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志波彦大神とアラハバキ③

■11:20 多賀城碑■

今後は多賀城碑(無印)ではなく、国宝・多賀城碑と呼んでさしあげたまへ。

というわけで、近く国宝指定される予定の多賀城碑である。

よく読めんかった
後ほど答え合わせするんでしばしお待ちを

724年に多賀城が大野東人によって創建され、2024年は創建1300年となる。

あにばーさりーなのである

多賀城碑をめぐって長らく真贋論争が交わされていたが、地元の研究者の熱意により偽作説は覆された。

結局、文字として残っていくのは金石文(※)なんだな。

警備も厳重になっていくだろうし、気軽に立ち寄れる最後の機会かも。

(※金属や石などに記された文字資料のこと)

■11:30 東北歴史博物館■

常設展示を見るだけなら入場料は大人460円也

大シルクロード展、絶賛開催中。

ごめん、ちょっと時間がなくて見てらんない。

博物館はあらかじめ見たいものリストを作っておくと効率よくまわれるぞ。

土偶ーっ!
遮光器土偶ーっ!
遮光器土偶まーくつー(最近太った?)!
腕組みする土偶
祈りを捧げているって説明があったけど三角筋のストレッチだよね。俺もよくやる
縄文わんこーっ! ←だから時間が
多賀城碑(複製)である
柵からではよく見えなかったので、この説明文はありがたい
蕨手刀
蝦夷の武器(俺認識)
国司の正装
これは参考になった

■12:45 冠川神社(多賀城市)■

冠川(かむりがわ)神社が多賀城市内にもあることに気づいて行ってみることにした。

冠川は当社から100mほど離れた場所を流れる七北田(ななきた)川の別称。

志波彦大神が冠を落としたという言い伝え(坂上田村麻呂という説も)がある。

冠川神社(多賀城市)

川沿いの社ならば水神信仰かと思ったのだが、稲荷社とのこと。

陸奥総社宮に合祀されたこともあったが、有志の手によりふたたびこの地に祀られた。

総社宮と同じく4月第3日曜日に祭礼が営まれ、神輿が神社の前を通るという。

宮城縣とある
仙台縣から宮城縣へと名称が変わったのは明治5年
大正4年建立のこの碑は何を記念しているのだろうか

■13:05 仙台八坂神社■

仙台における最終目的地・仙台八坂神社に到着。

ここに志波彦神社の元宮がある。

それにしても、すごいなここ。

まだ時間があるから順を追ってみていこう。

スタイリッシュ手水舎
傘でこうも印象が変わるのか
仙台八坂神社・拝殿
天王山よりこの地に遷宮したのは仙台藩主・伊達政宗公
八坂神社といえば牛頭天王
神仏混淆時代は祇園牛頭天王社と呼ばれていた
像があるだと?
牛頭天王像
たしかに頭にこぶがある
恐れ多くてちょっと撫でられないなあ(笑)

そして、冠川神社。

志波彦神社の摂社扱いになっている
志波彦神社の遷座後、改めて分霊されたとのこと

志波彦大神に牛頭天王。ここはすばらしいパワースポットだ。

元気が出てきた。仙台駅に戻ろう。

志波彦大神もアラハバキ神も『古事記』『日本書紀』には記されていない謎の神である。

しかしながら、両神は歴史の闇に埋もれたわけではなかった。

仙台藩主・伊達氏により手厚く保護され、民衆の信仰によって今日まで支えられてきたのだ。

その神格を一言でいいあらわすことは難しい。

今回はいろいろと宿題をもらいに来たようなものだ。

記録し、記憶にとどめることで、他の場所を訪れた際に何か気づくことがあるかもしれない。

なかったとしてもかまわない。まだ一巡目の旅に過ぎないのだから。

不思議をめぐる旅を続けよう。相馬野馬追が待っている。

[2024年5月25日]

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