#3 押絵と旅する男/江戸川乱歩

江戸川乱歩「押絵と旅する男」(岩波文庫『江戸川乱歩短篇集』収録)

主人公が実際に体験した(のだと思うが、定かではない)汽車で出会った押絵と旅をしていた男についての物語だ。

本人の本当にあった話かどうかわからない自信のなさとは裏腹に細部まで詳細に語られる内容に、私もつい想像を膨らしてしまう。そして、この時彼自身が抱く感情と同じ順番で、おかしく思ったり感動したりしてしまう。


私は珍しさに、暫くその双眼鏡。ひねくり回していたが、やがて、それを覗くために、両手で眼の前に持って行った時である。突然、実に突然、老人が悲鳴に近い叫び声をたてたので、私は危く眼鏡を取落すところであった。「いけません。いけません。それはさかさですよ。さかさに覗いてはいけません。いけません。」老人は、真っ青になって、目をまんまるに見開いて、しきりと手を振っていた。双眼鏡を逆に覗くことが、何故それほど大変なのか、私は老人の異様な挙動を理解することが出来なかった。

さっきまでの落ち着いた老人とは思えないほどのテンションに読んでいて笑ってしまった。その後の押絵についてのロマンチックの話を知っていたら、そんな笑ったりなんて出来なかっただろう。

もう一つ、私がハッとした箇所があった。

あんな風な物の現われ方を、私はあとにも先にも見たことがないので、読む人に分からせるのが難儀なのだが、

この人は(江戸川乱歩は)、読む人を認識した上で語っているのか!つまりは押絵の中と汽車、その出来事を体験した自身と語り、更には読者という二重にも三重にもなっている構造の中に私(読者)はいることにこの時気づかされる。確かに、読むという行為の中で、この出来事を体験した私がこの話について語ることがあれば、この人と同様、詳細に語ることも不可能ではないだろうな。面白い!

汽車が停車し、老人が下車していく姿と共に物語も終わる。もしかしたら、老人自身の話だったかもしれない押絵についての物語の真相ははっきりと描かれていない。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないな。それはまさに夢のようで、誰かに語りたくなる物語だ。

(ラザニア)