―私見 大学入試生物で“科学とは何するものぞ”を問うことについて―

論文:中村 大輝, 松浦 拓也, 仮説設定における思考過程とその合理性に関する基礎的研究理科教育学研究, 2017, 58 巻, 3 号, p. 279-292
https://www.jstage.jst.go.jp/article/sjst/58/3/58_17005/_article/-char/ja/

 すごく面白いなと思った論文↑がありまして,自分用のメモも兼ねてここで紹介したいと思います。要約等はおこがましくてできないので,中身はぜひ読んでください。
 
著者の中村さん,松浦さんにおかれましては,ここでひょっとしたらこの記事をご覧になるかもしれませんが,その場合は一現場人の感覚としてご笑覧いただければ幸いです。結論から申し上げると,全体的に私の肌感覚とマッチするなという印象です。

 まずは,論文の内容の前に私の話から始めさせてもらいます(…というか,ほとんど私の話ですすいません)
 個別指導で大学入試生物の授業をしていると,当然ですが様々な大学の設問があり,そして学習者の様々な躓き方があります。学習者の中には,例えば,そもそも問題文に何が書かれているかの把握が甘い者もいれば,“どうすればいいんだろう”と固まってしまう者,途中で自身が何をしているのか迷子になってしまう者,“こうかな?”と選んだ選択肢の妥当性を確認しないまま回答してしまう者…など,学習者の数と設問の数の積だけパターンがあるのではないか―と途方に暮れそうになります。しかし,そこに何かしらの傾向を見出したくなるのが人情(?)というもので,私なりに,狭い観測範囲内ながらそれを試みていました。

 私の問題意識の中でも特に大きいものは,大学入試共通テストの出題傾向にあります。ざっくばらんに言えば,“一般に理科では方法としての科学をあまり学習しない(ように見える)が,共通テストの生物ではそこが問われているよね”というものです。

 ここで,1点具体例を紹介します。

 紹介するのは,令和4年度大学入試共通テスト 第二日程 生物 第2問 問5です(問題の全体像はこちらhttps://www.dnc.ac.jp/kyotsu/kakomondai/から。大学入試センターのHPへ飛びます)。


 仮説を検証するのに妥当でない解析はどれか?を問う問題です。この問題を前に私が採る考えは,“それぞれの選択肢にある解析をしたときに,例えばどんな結果が想定されうるか?”です。例えば選択肢①であれば,タンパク質Pが作られる細胞の分布と,遺伝子Qの転写が起こる細胞の分布がぴったり重なるという結果が得られるかもしれません。そしてその結果が得られれば,問5の問題文中の「配列Rへのタンパク質Pの結合が,遺伝子Qの転写の制御に重要である(タンパク質Pは遺伝子Qの発現に促進的にはたらいている)」ということが支持されます。よって,この選択肢①は妥当な解析であると分かります。

 この一連の流れは,方法としての科学の訓練を受けた者であれば,ある程度自然にできるものでしょう。それは,“科学とは何するものぞ”という,いわば作法のようなものを知っているからです。仮説を設定し,それを検証するための実験を考案して,得られる結果を予想する(設定した仮説に対し,実験が妥当であるかを検証する―と言い換えてもいいかもしれません)ことがとても大事なことであることは言うまでもありません。
 しかし,大学入試共通テストを受ける大学受験生のうち,いったいどれだけの人数が,この一連の流れを自覚的に追っていけるでしょうか。いったいどれだけの参考書や問題集が,この一連の流れを汲んだ解説を載せられているでしょうか。現状,それはいずれも決して多くはありません。テストの点数を上げるためのテクニカルなところが,時として受験生の手助けになることそのものは否定しませんが,果たしてそれは学習指導要領にある「科学的な見方や考え方」でしょうか。私はそうは思いません。

 私なりの大学入試共通テストの解釈は,“設問に問われている実験について,実際にその実験を行っている研究者の立場に立って,その思考をトレースさせたいという意図が見える”というものです。これは,従来の大学入試センター試験にも見られていた意図ではありますが,共通テストになってそのベクトルがより強まったな…という感触をもっています。ここで,受験生が科学者の思考をなるべく正確にトレースするには,“科学とはいったい何するものぞ”ということは多少なりとも分かっておきたいところです。ですから,受験生の皆さんには,問題文を目の前にしたならば,紙と鉛筆を使い,問題文をなす文字列の向こう側に広がる実験室の様子を細かに再現してもらいたいのです。そして,上の問題のように実験の妥当性を問われているならば,その実験から得られうる結果を予想してもらいたいし,得られた結果の解釈を要求されているならば,グラフをなす点の集合の向こう側にある生命現象を把握して新たな仮説の設定を行ってもらいたいのです。また同時に,指導者側も教材の作り手側も,学習者のそのあたりの資質能力にコミットするよう心がけてはどうでしょう?とも思うのです。現に,この仮説のもとで1年間,泥臭く生物と科学の話を続けさせてもらった学習者の皆さんは,程度の差こそあれ概ね,各科目の中でも生物を得点源としてくれているという成功体験もございます(しかしながら一般に,成功体験は目を曇らせるので,ここはこの程度にとどめておきたく存じます)。

 さて,ここでご紹介したかった論文『仮説設定における思考過程とその合理性に関する基礎的研究』は,前述の私の取り組みに裏打ちを与えてくれるものでした(探究活動における各用語の統一のくだりは,やや耳が痛くなりながらも勉強させていただきました)。得られた結果である「思考過程の分類カテゴリーと定義」については,私に学習者への評価として“◯◯のカテゴリーについて詰めが甘いのかもしれないな…”といった分析を可能とし,例えば冒頭でも申し上げた様々な躓きを分類し,指導者側に課題解決の手がかりをつかませてくれるものと考えます。“そもそも科学とは何するものぞ”を言語化して学習者に伝え,それを思考のレールとして問題演習に臨んでもらうことで,本来的な意味での「科学的な見方や考え方」による問題解決能力の向上に資するのではないか―と,そう期待せざるを得ません。とても助かりました。

 さて,本来の「科学的な見方や考え方」は,非常に高いレベルでことばを操る能力を要求するものでしょう。自然現象を観察することで,自分自身の頭の中に浮かんだ有象無象に,ことばで以て輪郭を与え,区別し,整理して出力する―これを円滑に行えるかどうかには,理科…いな学校に限らず生活の様々な場面で充実した言語活動を行っているかどうかが大きな鍵となってくることでしょう。では,その言語活動をどのように促進するか。学校以外の社会教育施設等では,その充実をどのように実現する可能性があるのか―…実は,今年度からもう一度大学院生をしている私の,今抱えているテーマがそういう感じのことであったりします。この記事をご覧になっている方々には,恐縮ながら研究者の方々も多くいらっしゃるかと存じます。今後,ご指導・ご鞭撻のほど,何卒よろしくお願いいたします。

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