見出し画像

天の気 と 地の気 が出会うところ

 「私」とはなんでしょう?
 そう問われたら何と応えられるでしょうか?

 古典医学的な生命観からみると、私という生命現象は、ご先祖様から授かった肉体という舞台の上で、天の気 と 地の気 が交わりゆくところ、と表現することができます。

 呼吸を通して天から取り入れたエネルギーと、飲食を通して大地から取り入れたエネルギーが、私の中でひとつに交わり、「私」という生命エネルギーとして、流れ続けているのです。

 つまり、「私」という個体は、実は天地のエネルギーが通化していく導管のようなものであり、そこを流れていく天地のエネルギーこそが、私という生命現象の本質だと言えるのかも知れません。

 普段、自分が動かしていると思っている身体も、よくよく観察してみれば、心臓の拍動も、呼吸や消化吸収の働きも、無自覚の内に整えられ、私自身の意思を超えたところで働いていることに気付かされます。

 視力や聴力などの五感も、それを通じて私が様々な情報を得ているのですが、それ自体を生み出し、働かせているのは私ではありません。

 同様に、感じたり、考えたり、思ったりする心の営みも、それ自体を生み出し、養い、働かせているのは私ではありません。

 常に、私という生命の脈動は、私の知らないところからやってきて、私の中に展開し、私の知らないところへ還っていく、はじめなく終わりなく巡り続ける、大いなる循環の流れのなかにあるのです。

 
 私が、自分という限られた視野に囚われ、大いなる流れの一部であることを見失う時、様々な混迷や混乱がはじまります。
 私の身の回りに生じるあらゆる不調和、病気、困難、人間関係のトラブル、政治的、経済的な閉塞などはいずれも、天地のエネルギーの流れが、私のところで閉塞し、淀み、うまく流れていない状態です。

 そして多くの場合、その問題を造っているのは、私自身なのです。

 私が本来の自然な流れに抵抗し、我を張り、何かに囚われ、流れを混乱させている状態と言えるでしょう。

 神社のご神体として祀られる「かがみ」という言葉から、「我(が)」を抜けば「かみ(天地のエネルギー)」になる…という例えは、この生命循環のことわりを、とても上手に表現していると思います。

 流れない水は、淀み、腐ります。全てありのままに、ゆるし、手放し、水に流し、私の中に天地の流れを呼び込んでいきましょう。

 
 もし、生きることが、なんかしんどい…、なんか上手くいかない…、頑張っても頑張っても空しい…と感じるなら、天地とのつながりを見失い、流れが閉塞しているサインです。
 
 握りしめている手をほどき、肩の力を抜いて、深呼吸をしてみましょう。
 少しずつ呼吸(天)や食べ物(地)に意識を向けていきましょう。
 少しずつ宇宙(天)や地球(地)に意識を開いていきましょう。
 
 あとは、光が自然に運んでくれるでしょう。

 一人で頑張って生きている意識状態から、宇宙とともに、大安心の中で生かされ生きる意識状態に、自然にシフトしていくでしょう。

 バイブレーションは引き上げられ、エネルギーは高まり、健康状態も、家族関係や人間関係の問題も、経済、政治、教育など、生活の中の困窮も、あらゆる問題が、根本からスムーズに解決へと流れ始めていくでしょう。

 そのようなことは、夢物語だと思いますか?
 無理だと決めてしまわずに、ハートに尋ねてみてください。

 私たちは、誰もが宇宙の子供ですから、私たちの自然な(本来の)状態を、本当は誰もが心の奥底で知っているはずです。

 今こそ、私たち一人ひとりが、自分の本質を思い出し、大いなる生命の巡り、大いなる宇宙の光を思い出していく時です。

 
 朝日の光に触れてください。
 月の光を感じてください。
 星々の輝きに触れてください。
 木々や草々、振動数を上げている地球の輝きを感じてみてください。
 天地の息吹に私の呼吸を合わせてみてください。


 きっとあなたにも招待状が届いているはずです。



文: 吉村 優男
写真:tomoka.kiyo


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?