する。
ほ Aの様子を具に観察した後、何かに気付きムッとする。「だから君のことは嫌いなのだよ。その大きさの脳みそを持て余して君は今日の寝る前にも昨日と同じ答えを出すんだろう。そうやって君は君自身を腐らせている。『身からでた膿』ってやつさ。」
A 不振がって、眉を顰める。「君は」と言い掛けたところで再び少年が話し始める。
ほ 「まあいいや。ところで僕はまた君の頼みに気づいたのさ。君は僕に何かを気づかせて欲しい。そうだろう?」
A 少年の手を見ながら黙って頷く。少年の爪には黒い土が入り込んでいた。
少年 「君は何かをどこかに置き去りにしてきてしまったようだ。だからまたこうして会わせてもらったけど、僕が見た感じおそらくそれは、君が持っていることさえ気付かないうちに失ってしまったものだよ。」
A 少年の会話が止まったのを見て聞く。「きみはだれ?」
ほ 無視して話し続ける「君は昨日大きなものを落としていった。僕のお友達も君が落としていったのを見たって、言っていた。もし君さえ良ければ、僕はこれまでの付き合いで君を助けてあげる。」
A 「すまないけど、まずは君について教えてくれよ。君は僕のことを知っているというけれども、僕は君のことなんか知…。」途中で遮るように少年ホームレスが話す。
ほ 「僕は君とは根本的に違っていたんだ、生まれる前から、さっきに至るまでは。でも今はある共通点を持っているのさ。君は骨の一二本や、内臓の一二個が足りないだけで、タガが外れたみたいに文句を言ったり、開き直って満足そうな顔をしたり、自分を何かであろうとさせる。それはずっとずっと前もそうだったさ。徐々に思い出してきたかい?でも今は君は僕と同じように、ある決定的な生命維持機能を失っている。苦しいだろう。わかるさ、だって僕もそうだもん。」
A 困って、彼の目を覗く。彼と目が合い数秒固まる。
ほ 「勘弁してくれよ。なんだいその自分を憐れむ目は。君はもっと落ち着いて物事を捉える人間かと思っていた。今の君はまるでおしゃぶりを取り上げられた赤ん坊みたいだ。
想像してくれよ。僕は以前の君らとは大きく違って、迫りくる『世間の黒い霧』に対しては全くもって免疫がつかないんだ。数年前の君みたいに『心の雨宿り場』だけでも手に入れることなど到底できない。あらゆるものに対してむき出しの心の皮を、蟻の触覚みたいに擦り付けていくしか何かを知る方法がない。今までずっとそうだったみたいにこれからも、僕は変わらずそんな感じに延命していくしかないだろう。そんな僕の中でね、僕は君が想像さえしたことがない種類の不快感を抱きながら、起きてから寝るまで闘い続ける、それしか生きようがないんだ。」
A 「困るよ。」小さな声で弱気に言う。
ほ 「僕にとって他人のために何かをすることは文字通り命を削ることなんだ。さっきも言ったでしょうが。だからまず僕の言うことをちゃんと信じてくれないと。」
A 「...」
ほ 「きみが僕を呼んだんだろ!!」
A 少年の勢いに押されて言う。「わかった。わかったから落ち着いてくれ。」
ほ 数秒考えたのち、「まずは今日、家に帰って夢を見てくれ。僕はそこで君にちゃんと理解してもらう。今の君の状況を。」
A 「わかった」

●夢
まず光を感じた。そして音も感じた。空気のくささも、持病の痛みも、腐った口の味も
でも特に怖さ、気持ちの高ぶりは感じられなかった。鼓動は安定したリズムを刻んで、まるで全てが平らで滑らかな台の上に放置されているみたいな感覚がした。僕は僕を数メートル上から見下げていて、何もかもが全くの空言のように感じられた。次の瞬間にはその僕は立ちすくむもう一人の僕から何かを奪って、体を丸めてそれを返さずとしていた。そして、僕はそれを奪い返そうとしているうちに、足を滑らせた感覚がして、身体中が凍ったのち目を覚ました。


●翌日
A また神社に行った。でも少年はいなかった。その日は少年に会うことなく、遠くから聞こえてくる町の騒音に耳を立てながら、真顔で神社の石畳に座って過ごした。Aの顔は一日中変わらないけど。一方で街路の光や、神社に差し込む日光の角度は瞬く間に変化していった。

●翌々日
A 次の日も神社に行った。でもまた少年の姿は見当たらなかった。財布の小銭を財布からそのまま賽銭箱にすべて入れた。そのうちにAはその場で石畳に頭をのせて眠りについた。
暗くなると少年は毛布をもってやってきた。Aは気づかずに寝ている。そして少年はAから少し離れたところで自分自身を枕に横たわらせて、自身に布団を掛け、寝始めた。

●夢二
Aは夢の中、真顔のまま涙を流して立ちすくんでいた。
少年は離れた距離からAをみて、指をさしてわらっていた。
A 本から目を離して、「僕に何が起こっているの。」
少年 顔を元の真顔に戻して答える。「もうじきわかる。もうじきあることが起こる。そしてそのうちに君が決める。」
A  「僕が決めるのか?」『決める』の一言に何かを感じた様子で聞き返す。
少年 「そうだ。君が決めなくてはいけない。」
A 一瞬黙る。そして話し始める。「僕は今までみたいに、何かを感じることができる。そして人並みに何かを考えることもできる。でも、もう何についても信じようとすることはできない。そうするのをたまらなく不快に感じるんだ。僕は今も何かを信じている。それは確かだ。でも何かを信じようとすると、体の中で金属の塊がストンと落ちたみたいに、受けいれられない。その気持ちをこの数日で実感した。僕はなにか、僕が見たこともないようなものを数日前に落とした。何かは分からないけど、今は断言出来る。以前のぼくは確かにそれを持っていた。」
少年 「わかるよ。」声に出さずに、誰にもわからないようにその形に口を動かした。口元は若干うれしそうににやけている。

●翌々翌日 Aの家の前でAはBの子とすれ違う。
A 家の前にいる、Bを横目で見ながら無視をして、家に入ろうとする。肩をわざと当てBを押し倒す。
B コンクリに横たわったまま、彼を罵倒する表情で口を動かす。Aには聞こえない。
A 玄関に入り、ここ数日で初めて笑顔のような表情(笑顔ではない)を浮かべる。
A 家の中に入ると、インターフォンが鳴る。見てみると、少年が異様に近く顔を寄せて、何かを言っている。聞き取ることができない。
扉を開けると少年は数十メートル先を歩いている。急いで追いかける。Bに途中で会い視線が合うも、向こうはあからさまに視線を逸らす。当然のようにAはBを鼻っから無視する。

●再会
公園で少年とAは地面に座りながら、とおくをみている。
少年 「今日だよ。これを逃したら、きみは僕みたいに『今』を失って、生涯路頭にさまようことになる。」
A 「...」
少年 「気づいていると思うけど、このままの君では、社会はもとより、あらゆる人間関係に加入できない。落ち着くところのない孤独の海で、きみは生きながら他人に無視をされ、あるいは嫌がらせを受け、静かにあるいは美しくおぼれ、そのうちに苦しむことも忘れてしまう。」
A 間を置いて「わかった。」
少年 頷いた後、「まず、今夜の夢で君は怒ることを思い出さなくてはいけない。そして、自分自身を取り戻すために、そこで君は君をいつまでも殴り続けなければならないんだ。」
A 「そうしたらどうなるかな?」
少年 「君は面の皮を被り、自分の爪に挟まった土をほじくる。君の目は赤く断ち切れている。歯をふるわせて、僕らのような同類に作り物の笑みを浮かべてきている。手にはいつもみたいにかつて生えていた自分の髪の毛を握ることになる。」
A 「うん。」
少年 「それからね、君はいつだって弱者ぶって周りに毒を散らしてきたでしょう。だからそれをやめるんだ。」
A 虚な目で考える。「わからないな。つまり僕はどうなるの?」
少年 「だから何度も繰り返しておしえているじゃないか!君の腕は、、、」
A 「もうわかった。」はっきりという。一瞬あたりは一切の音を失う。
少年 深い沈黙ののち喋り始める。「言い方を変えよう。君は今晩、自身の怒りのタガを外して、今まで生きてきた中で最大の力をひねり出すんだ。でもあんまり難しく考える必要はないよ。と言うのも、だってきみは今、静かな目で怒り狂っている。君はあの日に大きな落とし物をした。そして君は、それを怒りと気づかないような、莫大な量の怒りを蓄積し続けたんだ。この数日間にため込んだその怒りは今、君の命の炎に代替して、君を燃やし切ろうとしている。だからあとはその憤怒を押さえつけることなく放しさえすれば、きみは失った、きみの第六感を取り戻す機会を得て、運が良ければまた社会的な人間なれるんだ。」
A 解せぬ顔をする。そして真顔のまま話し始める。「長い間、僕は僕の片割れを探していたんだ。」
少年 Aをにらみつけ、舌打ちをする。
A 「でももうやめた。」
少年 朗らかな顔で黙って腰を上げる。そしてAの肩を叩く。「君は...この数日でよくやった。」
A 前を見たまま表情を変えない。
少年 「そして、きみは明日僕の何倍も強い魂と今まで通りの感覚を取り戻すだろう。」
Aの瞳に映っていた夕日が沈む。

●Aの部屋
Aは寝ている。少年はAに徐々に近づき顔を覗いた。Aは幸せそうな顔をして寝ていた。
少年は顔に一切の表情をこめずにこちら側を見て喋る。「彼は今溺れている。そして裸の心を黒い霧になすりつけて、感じたことのない痛みそのものに彼自身を見出し始めている。」

●Aの夢 
「怖かった。」
僕が僕を殺す間、僕はただ焦っていた。そして、死への畏怖に支配された赤紫色の頭で、僕は瞬く間に諦めることの本当の意味を理解した。
僕の心臓はイヤイヤ動いていた。そして、目覚まし時計より大きな音を鳴らしながら、僕にその生命の動の本当の意味の静けさを教えてくれた。

首の後ろの皮膚の裏側に鋭い痛みを感じた直後、僕は僕から第六感、形容し難く、五感のいずれにも該当しない感覚、が薄れて消え去った気がした。で、僕と周りの境界が消え失せて、僕は純粋な静の世界に所属していることを分からされた。そして世界からも、僕からも、あらゆる光と振動が失われ、その無の海にしばらくの間浮かび続けたのだ。海は暖かかった。だから僕は僕であることをやめて、そこで大きいものに僕を染み込ませた。彼らが呼びかけるまで僕はそこで静かに寝続けた。

彼らはここのことを考えて、暖かく、そして優しく呼びかけなさった。僕はそれに答えるために、大きいものに「またね」をした。大きいものはそれにきちんと答えてくれた。そして、僕になった僕は体全体をすぐに乾かした。霧の中を抜けるように彼らはおっしゃられたので僕はそれに従って、長い距離を歩いた。いつまでも歩き続けた。いつまでも歩いていると、そのうちに歩くために歩き始めるようになった。

「僕は歩く。」

まず僕の顔を思い出した。そのうちに音の揺れを肌で感じ、耳でも何かを聞けるようになる。段々にうるさくなり、光の存在に気づけるほどにあたりは明るくなり、僕はついに帰ってこられだ。僕はユーレイとして、僕の有の世界に帰ってきた。

僕はユーレイとして、もといたところに帰ってきた。
僕はユーレイだから、誰にも気づかれない。
挨拶をしても、誰も返してくれないし、日中僕は影を失う。怒ることも、悲しむことも忘れたし、だからいつもそれらの感情の中間点みたいな感情を抱いている。
いつもお腹の自分から見て左上あたりが、しつこく文句を言うみたいに、燃えているのを感じる。ただしそこしか燃えていないのだ。他のところは虫の鳴かない夜みたいに、ムカつくくらい淡白としていて冷たい。だから、僕が考えるに、おそらくその器官が燃えているから僕を僕として思わせてくれているのだろう。

そして、一度死んだ身として生前に比べて、世界に対して言いたいことが増えた気がする。


●ユーレイとしての一日目
「おはよう」僕は誰に呼びかけるのでもなく、長年の習慣でその言葉を発した。

僕は夜に起きた。時間は2時25分だった。そして、明るい駅舎にいて明るくなるまでの間、その機能を停止させた巨大な建築物の光に誘き寄せられる、蛾のような生者たちを観察していた。彼らは明日を生きて、今日をユーレイのように眠る。僕とは全く異なる種の人間なのだ。もっとも彼らはまだ生きているのだが。
似たような格好をし、似たような表情をした彼らの観察をしているうちに空は暖かい暗闇となる。暗闇にも様々な種類があるのだ。時間は5時前。僕はコンビニで買ったタバコをふかす。そして、一番安いハイボールを飲み干す。アルコールの霧の中、瞼が重みを持ち始める。だからその場で体を楽な姿勢にして眠る。時間は5時半。
「また明日。おやすみなさい」

●ユーレイとしての二日目
昨日に引き続き、僕はユーレイだ。
特に何が起こるわけどもないけど、僕はユーレイとしての自覚をより持ち始めていた。
自分の胸も音を聞こうと静かにするけれど、聞こえるはずはなかった。

●Aの夢、冒頭のシーンの続き。
Aは少年と楽しそうに路上でおしゃべりをしている。女は呆れた顔をして目を合わせない。周りに人はいない。

「続く。」E

8月21日 1
8月31日 2
9月1日 3
9月6日 4

●僕の自己紹介 場所未明 時間日の沈む前
僕はユーレイだ。いつかに死んだ。
街を彷徨い、生前の未練をそこらに垂れ流していく。
まだ生きている者たちを、酔ったみたいな虚な目で追っていく。
ユーレイとして振る舞い、ユーレイとしての自覚を持って、ユーレイとして求められる行動をする。
そのためにまだ生きているものを僕は見守るのだ。ただ、見守ろう。
駅から街中に降り立つ時、
僕は家に帰る。そして家に帰る為に歩き始める。
僕は歩くために歩き出して、または家に帰る為に家に帰る。
歩く為に家に帰って、僕は家に帰った。

ユーレイは生前に縛られるものだ。
生前の僕はいつも歩いていた。
毎朝駅までの道を歩き、椅子に座れば考えの道筋の上を歩き、家に帰るためには朝と同じ道を逆方向に歩く。だからユーレイになっても僕はただ歩き続ける。かつて通っていた道の上を。かつて考えていたことをもう一度考え直す。
生前の僕は誰かのために多くの犠牲を払ってきた。
ユーレイとして嫌なことだらけだから僕は家に帰る。
僕の家は静かだよ。

●ユーレイの仕事
国分寺駅はいつも明るい。
街頭に寄せられる虫みたく、帰るべき場所を持たないものらはまだ太陽への未練を捨てきれずにいる。まるで僕みたいだな。
僕は横断歩道を淡々と渡る彼らを見る。僕は駅前で名残惜しそうにものを買う主婦らを見る。彼らは生きる者の呪いにかけられている。
「生きる者は止まれない」
彼らが毎日を忙しく、たまにゆっくりと動き続けることに、ちまちまとした理由はいらない。

ユーレイはそんな彼らを静かに見守る。死んだものは生きたものとは相いれない存在だ。だからユーレイとしての僕はその場に留まり静かに彼らを見る。


●友達のユーレイ
彼は動かない。彼は動く理由を忘れ、動く必要もない。でも立っているのは大変だから、彼はいつもそのベンチに座って街を見ている。
彼にとって時間の流れは僕らより早く、だから何もしなくても決して退屈することがない。彼は世界そのものを楽しんでいるみたいだ。
返答は遅いが的確。太陽に執着する。

●ユーレイの友達
ユーレイにも毎日がある。だからユーレイも駅のホームのベンチに来るものだ。
一段下がった線路をいくつか隔てた向こうのホームの壁に寄りかかって彼女は座っていた。制服を着た彼女は美しくみずみずしい輪郭に包まれていたから、ユーレイとしての僕はあからさまなよそ見をしながら彼女をチラチラと見ていた。
そして日が沈んだ後に初めて目があった。彼女はよくできた笑顔の会釈で目があったときの緊張を和らげてくれた。
彼女に手を振ってみた。もちろん彼女は見えないふりをしたのち、さっと消えていった。
その日はなんだか懐かしい気持ちのまま1日が終わった。

●生前の僕
友達に語りかけるけど、人との会話が苦手だったから相手を困らせてしまった。

両親から同じ言葉を繰り返し聞かされた。

「お前は幸せにならなければいけない。」
「うん。」
「お前は不自由してはいけない。」
「うん。」

振り返ってみるといつも嫌なことの方がいいことよりも多くて、これからも変わらなさそうだった。そして合理的に考えて死ぬことにした。
嫌なことはしたくない。
楽しいことってなんだろう。

いろいろ考えてみても、重い腰を上げて生きようとは思えなかった。

その日は嫌な日だった。
小さな嫌なことが積み重なって心はどんどん沈んでいった。
否定的な感情が内部崩壊を起こして、死にたいという強い気持ちが意識を持って、僕の心に火を灯した。
「死を前にした人は強くなれる。」

僕はその時に強いお酒を胃に掻き込んだ。沈み切った僕を内側で燃えるものが押し上げる。
死を前にした僕は何かによって動かされ始めた。

その日から多くの人にまた会った。嫌なことも多くした。

でもまだ死にたかった。死を希求することでまたあの力が欲しくなってきた。そんな僕にとって今、死がどうしても魅力的に見えてしまう。
「死は僕の味方だ。」

そのうちにホームレスみたいに、ざわついた街をウロウロし始めた。それが自分をユーレイとして生かすための最善手のように思えたんだ。あらゆる責任を放棄して、誰からも助けられないし、誰かに手を貸すこともない。意図もなく、汚れた街を裸足で彷徨う。鳩のふんも片方だけの乳白色のピアスも裸足で踏みつけながら、明るい建物の周りをいつまでも歩き続ける。

そんなことをしている間に、ずるずると引きずられた精算のための猶予期間は、突然終わった。

僕は2本のベルトを組み交わして、近所の八幡神社のずっしりとした枝にベルトを巻いて、首を吊って死んだ。それは抜け目なく準備をして、予定通りにことが運ばれた。
学校で学んだ通りに、理路整然としていて、機械作業のようにあっさりと済んだ。


●ユーレイになるために。
さまざまな存在を音で感じる。電車の音。街の人の音。虫の声。
ざわざわとしたノイズが画面内に溢れる。光の点が黒の画面の中央近くで点滅。

●ユーレイは死にたい
ユーレイは明るく活発な街を酔いの回っためで虚に眺めていた。

ユーレイになっても何かが足りなかった、そのうちに死にたくなる。
前と同じみたいに木で首を吊って死んだ。

ユーレイは覚えている。
強く記憶に残ったものは、ユーレイに習慣として残される。

今日もユーレイは死にたがっている。
今日も幽霊はいつもの木で首を絞める。
『終わり』
●どうして少年はユーレイになったか。
人の何気ない嘘は一人の少年を殺した。
街は嘘をつく。大人は嘘をつき、だから僕も嘘つきになった。

あつらえ向きのお世辞に、友人のための何気ない気遣い。そして顔見知り同士の共感ごっこ。
僕は君を理解したいとは思わない。そして君も僕のことを理解しようとも思わない。
お互いに適度な常識と、適度な思いやりを込め、一歩引いた無味無臭の会話。

そんな毎日の中で僕は嘘をついた。僕は嘘をついて何者かになろうとした。
僕は「外向けの僕」を作って、「外向けの君」と何気ない会話をする。
そのうちに僕はその「外向けの僕」に導かれるように、外向けの僕が僕にとって変わられる。
僕が深く濁った沼に僕自身を押し込めている間に、外向けの僕が日々の雑務をこなして終えていてくれる。
1日のほとんどを僕が眠って過ごす間に、外向けの君が1日のほとんどを起きて過ごす。
そうして僕らによる完全分業の体裁が整うのさ。
周りの人間は嘘をつき、僕も彼らと話すために嘘をつく。誰が始めたわけでもないこの整った空気は忍ぶに耐えられない。
だから僕は死について考え始めた。


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