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私の発言 美濃島 薫氏 シンセサイザのように光の優れた性質を自在に操り, 力を極限まで引き出し,幅広く科学技術に貢献したい。

電気通信大学 美濃島 薫

1993年 東京大学大学院 理学系研究科 物理学専攻 博士課程 修了。博士(理学) 1993年 通商産業省 工業技術院 計量研究所 研究官 1996年 フランス・ボルドー大学 客員教授 2000年 アメリカ・マサチューセッツ工科大学客員研究員 2001年 産業技術総合研究所 主任研究員 2007年 東京理科大学連携大学院 客員教授 2013年 電気通信大学大学院情報理工学研究科 先進理工学専攻(現,基盤理工学専攻)教授(~現在),JST ERATO美濃島知的光シンセサイザプロジェクト 研究総括(~現在)
●研究分野 光コム,超高速光科学,精密計測
●主な活動・受賞歴等 2008年 科学技術分野の文部科学大臣表彰 科学技術賞(研究部門) 2010年 応用物理学会 第1回女性研究者奨励育成貢献賞(小舘香椎子賞) 2011年 日本学術会議連携会員(~現在) 2011年 CLEO国際会議実行委員長 2013年 レーザー学会論文賞 2013年 文部科学省 科学技術・学術政策研究所 科学技術への顕著な貢献2013(ナイスステップな研究者) 2014年 応用物理学会フェロー表彰(応物フェロー) 2015年 OSA Fellow表彰 アメリカ光学会(The Optical Society) 2017年 レーザー学会上級会員 2018年 レーザー学会理事 2019年 応用物理学会理事 2019年 2019 Hermann Anton Haus Lecturer, RLE, MIT

不思議への興味,宇宙や相対論から光の世界へ

聞き手:まず光学分野に興味をもたれたきっかけについて教えていただけますか。

美濃島:子どもの頃から,地球や人類,生き物の歴史を含めて自然界の成り立ちなど,不思議なことに興味があり,研究者になりたいという気持ちはずっとありました。その中で興味をもったのが星でした。それまであまり星というものを意識していなかったのですが,あるとき空をよく見てみると,ただ背景のようにあると思っていた星の光にパターンがあることに気づいて衝撃を受けました。調べてみると星座や星に今まで知らなかった仕組みがあることがわかり,とても興味を魅かれました。それが1つのきっかけでした。
 高校では地学部に入りました。地学部では,地質や気象,天文などの班があり,そこで出会ったのが相対論です。相対論は速く動けば時間が遅れるとか,双子のパラドックスとか,常識で考えると非常に不思議な世界です。さらに調べていくと,E=mc2でも表されているように,相対論を貫く軸に光があり,光は何でこのような特別な役割を与えられているのだろうと,ますます魅かれていったのです。
 そういった光に関する興味がベースにあり,その基礎となる物理を研究したいと思って,大学では理学部の物理学科に進みました。研究室を決めるときにも,さらに光分野について調べていくと,医療や通信など身近な社会・産業の技術に対しても光が有効であることがわかり,今度は光の奥深さに驚かされました。それ以来,光を軸にして研究を続けていくことになりました。
 私が大学のときに研究していたのは,フェムト(1000兆分の1)秒~ピコ秒というパルス幅を持つ超高速の超短パルスレーザーです。超短パルスを有機材料や半導体材料に当て,フェムト秒という短い時間だけ物質に変化を起こさせ,それが緩和して時間応答していくのを測るという研究です。手製の色素レーザーを用いていたので,毎回,実験の最初には循環用チューブを洗って色素を交換するところから始め,部屋いっぱいに広がる複数の大きなテーブルに分かれて組まれた光学系を順に調整し,1週間寝袋を敷いて泊まり込み,データを取り始められるのは週の後半というような大変なものでした。このように,安定な超短パルスを再現性よく出力して利用するというのからは程遠かったのです。
 就職先は通産省工業技術院の計量研究所でした。国家標準を担う研究所で,すべての研究において光が使われており光の重要性の認識を新たにしましたが,超精密な連続波レーザーばかりで,その中で,超短パルスレーザーを研究しているのは私くらいのものでした。当時,一定の出力で連続発振する超精密な連続波レーザーと,私の研究していた一瞬だけ光る尖頭値の高い超短パルスレーザーとでは,まったく対極にあるような世界でしたので,私はいわば異端児のようなものでした。実際は,数学的にはフーリエ変換の関係にありますから,理想的には,ある成分を取り出してみれば,きれいなコヒーレンス長の長い光であり,それを重ね合わせて超短パルスの列ができているわけですが,当時のレーザーでは,出力される個々のパルスの特性はばらばらで,パルス列の中のパルスどうしのコヒーレンスを考えるには程遠い世界でした。それでも,超短パルスレーザーを精密な世界で使うというテーマで研究を進めていきました。若手がなぜそんな将来性のない研究をしているのかと言われたこともありましたが,やめようとは思いませんでした。自分としては超短パルスレーザーに様々な可能性を感じていて,それが使い尽くされてないという思いがあったからです。

光コムが独立して発展してきた科学技術分野を融合した

聞き手:先生の超短パルスレーザーの研究が,現在の光コムの研究にどのようにつながっていったのですか。

美濃島:流れが大きく変わったのは1999~2000年で,米独の物理学者らのチームが,超短パルスを発生するモード同期レーザーを光コムとして用いることに成功したのです。  光コムというのは,周波数軸上で多数の離散的な周波数成分ごとの強度分布(スペクトル)が精密かつ等間隔に並んだレーザー光源です。その形がコム(くし)に似ていることから光コム(光周波数コム)と呼ばれます。規則正しく並ぶくしの歯を数えれば,極めて精密な物差しになります。しかし,それは光コムの特徴の一面に過ぎません。光コムは,周波数という軸で見ると,くしの歯一本一本が一定の周波数で振動する超精密な連続波レーザーですが,時間軸で見ると一瞬だけ超高速に光る,極めて安定に制御された超短パルスレーザーなのです。まさに,これまで相容れないものとして直交して発展してきた科学技術分野が,各々究極を極めると融合できるのだということを,身をもって体験した瞬間でした。
 私の現在の研究は,光の可能性を使い尽くすことに目を向けています。それを「知的光シンセサイザプロジェクト」と呼んでいます。シンセサイザはいろいろな音楽を一台の楽器で作り出すことができますが,その光版だと思ってください。光のすごいところは,単に周波数や強度だけでなく,時間,空間,位相,偏光,コヒーレンス,空間モードなど,多彩な性質をもっていますが,そのすべての光の性質を自由自在に扱う技術が光シンセサイザです。しかも,目的や環境に合わせ光自身が適応し形を変えてくれる。それが知的という意味です。光のもつ圧倒的な高速性と制御性,多次元の高精度性とダイナミックレンジを活用することで,あたかも知的であるかのようにふるまう技術を実現できると考えています。
 知的光シンセサイザプロジェクトでは,光コムの基礎技術の研究から,光コムならではの制御や信号取得技術,そして様々な分野への応用を目指した技術の開発まで,何もないところに一つひとつ点を打ち埋めていき,面として広げ,今やっと山が見えてくるところまで来ました。
 最近の成果として,デュアルコム分光法を利用した磁気光学効果測定装置の開発や,光コムを用いた新しい瞬時3次元イメージング法の開発があります。デュアルコム分光法は,コムの繰り返し周波数(くしの歯間隔周波数)がわずかに異なる2つの光コムを用いて,広帯域の光周波数信号を同時取得する分光手法で,近年注目され研究が盛んになってきてています。これまでの研究では,主に気体の分光分析への応用が示されてきましたが,固体材料の物性評価に世界で初めて成功し,磁性材料の特性評価に必要な磁気光学効果測定装置の開発まで進めました。瞬時3次元イメージングは,微小なものから巨大なものまで様々なサイズの物体の3次元画像を,マイクロ~ナノメートル級の高精度で一瞬に撮影できるというものです。もともとの原理は,計量研に入った当時に考えた,超短パルスレーザーの,いわば虹のボールであるチャープパルス光を測定物にあて,フェムト秒という瞬時のうちに,その奥行き空間情報を返ってくる光自身の遅延時間情報に変換し,さらにその色情報に変換するという瞬時多次元情報変換技術です。3次元形状イメージを光の色画像としてカメラで撮影することができる手法で,1994年に論文を出し,特許を取得したものでした。しかし,当時は高安定な超短パルスレーザーがなかったので,実現にはパルス列でなく単独のパルスのみを用いており,測定範囲が限られるとともに大型で高強度なレーザーが必要でした。この手法を,光コムの力を使って,もう一度自分の手で生き返らせたいと電通大で研究を再開し,精度と範囲と速度を両立させる高性能と小型化を実現し,実用性に優れた技術を開発することができました。

美濃島知的光シンセサイザプロジェクト

時間をかけて深く考え,自分の考えを人に話してみる

聞き手:研究・開発をされていくなかでは苦労されたことも多かったと思いますが,困難をどのようにして乗り越えられたのでしょうか。

美濃島:どんなことでも苦労はあり,何事もなくうまくいくことはありません。ときには打ちのめされるようなこともありますが,それでもやめようとは思いませんでした。研究者は基本的にあきらめが悪い人が多いのではないでしょうか。
 どうやって乗り越えるのかですが,学生によく言っているのが,目の前のことをあきらめずに続けることと,同時に自分の視野を広げることです。この両面が大事だと思います。困難があってもそれでもやりたいという思いをもって突き進むためには,覚悟をもって取り組むことが必要です。何事もある程度時間をかけて向き合い,熟成させて深く考えていかないとできません。しかし,同時に視野を広げることも必要で,それには人と話すことが有効です。相手は家族でもいいし,友だちでもいい。別に内容を相談するというのではなくても,自分の考えを話すことが大切です。そうすると,自分の中の考えがほぐれて,整理されてきます。もちろん,その前には深く考え,継続してやってきたことが頭の中に蓄積していないといけません。それが話すことで再構築され,ストーリーとしてつながっていき,解決策やヒントが見つかるのです。
 私の研究室では,学生ごとに違うテーマを研究していますが,もちろん根のところではつながっています。ですから,隣りの人がやっていることでも自分のテーマだと思って話をしたり聞いてみたりするようにと,最初に全員に話しています。そうやって視野を広げると,自分の研究のヒントにつながることがあります。単にわからないことを先生やわかる人に聞くだけでは,その瞬間はわかったと思ってもすぐ忘れてしまいます。しかし,自分で苦労して,ああでもない,こうでもないと,いろいろ経験したことをいっぱい詰め込んでおくと,それは消えません。例えば,友だちに話をすると,友だちは答えを教えてくれるわけではなくても,自分の中で詰め込んできたことの組み替えをすることができるのです。そのときわかったことは点にしか過ぎませんが,それが線や面や立体となって自分の脳を変えてくれるのです。そういったものが自分の中にどれだけあるかで人間の価値が決まりますから,無駄な経験はありません。学生時代に与えられたテーマは,ある意味,例題のようなものですが,そこで悩みながらしっかり深掘りできれば,そのプロセスが自分の中に蓄えられ,まったく違う研究や仕事に取り組んだときにも,それが応用され活かされるのです。

女性であることはマイナスではなく重要なキーワードのひとつ

聞き手:研究をしていく上で,女性ならではのよさや男性との視点の違いなどありましたら,お話しいただけますでしょうか。

美濃島:このようなことは,いろいろなときに聞かれます。女性ならではの研究内容というようなことはまったくないですが,女性であるということは間違いなく私を形作っている重要なキーワードの1つではあります。私は1980年代に東大に入りましたが,その年は,東大では文系も含めて,女子学生の入学者が初めて1割に達したとニュースになっていました。私は公立女子高の出身でしたが,大学に入ってみたらまさに男子大でした。私が入ったのは工学部や理学部へ進学する理科Ⅰ類でしたから,特に女子が少なかったのです。入学時は教養学部で駒場でしたが,上の学年の女子学生が,新入生を集めて最初にオリエンテーションをしてくれました。それは何かというと,トイレの場所についてでした。授業により教室が変わるのですが,すべての建物に女子トイレがあるわけではなかったのです。まさにカルチャーショックで,とんでもないところに来てしまったと思いました。さらに,3年生から本郷の理学部物理学科に進学しましたが,最初に名簿を渡されました。一学年で65人だったと思いますが,私のところに○がついているのです。なぜだろうと思い,ほかに〇がついている人がいないかと探すと,もう一人だけいました。その人は今でも親交がありますが外国籍の方でした。よく見ると,“外女”と書いてあり,いわば注釈のように〇がつけてあったのです。少数派であることを痛感させられた瞬間でした。卒業して計量研に入ったときも同様でしたし,現在でも委員会や学会に行くと,部屋に女性が私だけということがよくあります。今は気にならなくなりましたが,若い頃はその状況について,疎外感を感じたりマイナスとばかり考えていました。
 しかし,国際学会に出るようになってから,その気持ちが変わってきました。海外出張に行くときには,その近くの有名な先生や研究室を必ず訪問するようにしていました。論文でしか知らない先生に,いきなり手紙やメールを出して会いに行きました。そうすると,海外では女性ということがマイナスというよりも,むしろ少ないということで,温かく迎えてくれ,覚えてもらえるのです。また,国際学会に行くと,知らない女性の研究者が話しかけてくれたりもします。そのおかげで友だちや仲間がたくさんでき,ネットワークもできました。女性研究者であることは,ありふれない属性の一つであり,情報のあふれる現代社会においては,むしろ強みの一つになりうると思えるようになっていったのです。
 加えて,学生の頃からこのような状況に置かれていたことは,日々,覚悟と勇気を身につける訓練を自然と受けてきたようなものだと思います。自分なりの違う視点をもって研究に取り組むには,やはり覚悟と勇気がいります。結果がうまくいくかはわかりませんし,先に何が待っているかもわかりません。人生をかけているようなものです。理系女子学生,そして女性研究者という環境の中で,それを日々訓練されてきたことは,私の強みになっていると思います。

光はメインプレーヤーであり,世界を変える力がある

聞き手:光の魅力を含め,光学を学ぶ学生や若手技術者に向けて,メッセージをお願いします。

美濃島:電通大は光の研究が盛んで,光を研究している女性研究者も大勢います。また,年に延べ5日間ある研究室公開では,電通大の学生だけでなく,高校生や中学生,一般の方も来ますが,光の分野の研究室が連携して公開し,光の重要性を知ってもらおうとしています。光分野はものすごくすそ野が広く,まさに光シンセサイザという言葉はそれを表しているわけですが,光が関与していない科学技術分野を探すのは難しいくらいです。しかも,単に関係しているだけではなくて,横串として根幹をなしています。例えば,ノーベル物理学賞やノーベル化学賞などの歴代のテーマや受賞者を見てみると,光に関係していないものを見つけるのは困難なくらいです。米国光学会OSAのサイトでは,歴代のノーベル賞でOSAの会員や光に深く関係するテーマの受賞者を70~80人挙げています。
 光は宇宙,地球や人類の誕生にも必須の役割を果たしました。ですから,私たちの存在そのものの根幹に光があるわけです。しかし,科学技術として考えると,大きなポテンシャルがあるのに,いまだに使い尽くせていません。私がERATOのプロジェクトでキャッチフレーズにしたのは,「光をメインプレーヤーにする」ということです。そのためには,光をシンセサイザとして,ありとあらゆる性質を自由自在に扱えるようにしたいのです。ただし,現状としては,人類は光のすべての性質を使い尽くすことはできておらず,思いどおりにコントロールして光を操る技術はまだまだ不十分です。さらに,技術を高めていき,光の力を極限まで引き出し,その性質をトータルに発揮させ,光を知的な生き物のようにしていくことができれば,科学技術のメインプレーヤーとして,様々なところに恩恵をもたらす存在になれると思っています。生き物はトータルなシステムとして様々な要素や機能がつながって成り立っています。光も同じで,多彩な性質をもっており,それを使い尽くせば幅広い科学技術に貢献できる。それだけのポテンシャルがあり,光には世界を変える力がある魅力的な分野だと思っています。

(O plus E 2020年3・4月掲載,肩書などの情報は掲載当時のものです)


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