#6 春は馬車に乗って/横光利一

横光利一「春は馬車に乗って」(新潮文庫『機械・春は馬車に乗って』収録)

肺を患った妻と看病する夫の会話を描いた名短編。好きな短編あげろや、と言われたら中島敦の「文字禍」に次いでこの短編が出てくると思う。

病気で不安定な妻に対して苛立ちを隠せない夫。自分より仕事を重視してろくに看病をしてくれない夫に対して寂しさを隠せない妻。はじめは、おいおい言い過ぎだろう、と思うこともあるけれど、読み進めていくとそれは一種のじゃれあいのような、信頼があるからこそのやりとりだということがわかる。妻の嫌味な言葉にはなぜか刺々しさを感じない。わがままを言ってみせるがそれがどことなくかわいい。夫も病身の妻にかける言葉としては優しさを欠いているようにも思えるが、そう言える関係性を構築しているが故のように思える。

さらっと読むと仲の悪い夫婦にすら思えるが、鳥の臓物やダリヤなど二人の歴史においてささやかながらも重要なものが、会話のあいまにそれとなく描かれており、それが二人の関係の深さを感じさせているよう思う。

彼は砂風の巻き上る中を、一日に二度ずつ妻の食べたがる新鮮な鳥の臓物を捜しに出かけて行った。彼は海岸町の鳥屋という鳥屋を片端から訪ねていって、そこの黄色い俎の上から一応庭の中を眺め廻してから訊くのである。
「臓物はないか、臓物は。」

なんだあんな苛立ってたのに、ええとこあるやないか、と思ってしまう。

終盤、妻の病状が思わしくなく、もう長くはないことを医者に告げられる。夫は涙を流し、芝生の葉をむしっている。彼なりに死を理解して妻のところへ向かう。彼女との少ない会話のあと、夫は思ったのだった。

ーーもう直ぐ、二人の間の扉は閉められるのだ。
ーーしかし、彼女も俺も、もうどちらもお互に与えるものは与えてしまった。今は残っているものは何物もない。

春は馬車に乗ってやってくる。久しぶりに読んだもんだから、不覚にも泣いてしまいそうになった。このセリフ以降、実に穏やかで静かな時間が流れる。これはもう他人には介入できないような神聖さすら感じる。残っているものがないからこそ、見えない何があるように思えてくる。愛と言い換えてもよい。

妻は死なない。正確に言うと死ぬ前に小説が終わる。洗練された文体とユーモアのある会話描かれた、20ページとは思えないほど濃密な小説だ。

(大虎)