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【千葉】上総十二社祭り

上総十二社祭りは旧上総国一宮・玉前(たまさき)神社を中心とする寄合い祭りで、毎年9月8~14日にかけて行われている。

今回はそのハイライトとなる例大祭(13日)の模様をお届けする。

■上総十二社祭りとは何か■

千葉県にはかつて下総国、上総国、安房国の三国があり、それぞれに国府が置かれ、一の宮が認定されている。

上総国一宮・玉前神社
祭神は玉依姫

上総十二社は一の宮である玉前神社を筆頭に、玉垣神社、三之宮神社、橘樹神社、二之宮神社、南宮神社、谷上神社、綱田玉前神社、椎木玉前神社、和泉玉崎神社、中原玉崎神社、鵜羽神社の十二社による寄り合い祭りである。

江戸時代の記録によると、玉前、玉垣、三之宮、橘樹、二之宮、南宮の各社を「玉前六社」とし、それぞれ神輿を二基(大宮と若宮)ずつ出すことからこれを一社と数えて十二社と呼んでおり、綱田・椎木の玉前神社と和泉・中原の玉崎神社は「山之内四社」として六社を迎える役目を担っていた。

現在は玉前神社と南宮神社、山之内四社、谷上神社の各社が合計九基の神輿を祭場である釣ヶ崎海岸に向かって渡御する。

13:00 宮出し(玉前神社)

神楽殿前に神輿二基が並べられ、出発前のお祓いを行う
稚児を乗せた神馬ちゃん
読み方は「しんめ」ではなく「かんのんま」である
出発に先立ち、上総神楽(猿田彦)が奉納された
13:30 神輿は予定通り玉前神社を出発
約6km先の釣ヶ崎海岸へと向かう
通りでは猿田彦が希望者にお祓いを施す

15:45 釣ヶ崎海岸

海岸入口には旧祭場地の顕彰碑が建てられている
祭りの起こりは大同二(807)年ごろ
実に1200年以上の歴史を持つ
サーフィンのメッカでもあり東京五輪の大会会場にもなった
海岸に建てられた鳥居
各社の神輿は海岸側からこの鳥居をくぐる
鳥居くぐりの前にパフォーマンスを行う社も
南宮神社の放り
各社の神輿がくぐり
子供を乗せた馬もくぐり抜け
騎馬戦よろしく女性も通過
9基の神輿が一列に並んでの差し上げ

この後、休憩を挟んで各社はそれぞれの宮へと戻ってゆく。

海へと向かう祭りの多くは宮入りして終了となるのだが、玉前神社の神輿は参道に挟まれた国道128号で南宮神社の神輿と合流し、通行止め区間を練り歩く。

これを「お練り」という。

18:00 国道128号(玉前神社付近)

18:00~20:00までこの一帯は通行止めとなり、神輿(玉前二基と南宮二基)が伝統のみこし唄とともに通りを練り歩く。

南宮神社はここでも豪快な放りを見せる
玉前神社のお練り
沿道にいる観客たちの声援がすごかった
神馬ちゃんも駆け抜ける

19:50 通行止め解除を前に「お練り」は終了。

南宮の神輿は1km北に鎮座する南宮神社へと向かい、玉前の神輿も宮入りを果たした。

だが、まだ終わらない。

20:00 玉前神社境内

神輿を担いだまま本殿のまわりを三周駆け回る
さらに神楽殿前のスペースで差し上げ
10回は行っただろうか

最後のリフトを終えるのとほぼ同時に、遠くから花火の音が聞こえてきた。

南宮神社では祭りの終了を花火で合図するという。

午後8時過ぎ、本日のすべての日程は終了した。

一宮町を歩いていると、店の壁などに十二社祭りの古いポスターが貼られているのをよく見かける。

かつては12の神社が神輿を出し、参加者の総数は2500人超。

釣ヶ崎海岸から海中渡御や一斉差し上げを行っていたことが写真からはうかがえる。

コロナ禍や祭りの後継者不足の問題などもあって、現在は規模を縮小せざるを得ないようだ。

それでも猛暑の中、宮出しから海岸への渡御、お練りを経て7時間近くが経過しているにもかかわらず、本殿周りを駆け抜けて神輿を幾度となく差し上げ続けた担ぎ手たちのパワーの源はいったい何だろう。

それは祭りに賭ける地域の人々の思いや期待の大きさのあらわれであり、約1200年もの歴史と伝統によって培われた地元民の誇りに他ならない。

規模は縮小してしまったかもしれないが、意気軒昂な氏子たちがいる限り、上総十二社祭りの灯が絶えることはない。

[2024年9月13日]

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