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櫻坂46の東京ドーム公演を無理にでも言語化してみる

※出演者敬称略とさせていただきます。

6月15日-16日に東京ドームにて行われた櫻坂46の「4th ARENA TOUR 2024 新・櫻前線 -Go on back?-IN 東京ドーム」

16日の公演を観に行ったのだが、「凄すぎる…」と感じたので、それが何故だったのか、少しそれを熱が冷めないうちに整理して書いてみようと思う。

ただ、僕は櫻坂46をずっと追っていたわけではなく、六本木ミュージアムでやっていた「新せ界」や冠番組は観ているが、ツアーとかはほとんど行っておらず、(これは本当は行きたいのだが、金銭的なことも鑑みて)横目でみていた程度なので、熱狂的な人達からはズレがあるかもしれないと注釈を打っておく。

今日の知見

動的な一体感

※僕は日向坂46が好きでよくみにいくので、相対的にはなってしまう

「一体感」とよく言われるが、僕がよく観に行く日向坂46のライブにおける「一体感」はコールであったり、ペンライトを揃えたりすることだと思っていたのだが、その「一体感」の作り方として、櫻坂46のライブにはもう一つ「動的な一体感」があるなと思った。

「動的な一体感」とは、つまり、観客の身体的な運動を伴う一体感である。

例えば、「Start Over!」の前奏でメンバーがジャンプをするところに合わせて、観客が同じようなジャンプをする、通称「スタオバジャンプ」

「静寂の暴力」での観客のほとんどがペンライトを消して、静かに曲を聴き、ダンスを観るに集中する。

「マンホールの蓋の上」(だったかな…?)前の手拍子

普段、日向坂46のライブを観に行く僕はこの「一体感」の作り上げ方にもう一つ、方法があったことに新鮮さを感じた。

この「動的な一体感」は、もしかしたらファン発なのかもしれないが、何か櫻坂46の楽曲やライブ演出の手のひらの上感を感じ、そしてそれに心地よさを感じた。

もちろんメンバー達は「ファンの皆さんと創り上げる」というのだろうけど、僕は明らかにメンバーや楽曲、ライブ演出に操作されているように感じたし、5万人のファンを同じ動きに統一させる良い意味での強制力に、櫻坂46の強さがあるように思う。

「静寂の暴力」では、前の楽曲では、どうしても上手と下手にある大きなモニターを観てしまっていたものが、会場全体で行われていたグラフィカルな演出を消し、ファンもペンライトを消したり、静寂を作ることによって真ん中のダンスステージに集中せざるを得ない状況(=真ん中のステージを自然に観てしまうような視線誘導)を作りだしていたように思う。

左右のモニタと真ん中に横断するステージ

そして、あくまで、櫻坂46のライブはあくまで観客は作る側ではなく、受け取る側であり、操作される側であるということを私は自覚させられた。
※もちろん、これは個人の見解です

2年前の東京ドームでは、観客に対して「オープニングはペンライトを消してください」と指示が出ていたような気がするが、本当にやりたかったのは、今回の東京ドーム公演のようなことだったのではないか?

観客は、その操作されているのに気づかず、いや、気づいているとしても、それはとてつもなく心地よく、受け入れられるように取り込まれて、ファンの熱狂と行動変容にまで持っていくその巧みさに驚いた。

「桜月」のアクセント

櫻坂46の表題曲は、ほとんどがかっこいい系なのだが、その中で、櫻坂46の表現の幅や全体のライブ構成のメリハリとリズムを作っているのが、「桜月」だと感じた。

森田ひかるや藤吉夏鈴、山﨑天などがセンターの「Start over!」や「何歳の頃に戻りたいのか?」「Nobody's fault」などの曲の中で、「桜月」はライブの構成において同じようなリズム、連続的な流れで来てしまう中で、そのリズムを一旦止めるアクセントを持っていた気がする。

もちろん、良い意味での「一旦止める」であるが、センターが守屋麗奈であることや「桜月」の美しさによって、

「あぁ、こんな表現も出来てしまうのだ…」

と今まで連続的であったものに、一つ「桜月」が加えられることによって、櫻坂46の表現の幅の広さを痛感させられる。

ライブの構成まで考えると、表題曲として持っている楽曲は、アップテンポで盛り上がる曲だけではいけないのだろう。

センターの表現力

櫻坂46の表題曲全体を観ると、前に挙げた森田ひかる、藤吉夏鈴、山崎天がセンターの中のセンターというか軸にあるように思う。これなんか怒られそうだけども。

その方々の表現は、もう言わずもがな圧巻という感じ。

オープニングの山崎天の登場、そして、その弱さを全く感じさせない振る舞いや表情は、鳥肌が立つほどだった。

ただ、ここで焦点を当てたいのは、前に述べた守屋麗奈などそれ以外のセンターの存在だ。

「流れ弾」の田村保乃、新曲「自業自得」のセンターの山下瞳月、あとは表題ではないが、「油を注せ!」の武元唯衣。

例えば、山下瞳月は、3期生で初センターというのにも関わらず、一切の不安を感じさせない堂々たる立ち振る舞いとパフォーマンスだった。見せかけの自信でもない、確かな自信に思えた。

もちろん不安はあったのだろうが、櫻坂46のパフォーマンスにおいて、ここを崩すと世界観は壊れてしまう。

守り抜くといったら受け身な感じになってしまうが、3期生はもはや櫻坂にとっての最強の武器、語弊を恐れずいえば、一期、二期を超えると思わせしめる自信が見えた。それはファンに対して乗る船を決して間違えてはいない信頼感と安心感を与えるものだったと私は思う。

武元唯衣の「油を注せ!」や他の楽曲パフォーマンスも、
「あぁ、この子なら表題曲のセンターも想像できるなぁ」
と思わせてくれるほどに表情やダンスパフォーマンス、歌唱に至るまでの表現力が素晴らしかったと感じた。

そして、それらを観ていて感じたのは、極論だが、
「もうあとは櫻坂46は様々な楽曲を増やせばいいだけだな」
ということ。

軸の3名を活かしつつ、他のメンバーもセンターに添えて楽曲の振り幅を効かせれば、
連続的なリズムに静止を加える「桜月」にプラスして更に色んなリズムを作ることができるように感じた。(ここは超個人的な意見かつ素人意見だと思う、そもそも軸が三人なのも主観)


最後に

海外進出成功の可能性を垣間見た気がする。
というのは、今までももちろんIZ*ONEやLE SSERAFIMのように韓国のアイドルの中に、数人、日本人が入って成功する例は見ているが、日本のアイドルグループの世界進出という意味では遅れを取っており、純粋な日本のアイドルグループが本当の意味での世界的成功、世界的人気を掴むところには、まだ達していない。その方法を考えあぐねている状況だと思う。

その中で、櫻坂46が自らの表現力だとかそういったところで日本のアイドルグループが世界的に人気になる方法、抜け道、可能性を見せるのではないかと思うと楽しみだ。たぶん、その時は日本のクリエイティブが詰まったグループになっていることだろうと思う。

他にも、これまで櫻坂が歩んできた道のりとか衣装カッコ良すぎるとか美しすぎるとか熱狂やべえだとかそういうことはあるのだが、ひとまずこれで。

何かと知らないことが多いので、異論があるかもしれないが、僕が知らないだけなのでお見逃しください。あくまで僕の忘れないためのアウトプットということで…

以上。

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