【千葉】地すりを求めて~浦安三社祭⑤
6月16日(日)、祭りの最終日。
8年ぶりの開催に、過去最高の人出が予想された。
地すりをたくさん見ることで、この独特な担ぎかたに対する自分なりの答えを見いだしたい。
仮説はある。
検証するためにも、前もって取材した二つの弁財天(③参照)と神輿との関係も見ておきたい。
弁天さんの前で地すり、やってくれないかなあ。
そんなに都合よくはいかないだろうけど、行くだけ行ってみよう。
09:37 左右天命弁財天前
東組連合が担ぐ豊受神社の神輿がやってきた。
けーぃきをーつっけっろっ(それっ)!
まえだっ、まえだっ、まえだっ、まえだっ!
みんな、声が枯れている。
それでも、あらん限りの声を張りあげて前進している。祭りを盛り上げるために。
胸の奥に熱い何かがこみあげてきた。でも、今は感傷に浸っている場合ではない。
祭りの光景を、目に焼きつける。心に刻むのだ。
地すりがはじまった。
全般に、静かな印象だ。
弁天さんの御前だからだろうか。担ぎ手が異なるというのもあるか。
10:58 清瀧弁財天前
映像カメラのクルーが撮影ポジションの確認をしている。
清瀧弁財天の神輿は二基。鳥居の前で同時に地すりを行うという。
そうなんだ。でも、どうだろう。
画角の関係で二基同時に撮影するとなると、離れたポジションから撮らざるを得ない。
しかし、この混雑ぶりだ。
人混みに埋もれてしまい、二兎を追う者は一兎をも得ずということにもなりかねない。
結局、同時撮影は諦めたとみえ、俺の隣にやってきた。
神輿と鳥居を映すオーソドックスなやりかたをとったようだ。
地すりをやってくれるというのは朗報だ。少し前から待機しておいてよかった。
11:43 旭会(清瀧神社)による「ほうり」
その後、稲荷神社の動向をうかがうべく堀江を抜けて当代島へ。
13:53 当代島5丁目(ENEOS付近)
通過予定時刻は13:30。30分近い遅れが生じている。
地すりも披露されたが撮影どころではない。
この後、稲荷神社の神輿は東西線ガード下をくぐり、やなぎ通りに向かう。
駅前でも地すりは披露されると思うが、撮影は不可能と判断して回避。
14:24 船宿・吉野屋付近
初日と同様、最終日も神輿はこの場所を通過する。
今回は境川の様子を撮影したかったので、昨日とは違う場所で待機した。
各社ともに神輿の巡行に遅れが生じている。
吉野屋の通過予定時刻は15:00前というが、1時間待ちは覚悟しなければなるまい。
15:31 豊受神社(西組)による橋の上での地すり
15:40 境川ぞいを進む神輿の行列
神輿は予定時刻からさらに遅れて16時すぎに吉野屋に到着した。
神輿の宮入りは19:00予定。
各社の神輿は宮入りに向けて大通りを進むこととなる。
・豊受神社 やなぎ通り(15:30~17:30予定)
・清瀧神社 さくら通り→宮前通り(15:35~19:00予定)
・当代島稲荷神社 県道6号(市川浦安バイパス 15:00~16:00ごろ)
盛り上がる場面ではあるだろうが見物客も多く、撤収および移動が困難と判断。
3時間後の宮入りに備えて、早めに豊受神社に向かうことにした。
16:34 豊受神社前
豊受神社の宮入りは撮影が難しい。
・大通り(大三角線)側に鳥居はなく、信号がある交差点から路地に入った場所にある
・歩道には出店が立ち並ぶため、通行人でごった返す
時間はまだある。
少し考えて、交差点からみて鳥居の対角線側に自転車を停めて場所取りした。
奥まった場所に二叉路があるため、終了後の撤収が容易と判断したのだ。
コンビニおにぎりなどを頬ばりつつ時を待っているうちに、続々と人が集まってきた。
「隣、よろしいかしら?」
「どうぞどうぞ」
俺より年上の、いやいやほんのちょーっぴりだけおねえさんのご婦人が隣に立った。
豊受神社の氏子さんで、浦安に移り住む前は深川八幡の氏子さんだったという。
深川八幡(富岡八幡宮)といえば、日本一の巨大神輿だ。
担ごうとしたが数メートルで断念したというのは、この方に教えてもらったことだ。
インタビューなどしてみた。
――浦安の祭りは昔と比べてどうですか?
「今のほうが盛り上がってるんじゃないかしら。昔はねえ、おっかなかったわよ。神輿にさわりたい(担ぎたい)って言ったらね、『女の出る幕じゃねえっ』『女は邪魔だ!』ってはっきり言われたもん」
――あはは、そりゃおっかない(笑)。ケンカも多かったんでしょうね。
「そうなの。川に放り込んだり、お金出してくれない家の軒先にお神輿で突っ込んで行ったりして。警察沙汰になってしばらく(祭りの開催が)中止になったんだから」
浦安の祭りに関してよく出てくるあのエピソード、本当だったんだ。
少し、意地悪な質問をぶつけてみることにした。
――今は女神輿も盛り上がってますよね。でも、宵宮と神輿の宮入りのときは、女性はいまだに境内に入れない。どう思います?
「うーん……。でも、いいんじゃないかしら。伝統なんだから変えなくていいのよ。少しずつ、ね」
うーむ、大人の女性はコメント力が違う。さすがだ。
少しずつ、変わっていったことで女性が神輿を担げる日もきた。
いくらコワモテの男でも、年をとれば弱くなる。
女のほうが強くなる瞬間は必ず訪れるということだ。
それがわかっているからこその、少しずつなんだな。
そうやって、男は女の掌の上で転がされてゆく。気づいたほうがいいぞ、男衆(笑)。
18:50 豊受神社前
宮入りは19:00予定。大幅に遅れていたのに、相当巻いたなこりゃ。
神輿が宮入りすれば、祭りは終わる。
まだ終わらせたくない氏子たちが神輿の前に立ちふさがり、押し合いへし合いするのが恒例だという。
ところが、今年はすんなりと境内に収まった感がある。
交通規制の時間的な問題もあって、長引かせるわけにはいかなかったのだろう。
「さて、私も帰ろうかしら」
先ほどのご婦人が口を開いた。
「ねえあなた、SNSはやってないの?」
「いずれ、ブログでもやろうかとは思ってるんですけど」
「やったほうがいいわよ。写真もいっぱい撮ってるんでしょ。私も読みたいし」
そういって、ご婦人は帰って行った。どうか、いつまでもお元気で。
周りの人々も去って行き、それぞれの日常に戻ってゆく。
祭りの最後は、いつもさびしいものがあるな。
でも、今回はいいものをたくさん見せてもらったよ。
帰って撮りだめた動画を見直して、地すりが何であるのか考え……ん?
まだ残っている神輿がいるぞ。
こっちに来る。
交差点を左折し、二叉路の前で神輿を停めた。目の前だ。
神輿二基による地すりが、目の前ではじまった。
最後の地すりがはじまった。
祭りの終わりのさびしい気分を吹き飛ばしてくれた、渾身の地すりである。
奇跡のような瞬間に立ち会えたこと。
天に感謝、地に感謝、弁天さんに感謝。
そして、東和会に感謝だ。
元気をもらったぞ。やらなくちゃ。
基本的に、健康で飯がうまけりゃ、世の中に物申すことなんてないと思っている。
しかし、ゆえあって、旅を続けている。
もし俺の旅の話を聞きたい、読みたいと思ってくれている人が一人でもいるのであれば、書くべきだ。いや、書かなきゃダメだ。
山本周五郎ではないが、読んで楽しみ糧とするもの。
それを提供することが書き手の使命であり存在意義だ。あいでんてぃてぃーなのだ。
それでnoteをはじめることにした。
この祭りの後で、北海道と秋田→青森に行ってから写真を整理し、がむしゃらに記事を書きはじめた。
一週間で19本の記事を書いたが、書けたのは相馬野馬追とチャグチャグ馬コとその周辺のみ。
今回ようやく浦安三社祭について書けた。
あのとき出会ったご婦人の掌の上で、俺もまんまと転がされているだけなのかもしれない。
でも……。
そういうのも、悪くはないかな(笑)。
[こうなったら珍説を唱えてやるからな! ⑥につづく]
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