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鬼の手形とムカデ姫②

博物館前からバスに乗って盛岡市街地へ。

県立中央病院前バス停で下車して向かった先は報恩寺である。

■15:47 報恩寺■

なんか申しわけなかったのは羅漢堂が開いているのが16:00まで。

なのに残り15分を切ってから受付でバタバタやってる観光客の図。

見苦しいしかっこ悪いけど、どうしても見ておきたかった。

羅漢堂である。

聖者がいっぱい胸いっぱい

羅漢の意味については、チャグチャグ馬コ追っかけ日誌⑤十六羅漢の項にて触れている。

ポーズもさることながら、表情もさまざまで一つとして同じものがない。

現実にいそうなリアル感
楽しそうである

ここに、マルコ・ポーロとフビライ・ハーンがいるという。

左が第百番善注尊者で、右は第百一番法蔵永劫尊者
中国で1840年ごろよりマルコ・ポーロ、フビライ・ハーンと呼ばれるようになった

たしかに他の尊者たちと服装も異なるし、当人たちがモデルなのかと思ってしまう。

マルコ・ポーロ『東方見聞録』には黄金の国ジパングのことが記されている。

ジパングが日本であるならば、黄金といえばまず思うのは中尊寺金色堂(未見)のイメージだ。

奥州藤原氏初代清衡が建立した黄金のお堂にして、当時最先端の工芸技術が発揮されている。

マルコ・ポーロは実際には日本に来ていないことは、その後の研究によりわかっている。

黄金の国とは中国の商人などから聞かされた噂話によるものではないかとされている。

たとえそうだとしても、黄金の国を思い描いたマルコ・ポーロ像がこの地にあることに、縁を感じる。

フビライ・ハーンはどうだろう。

源義経は兄・頼朝の怒りを買い、かつて庇護を受けた奥州藤原氏のもとに身を寄せた。

結果的には自刃することとなったが、北方(蝦夷地)に逃れ、さらにはチンギス・ハーンになったという説が今も語りつがれている。

頼朝は義経の首を見ているわけだから、すげ替えはあり得ないだろう。

でも、もし義経=チンギス・ハーンだったとしたら、子孫のフビライによる元寇は壮大な復讐のドラマと考えられなくもない。

失敗しちゃったけどね。

ともに日本を訪れたことのない二人が尊者として並んでいる姿は、なんとも微笑ましい。

今ふうにいえば異世界転生なのかも。

受付で礼を述べて帰ろうとしたら呼び止められた。

「天井の龍はご覧になりましたか?」

なんですと? 横ばかり見ていて上を見てなかったよ。

あわてて戻って写真をパチリ。

狩野林泉の筆による八方にらみの龍

閉堂の時間なのに少しだけ待ってもらえた。

岩手の仏様は鬼にも優しい。

そして岩手のお寺は観光客にも優しいのである。

瑞鳩峰山 報恩寺
学びの機会をありがとうございました

■16:21 三ツ石神社■

次に向かった先は三ツ石神社。

ここに、鬼が手形を残した岩があるという


三ツ石神社・拝殿
御朱印は櫻山神社で授与するとのこと

いわれは、こうだ。

二度と来ないと誓ったことから、この地を「不来方(こずかた)」とも呼ぶ

この地に棲む羅刹という鬼が悪さをするので、人々は三ツ石の神に祈った。

三ツ石の神は鬼を捕えると、境内にある巨大な三ツ石に縛りつけた。

鬼は二度と悪さはしないしこの地にも来ないと誓い、三ツ石に手形を残した。

『河童の詫び証文』的なエピソードながら、鬼が岩に手形を残したことが岩手の地名の由来となった。

岩をよく見たが手形らしきものは確認できなかった

パンフレットには1986年に撮影されたという鬼の手形が載っている。

いくつもの手形
よほど切羽つまっていたとみえる(笑)

■16:32 源秀院殿墓所(ムカデ姫の墓)■

報恩寺も三ツ石神社もムカデ姫の墓も名須川町にある。

墓所なのでまずはきちんと手を合わせておこう
いろいろすみませんでした。安らかにお眠りください

それにしても、ムカデ姫なるネーミングの十分すぎるまでのインパクト。

彼女はいったい、何者なのか。

その名を於武(おたけ)の方という。

盛岡藩初代藩主・南部利直の妻にして、近江国でムカデを退治した俵藤太(藤原秀郷)を先祖に持つ。

・嫁入りの際に秀郷がムカデ退治に用いた矢の根を持参したこと

・亡くなった際にご遺体にムカデが這い回ったような跡があったこと

この辺りのエピソードからムカデ姫と呼ばれるようになったと思われる。

ちょっと話は長くなる。

ムカデを気にするようになったのは、赤城神社(千葉県流山市)を訪れてからだ。

赤城神社(流山市)
山門の大しめ縄は全長約6.5mで重さ約500kg
毎年10月10日前後の日曜日に氏子らによって作られ、次の年まで掲げられる

当時は流山という地名の由来である「流れ山」の意味が知りたかった。

赤城山(群馬県)が流れてきたというスケールの大きな説も伝えられている。

しかし、赤城神社を調べても、そのような事跡はうかがえなかった。

そんな折り、牛込総鎮守・赤城神社(東京都)を訪れた際に、ムカデのオブジェを見た。

赤城神社(東京都)のムカデのオブジェ
二荒山でマムシとなった神さまとの戦いは奥日光・戦場ヶ原の由来となった

赤城山には大ムカデに関する伝承が残されている

その後、赤城神社の本宮(とされる)大洞赤城神社にも行ってみた。

大洞赤城神社(前橋市)
赤い社殿が美しい

ところが、境内ではムカデの伝承を示す手がかりは得られなかった。

ここでは龍神の後を継いで赤城大明神となった赤城姫の物語がクローズアップされているようだ。

赤城神社本宮は赤城姫推しである
いいと思います(笑)

ムカデは鉱山の神の使いであり、鉄生産の象徴であるとよく取り沙汰される。

それらは案外、内側(関係者)からではなく外側からつけ加えられたものなのかもしれない。

直近では、相馬野馬追で騎馬武者が背負う旗の模様にムカデが用いられているのを見た。

ムカデの旗紋は「軍師(※)」を示すものであり、産鉄とは結びつかない
(※軍師の旗紋には上向きのムカデが用いられる)

伝説というものは、歴史が長くなるほど尾ひれ背びれがつくものである。

尾ひれ背びれの部分のみをとらえて何かを語ったとしても、物事の本質からは遠ざかる。

今回のムカデ姫の場合は、ムカデ退治で知られる藤原秀郷の子孫であり、矢の根を持っていた。

それゆえの、正統・ムカデ姫さまだ。

ご本人、嫌がっておられるかもしれないけど(汗

橋が壊されただの片目の蛇だの、後付けはいらない。

よーし、まだまだ攻めるぞ!

[宮沢賢治とチャグチャグ馬コの意外な関係 ③につづく]

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