受験勉強の感想

僕は受験そのものを最大級の批判と、純粋な卑下の対象として認識する。

理由は明白で、今一抹のやりがいも感じないからだ。努力に対する感情面での報酬が正当なものではないと感じる。

無意識のうちに 一連の努力から何かしらの報酬を期待していた、むしろ期待されられていたというほうが正しいのだろ。が、勉強をすればするほど鮮やかな心象風景を失い、唯一解のみを崇高の神としてあがめたてる周りの人間に理論仕立ての鉄格子のなかに連れ戻されるような気がして、深い疲労と孤独に苦しめられる時間が続いた。また頭の中の事象同士をつなぎあげる働きを促進する想像力という名の潤滑油はこの精神的荒廃の軋轢の中で徐々にいうしなわれていった。結局、考え方は理論的で簡潔あることしか求められないから、頭の働きは固定されていき、あざやかさをうしなって、モノ黒な考えしかできないから、明確な対象のない怒りや、妬みが助長されていった。

高度に文明化された社会において単純で明快な個人の測定基準を提供し、一定の秩序をもたらす受験という仕組みは、ある程度評価できるが、しかし人間は理想に生き、現実を夢見るサルだからこそ常に特定意識の感情の領域内でよりよくいたい。その面では、精神的な拘束感からの完全な解放の意味で、受験という高度に制度化された仕組みは解体されるべきだ。





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