運命雑感 ワクワクを強要される社会で
ニーチェの本を読んでいると僕のような散漫な読者でも、どうしても運命という観念につきあたる
ただ“わたしは一個の運命である”っていわれても、これがよくわからないのであった
これはニーチェの考えに中にある自由意志の否定とか永劫回帰などの思考からの帰結であることは、なんとなくわかりはするが、それを“一個の運命”として前面に出してしまうと、非常に頭がぼんやりしてしまうのだった
運命というとどうしても“運勢ランキング占い”とか“開運”とか“ツキをよくする方法”が頭を占領する
ただいうまでもなく運命というのは個人の意思ではどうにもならないことのことをいうのでそれを個人の意思で“良く”するということはできないはずなのである
まあ、そういったこととは別個にやはり運命という考えは理解しずらいように思えた
極めて虚無的な人生観の持ち主だったということで最近、正宗白鳥という作家にちょっとした興味をもって青空文庫をのぞいてみた
私は長い生涯を顧みて、自分相應にいろいろな經驗をして來たことを考へると、それがいいことをしたとか、惡いことをしたとか、その經驗に意味があるとかいつたやうなことはあまり感じられない。もつたい振つた言葉でいふと、宿命といつたやうな感じがする。宿命觀はふるい考へであり陳腐な思想であり、低級な人生態度であると、現代では思はれてゐるらしく、卑俗な新興宗教の教旨にも通ずるところがあるらしく思はれさうであるが、それなら、そのふるさ、陳腐さ、低級さ、卑俗さを脱却した、新しい、清鮮な、高調賢明な宿命觀を立てて見ればいいのであらうか。
年少のころ、いつからともなく懷疑の思ひにとらはれてから、意識的にも無意識的にも、この宿命を破らんと努めたものの、それは小ざかしき人力の及ぶところでないことが分つたのである。つまりは、ギリシヤ劇などに現れてゐるやうな素樸な運命觀に舞ひもどるやうな氣持がしないでもない。現代の新聞や雜誌に續々と現れてゐる、各方面における小ざかしき論爭も、つまりは宿命の穴に落ちるまでの、もがきであるやうにも思はれる。
新しくもならぬ人生 1954.1
昭和29年、敗戦の混乱がまだ続いていた時期の文章である
正宗白鳥は宿命という考えを表明するにあたって“もつたい振つた言葉”とか“ふるい考へ”とかいろいろなエクスキューズをくっつけていることに留意したい
どうにもこうにも恥ずかしい考えだけど、あるよねということだと思う
運がいいとか 悪いとか
このとき正宗白鳥はすでに高齢で、自身の人生、長く続いた戦争、そして敗戦をふりかえっていたのかもしれない
そしてそこに“宿命”としかいいようなないものを見いだしたようである
正宗白鳥は戦争については一言も触れていないが、小林秀雄という人も似たようなことをいっていたのを連想する
運命に従ったまでだと
最近、“オリンピックを止められないのなら戦争も止められない”という意見を耳にした
はー、もうダメだな
そういう感想しか出てこない
これも運命なのか?
歴史から学ぶということが土台、無理な話だったのか
ちょっと前に中島らもの動画が話題になっていた
中島らもは何かのトークイベントで藤谷文子と共演していて、藤谷文子に対して「あんたそういう生き方してたら死ぬよ」といったのが非常に印象に残っている
藤谷文子はブレイクスルー感染から回復し元気に生きている
死んだのは中島らもだった
中島らもは全く無関係の藤谷文子に自身の運命をかいま見たのかもしれない
中島らもの人生もニーチェの人生も何か運命的なものに衝き動かされている感じがある
ニーチェは24歳という異例の早さで文献学の教授になり、周囲からも期待されていたが、悲劇の誕生という全くアカデミックではない本を出してそれを裏切る
もとよりニーチェは牧師になることを家族に期待されていたが、その期待も裏切っている
中島らもも学力は優秀で、周囲の期待もあったと思うが、それを裏切っていく
意図的に裏切ったわけではないが、一つの運命に従った結果、裏切ることになってしまった
これは外から見ると、あの人は自分の意思で自分の生きたいように生きたんだ、好き勝手に生きた人なんだと見えてしまうが、ことはそんなに単純ではない
そう生きるしかなかったといった方がより正確なのではないか?
つまり自分の存在の核にあるものが自分には手に負えないものであり、それに従うしかなかったのだ
あるいはその存在の核の動きに敏感でそれを抑圧したり逆らうことをしなかったともいえるかもしれない
ただこういうことは想像に過ぎない
中島らもはその核を封じ込めようとして酒を呑んだ可能性もある
存在の核は事故、嗜癖、慢性的な病として姿を現し、当人を悩まし続ける
自分の本来の生き方をしましょうなどというが、自分本来の生き方をすれば、社会的に破滅することの方が多いのである
運命という暴れ馬を乗りこなすのは並大抵のことではない
特に現代という存在忘却の時代においては、それは更に難しいことになっている
運命は十中八九、忌々しいものとして姿を現すはずである
運命は無視することが難しく従うことも難しい
そして運命は人をハッピーにするより破滅させることの方が多い
人はそういうものを負って生きていかなければならないということを確認して筆を置きたいと思う
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