怠惰(ショートショート?)
俺の人生において「あのときは頑張った」といえることはいくつあるだろうか。
こんなことを考えてしまう時点で俺は頑張っていないだろう。
まったくもって愚かである。
俺はたいへん怠惰な男なので、中学校の文化祭でも隙あらば保健室へ逃げ込み、そこがダメなら便所に籠り、高校の体育祭では仮病を使い家に籠り、そうして生きてきた。
そんなもので、俺は団結力なんて無いし、青春なんて知らない。
「おーい、来ましたよ。牧野」
というのは、友人の木津根である。
彼女はすこし狐目で男の格好を好んでする、すこし面倒臭い人間で、俺の家まで片道一時間、わざわざやってくる面倒臭い女性である。
「また、だるそうにしてますね。さすが〝怠けのトウマ〟ですね」
「うるせー……」
「あ、そだそだ。これ、たこ焼きです。熱々ですので、食べるときはよく冷ましてから食べるように」
これは……最近話題の〈白銀のたこ〉という店のたこ焼き。
チーズもあるのか。
「ありがとう」
俺は素直に感謝の言葉を述べることにした。正直、チーズは苦手、というか六歳の頃まで軽いアレルギーのような症状があったため、今でもチーズの摂取に抵抗がある。
「いえいえ。牧野はたこ焼きが好きだと聞いたので」
俺が誰から、と聞くと木津根は「聖なる母から、ですかね」といたずらに笑った。
面倒臭い……というか、どうやって俺の母と縁を持った。連絡先など教えていないのだが。
「僕の情報網を甘く見ないでください」
「はぁ……面倒臭い…」
「今日は休日ですよ。昼間からこんな薄暗い部屋でごろごろしてないで、外へ出ましょう。ウォーキングしましょうよ、ウォーキング」
「黙れ。未来永劫黙れ。俺は、毎日が日曜日なんだ。休日も平日もあるか。第一、わざわざ疲れてどうするんだ。疲れる意味が皆目わからない」
「またまたそんなこと言って。タカダスポーツでランニングシューズを買っていたでしょう?」
そんなことまで知っているのか、この女は。なんだこいつは、ストーカーか。だとしたら、並みのストーカーじゃないな。
「いつの話だ」
「一昨日の話です。ダメですよ、岩手にいるうちは僕の目から逃げれませんからね」
「なぜお前はそこまで俺につきまとうのだ。詰問したい。真っ当な青春を送る気はないのか?」
「僕もこう見えて岩大生ですからね。恋なんてもうしています」
「俺は余興か」
「いいえ。本腰です」
俺はたこ焼きを頬張った。
…ん? 今なんて?
「あつ!?」
「だから言ったじゃないですか、熱いから気を付けてくださいって。阿呆ですね、本当に…………四年前からずーっと、変わらない」
〇
岩手県盛岡市の盛岡城跡公園内に鎮座する、 櫻山神社。無病息災、健康祈願のご利益が望まれる神社である。
俺は昔からこの神社を見て育ったが、中に入ったこと二度しかない。
そして今日も入る気はない。
なんだか、入ろうとすると頭がくらくらしてきついのである。
「今日も来ました!」と木津根が元気よくカフェの扉を開け、挨拶をぶちかました。
「あら。キツネちゃんじゃないの。そちらの男性は?」
蠱惑的な美女が俺に視線を向けてきた。面倒臭い……ただのカフェだろ。
なんで自己紹介しなくちゃいけないんだ。
「えっと、牧野豆磨って言いますね。あれ。豆磨でしたっけ?」
「豆磨だよ……てか、なんで知ってんだよ……」
名字しか教えてないというのに。
そもそも〝怠けのトウマ〟なんて高校時代のあだ名、なんでこいつがしってんだ。侮れないな、こいつの情報網。
「マキノ君って言うのね! よろしく、私はマスターの宇佐木っていうの」
「よろです」
適当に挨拶をすると、木津根につねられた。
「初対面に対して礼儀がなってませんよ」
「面倒臭い」
「もう。そんなだから、目の下に熊ができるんだ」
「どうでもいい。こんな顔、誰が見るでもないんだ」
「あらあら」
店の中を見渡すと本棚がやたらと多い。
「本が多いな」俺は木津根に問いた。
「本棚喫茶を売りにしていますからね。ここ、〈本棚秩序〉は」
「…ちゃんと客入ってる? その店名はなかなかないぞ……」
俺でもつけんわ。
「そうかしら? 格好良いと思うのだけれど」
「牧野の感覚はずれてるので」
まぁ、感性は人それぞれだし、口を出したら面倒臭いことになるからな。
あー、眠い。もうちょっと寝かせてくれても良いのに。
俺があくびをすると、マスターは一冊の青い本を差し出してきた。
「…「怠惰」……?」
「わあ。今の牧野にピッタリじゃないですか、それにしても作者は誰なんですか?」
「たまたま拾ったの。叔父の家の押し入れでね」マスターはこの本との出逢いを思い出したのだろう。くすりと笑いながら言った。「著者は不明よ。もしかしたら叔父かも」
「書き手不明の謎の本……面倒臭いな」
「牧野って人生楽しめてるのでしょうか」
少なくとも無駄にテンションあげるよりも楽しいぞ。毎日が刺激と興奮の六畳間。おすすめ。
「……この題名で、青春小説か」
「あと同じような本が六冊あるわよ。「傲慢」「憤怒」「嫉妬」「暴食」「強欲」「色欲」ね」
「七つの大罪か……」
この小説は大正時代がメインで、主人公は怠惰であまのじゃくな無職の男で自分の人生を書きなぐったような作品になっていた。
言葉で殴られるというのはこの事を言うのか。最高じゃないか。
「他の六冊はもう他の人にあげちゃったんだけどね。みんな、タイプは違えど、悩める子羊だったわよ」
「青春なんてそんなものだ。迷えぬ青春も楽しいものだが、迷えてこそ真の青春といえよう…」
「あら。小説からの引用?」
「ん? うちの家訓だが」
「え?」
「は?」
〇
九月十四日。
盛岡秋まつりではさすがの俺も屋台のたこ焼き欲しさに外に出る。
すこしばかりうるさくかなりめまいがするが、そんなこと気にせず外に出る。
そうして木陰で休みながら藍色に染まって行く空を見上げた。
秋もまた良し。たこ焼き旨し。笑えよ人生。
「大上ッ!! じゃない!」
見るからに冴えないような男が人探しをしていた。今の俺は気が良い。
人探しくらいなら手伝ってやらんこともない。それにこちらには最強の情報網があるのだ。
「ちょいとそこの男や」
「なんだ?」
すこし息を切らせたそいつは俺に振り向くと、忌々しそうに俺を見た。邪魔をされたのだから仕方がないことといえよう。
「人探しならば私も手伝おう」
親しくない有象無象には「私」を使っている。
「はっ? おまえ、大上の容姿を知っているのか?」
「特徴さえ教えてくれれば、探して見せよう。こちらには最強のストーカーがいるのだ」
「ストーカー!? まぁ、良い……確かに、人探しはストーカーの本分か」
「そういうことだ。どうだ? いっちょ私に賭けてみないか?」
「よし。乗った。もし見つけられなきゃしばき倒すぞ」
「しばかれるのは面倒臭いな。見つけてみせよう」
母から木津根の電話番号を聞き出し、電話を掛けた。
『もしもし。こちら木津根です』
「俺だ」
『あっ! 牧野じゃないですか! どうしたんですか?』
「おまえ、今どこにいる?」
『八幡宮の参道ですね』
「ちょうど良い。今から言う。特徴の女を探してくれ。人探しを頼まれてしまった」
『良いですよ』
「じゃあ言うぞ──」
約五十分後か、そのくらい。木津根はその女を連れてきた。
恐ろしきかな、ストーカーパワー。
「すごいな、お前のストーカー」
「ストーカーとは恐ろしいものだな。特徴さえわかってしまえば見つかるのか」
「うるさくて銀髪なんて、この人しかいませんでしたからね。簡単でしたよ」
「うるさくて銀髪……ああ、見つけやすいな」
「あっ、先輩! 見てください、大豆のぬいぐるみ当てました」
「大豆のぬいぐるみなんて需要あるのか…?」
こうして一組のカップルの逢瀬を手伝い、そこに残ったのは俺と木津根であり、俺はもう動く気力を失い気にうなだれていた。
「あっ、知ってました? 秋の花といえば金木犀ですが、金木犀の花言葉には「真実」という意味があるんです!」
「そうなのか。知らなかったな」
「その他に「気高い人」というのもあるのです!」
「ほー。物知りだな」
「牧野を花で表したらそうですね……まさしく「松葉菊」ですね」
「紳士的、謙遜、という花言葉か」
「いえ。「怠惰」「怠け者」という花言葉です」
そんなことだろうと思っていたがな。
「あ、そうだ。この後牧野の家によって良いですか?」
「我が神聖なる六畳間を汚すことは絶対に赦さないからな」
「……前々から思ってたんですが、牧野はどうして六畳間をそこまで支持しているのですか。手狭じゃないですか」
「はッ、阿呆を露呈したな。七畳半、八畳それ以降だ、五畳半、四畳半だのは大きすぎると孤独感を再認識してしまう。小さすぎると閉所恐怖症の俺には持つことすら叶わない。そこで、六畳間だ。六畳間はちょうど良い。広くなく、狭くもないうってつけの空間だった」
「熱弁ですね」
「熱弁だ」
まつりというのは不思議なものだ。
いつもは笑わない寡黙なおなごもいつもは真面目な我利勉少年もいつもは怠惰な六畳間主義者も、愉快な気持ちにさせてしまう。
「そうだ、たこ焼き買ったので一緒に食べませんか?」
「よかろう」
家に帰りつく頃には空はもう暗くなっており、ちらちらと星たちが歌を歌っていた。
それがたいへん美しくて、俺はなんだか微笑んでしまった。愛想笑いすらできない俺であったが、このときばかりはまつりの雰囲気につられて笑ってしまった。
まつりとはたいへんよいものである。
〇
数日に賭けて行われる盛岡秋まつりの後、俺は〈本棚秩序〉へと足を運び、本を読み、明太子スパゲティーを食べた。
ウォーキングなんか、出来やしないがまずはジョギングから始めてみようかと思い、徒歩での行動を多くするようにした。
朝から動くというのはなかなか馬鹿にできない。するとしないでは涌き出る活力が違うのだ。
「マキノ君、最近目の下の隈消えてきたわね」
「そうすかね」
「そうよ。最近何かした?」
「最近……秋まつりに行きました」
「無病息災、健康祈願のご利益かしら?」マスターはうふふと笑うと俺の目を見て頷いた。「ちょっぴり真っ直ぐになったわね」
「まるで私が曲がっているような物言いだ」
「曲がってるわよ。綺麗にね」
「否定はできないのだけれど。あまり客にそんなこと言うもんじゃない…面倒臭いことになりますよ」
カランカランとドアベルが鳴るとそこに木津根が現れる。
「あれっ。この時間に居る! 脱引きこもりですか」
「面倒臭い奴が来たな……」
「またまたあ。そんなこと言って、僕が来てくれて嬉しいんだろ」
「冗談きついな」
俺は鼻で嗤って見せた。
「なんで、牧野はそんな人に嫌われる行動を率先してやるんですか」
「なにをいうか。答えは明確だろう」
俺はヘラッと嗤って言ってやる。
「これが俺の生き方だからだ」
嫌われるのは楽だから。それが理由だ。
これこそ、怠惰な男の怠惰な生き方である。