#9 プロシア士官/D・H・ロレンス

D・H・ロレンス/井上義夫 訳「プロシア士官」(ちくま文庫『ロレンス短篇集』収録)


いわゆるゲイ小説として有名な作品。確かにその性的傾向はそうなのかもしれない。そこも読みどころではあるが、それ以上に、恋愛感情を持つすべての人が感じるあるあるを描いているように思う。関係性の距離感と綱引きがたまらなく胸をかきむしる。なぜなら、それはあるあるを描いているのみならず、二人の大尉と従卒の心の奥の襞のようなところまで描いているからだ。無意識にまで到達する恐ろしさだ。

大尉は、従卒がやがて自由になって嬉しがる日を迎えるのだということが分っていた。従卒は今までのところ、年長の男からうまく距離を保ってきた。大尉は気が狂いそうになるほど腹が立った。その兵卒がいないと、気が落ち着かない。しかし姿を現わすと、狂おしい眼で睨みつけた。意味もない黒っぽい眼の上の、素晴らしい黒い眉が憎らしかった。どんな軍隊の規律によってものびやかさを失わない、美しい手足の自在の動きに激怒した。大尉は悔蔑と当擦りの言葉を連ね、厳しく残酷に、従卒を苛めるようになった。若い兵士は以前にもまして、無口で無表情になった。

兵役が終わって会えなくなるなんて嫌だ! 心が乱れた大尉は従卒をいじめてしまう。好きな子をいじめる小学生のようであるが、それは的確ではない。大人になってもいじめちゃうことはあるだろう。私だってある。この小説は、ほとんどが二人の心の動きをメインに描いている。

とはいえ、それだけではない。景色を描くにもとにかく細かい。一行一行丹念に読んでいくと、自ずと目の前にその景色が浮かんでくる。冒頭の兵隊が行進していく描写はすごい。

両側には、広く浅い谷が、太陽の熱を受けて艶っぽい光沢できらめき、新緑色のライ麦畑と、蒼白く若い小麦の畑、休耕地と牧草地と黒々とした松林が、脂ぎった空の下で単調な熱い図形を描いていた。しかし、正面には、山並みが蒼白く、深い空から優しく輝き出る白雪をいただき、この上なく寂かに横たわっていた。連隊はその山並みに向かい、ライ麦畑と牧草地の間を通り抜け、道の両側に規則正しく植えられたごつごつした果樹の間を通り、前へ前へとたゆみなく進んだ。

まるで映し出され映像のように明確である。見たもの聞いたもの触ったものなど、ロレンスは感じたものすべてを言語化できるのだろうか。

やかで二人の関係は悲しい結末を迎える。ただそれは恍惚として果たして悲しかったのだろうか。あまりに描かれすぎると、考える余白がないのかと思われるが、単純に答えを描いているわけではなく、その時々の揺れさえ描いているので、あらゆる可能性も考えてしまう。

たった37ページで心の奥まで到達するロレンスの筆致をぜひ味わってほしい。恋愛の喜びと苦しみを。

(大虎)