硝子の拘束具

僕はとてもつらいです。なぜかというとつらく感じているからです。
もう一人の僕が肩甲骨を押し出して机に向かわせます。そしてカリカリとシャーペンでお勉強を始めます。
まず、勉強を否定するつもりは決してありません。その意義は人とその人のやり方によると思っています。ただ、少なくとも自分がある深さの意識ではそれを拒否しています。
まだ覚えている。少なくともくるっていたころは、自由に苦しみ、自由に壊れて、気兼ねすることなくただ縛られて呼吸をすることをえらんでいる自覚がありました。ことができていました。この言葉で自分を救えることはできませんが、今のあなたは完全に自分を乖離させて考えてしまっている。目や四肢や歯さえもしびれ切って、自分の開放的な気持ちさえ理性という名の熱湯によってただれ、乾ききっているのに、そのことにこの瞬間まで築けたいなかったようだ。あの頃信じて今透明な情感に汚く覆われていた記録装置はどこに行ってしまった。こたえをもとめすぎた。一つの答えにつながる道を一つに決めつけ道に鼻を押し当てながいらp;{ら、自分の爪のにおいを嗅ぐやつになってしまったよ。だから自分の抱く感情を愛しすぎたせいで今ではペンを持つ指に汗さえ書かなくなってしまった。
以前の自分はおのれの日の出に波を垣間見て、傷つくか苦しみ、波の中で多くの海水を飲み込みすぎでいた。だからこそ純粋な希望を、日の出は明るいなどという幻想を持ち、だから現実世界なんて語ってられたんだよ。
こわい。気兼ねをしてしまう。答えは回答として許されるものは、唯一一つしかない。
二義性なんて理解できる問題すらない。それは許されないっぽいことだから。
当たり障りのない定型文を繰り返すだけでこの文章は終わってしまうのか。

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