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死んだら服も着られない。

幼い頃からずっと、装うことに人一倍執着があって、かつそんな自分を少しだけ恥じていた。毎日コーディネートを考えるのがワクワクする反面、「自分は見た目ばっかり気にしてる、中身がない」なんとなくそんな風に感じていた。

誰かに何か言われたわけではないけれど、両親はアカデミックなタイプだったし、一族の中で爪の色がどうとかトップスの首元の空きがどうとか言ってるのは私だけだった。

両親から見て、トレンドの移り変わりの激しいファッションの世界は、それはそれは軽薄なものだったのだろう。幼い私がその視線を無意識にトレースしてしまったのは当然のことだったと思う。

だから、私は私が愛している世界を、片方では実は軽蔑してもいた。

大学3年の時、ロンドンのファッションの学校に留学した。イギリスはエシカルファッションの考え方が当時からかなり進んでいて、授業でもしっかりとそれを取り入れていた。

そこで知ったアパレル業界が地球環境に与えるインパクトや、生産の背景にある労働の搾取などの社会問題。コットンを生産するにあたって使われる農薬や、化学染料が職人に与える健康被害。

やっぱりなと思った。

人間がシンプルに持つ装うことへの欲求。

それがこんなにも、世の中にネガティブな影響を与えている。

はーん、やっぱりね。ファッションを愛するのは間違っていることなんだ。

神よ、人間というのは設計ミスな生き物ではないですか?

その矛盾する思いと、人類として地球で生きる罪悪感を抱えたまま、私はインディペンダントなドメスティックブランドに就職した。

ファッションが好きで、今の時代性を愛してはいたけれど、履いて捨てるようなトレンド、ワンシーズンで廃棄が前提のようなサイクルからは、距離を置きたかった。

そんなわたしが就職したのは、1970年代にいち早くパリコレデビューし、そのまま伝説のようになったブランドだった。

本当は自分がものを作りたかったけど、これ以上、「いつか棄てるもの」をこの世に生み出してどうする?と罪悪感があり、販売の仕事に就いた。

その10年間は、自分が奥底に持っているファッションへの軽蔑を、毎シーズン新作をバンバン購入されるご顧客さんにぶつけないようにするという、愚かな自分との戦いだった。

顧客さんのほとんどは60〜90代までのご年配で、ほとんどビンテージのような古いの服をいただいたり、入院中にお手紙をいただりと、かなり密にお付き合いをさせてもらった。

その仕事を続ける中で、お客様が口を揃えて言われる言葉がある。

「死んだら服も着られへんわ!笑」

冗談まじりでも、自分の終わりをイメージしたことのある人の口から出る言葉には、説得力があった。

私はだんだんと理解した。

装うことに正面から向き合えていないのは、自分だけじゃなかった。

服はもう沢山持ってる、着こなせるか分からない、近所から浮いてしまうかもしれない、少しでも家族に財産を遺した方がいい。

お客様も、みんながみんな罪悪感と、自分自身と戦っていた。

あらゆる合理性を飛び越えても、むき出しの自分でこれを着たい。自分の身体に似合わせてみたい。誰かによく思われたいなんてとっくに捨てて。私には、みんな身体を持ってここに存在していることを、証明しようとしているかのように見えた。

癌で闘病中の病床から、「今季は綺麗な色のブラウスはある?」と電話をもらったり、

抗がん剤で髪の抜けた頭を隠すために、一番似合う帽子を一緒に探したり。

マニュアルではデザイン変更となるため禁止されているスカートの丈詰めを受けて、その後、何年にもわたって「あなたが完璧に直してくれたのよ。私が死ぬまで辞めないで〜」と言ってもらえたり。

「遺影用にこのジャケット、二色買うわ。遺影、二色展開」なんて、ハイレベルなブラックジョークで笑わされるたびに、だんだんと、本当に少しずつ、わかってきた。

私たちのような人種にとって、新しい服を買うことや、毎日着るものを並々ならぬ熱意でもって選んでしまうことはただの楽しみ以上のもので、ほとんど「そうせざるを得ない」ことなのだ。

そしてそれをしないことは、大義ではサスティナブルに思えたとしても、自分という借り物の身体、魂をぞんざいに扱うという意味においては、ちっともサスティナブルじゃない。

そうわかったとき、自分がものを生み出してもいいんじゃないかなと思えた。

目の行き届く規模で、再利用可能な材料で、長く使える品質とデザインで。過剰な生産による廃棄の分までを上代に上乗せしない価格設定で。

私は自分でものを作って売っていくことにした。

どんどん消費しましょうなんて意味では全くなくて、少しでもエコに配慮したブランドを選んだり、知識の更新をおざなりにせず、大切になおしながら長く愛すること。

それらを発揮しつつ、自分を尊ぶことも忘れちゃいけない。

自分を何度も救ってくれたファッションの歴史をつくってきた偉人たちの財産を、負のものにしない。

身体がある期間は短くて、それを飾れるのは今だけだから。





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