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21世紀のちょっと前のお話。複業に向けて次の扉が開いた!

こんにちは。川野です。

令和川野が、パソコンやインターネットを始めた頃の平成川野へインタビューする形式でお届けします。

21世紀になる少し前、ミニコミ誌のライターと同時並行でインターネットを始めて、HPも作った平成川野。そして、次の扉を開ける2つのできごとがあったといいます。どんなできごとだったのでしょうか?

■思いがけない支援で新たなパソコンを購入!


Q:令和川野
ミニコミ誌のライターになった翌年(1999年)に、その後につながる印象的なできごとがあったそうですが、どんなことがあったのでしょうか?

A:平成川野
1つ目は、夫の会社の社長さんから新しいパソコンを買う資金をいただいたこと。2つ目はSOHO系のWebサイトのボランティアスタッフになったことです。

月に1回のミニコミ誌の仕事をしながら、夫が勤めている会社の配布物などをパソコンで作っていました(報酬はマニュアル本などの現物支給)。ある時、頼まれていた大きめの名札のデザインを提出したところ、社長さんから「ここの色を変えるとどうなるかな?」という指摘があったんです。夫から色変更についての電話があって、10分後くらいに色変えバージョンをメール添付で送りました。

わずかな時間で色が変更された見本が届いたことに驚いた社長さんが、「今後も色々作ってね」という意味で次のパソコンを買う資金30万円を出してくれました。ホント当時ならではのエピソードですよね(笑)。人を一人雇うことを考えたら安いもの!というのが社長さんの考えでした。新たに購入したパソコン(Mac G3)は、青い美しいボディで性能もかなりアップ!フォトショップがスムーズに使えるようになったので、チラシはもちろん、イラストもグンと描き易くなりました。このMac G3があったからこそ、イラストの仕事が得られるようになったといえます。

■メルマガ制作のノウハウが仕事につながる!

Q:なんか信じられないようなエピソードですね。2つ目のSOHO系のWebサイトのボランティアスタッフではどんなことが起こったのですか?

A:
自分のスキルで何かできることはないかと、求人情報を掲載しているWebサイトに毎日のようにアクセスしていました。そこは、求人以外に、イラストギャラリーがあったり、掲示板ではイラストやソフトの情報交換もできたりするので参考になることも多かったんです。

そこにアクセスすようになって半年目くらいに、ボランティアスタッフの募集があって、申し込んだところメルマガチームのスタッフに採用されました。ボランティアなので無給ですが、メルマガの作り方や配信方法、MLを使っての編集など、その後に繋がるたくさんのことを教えてもらいました。3〜4年やっていたと思います。

Q:メルマガ制作では、どんな決まりがあるのですか?

A:
当時はパソコンで見ることを前提に作っていたので、1行の文字数を35文字に揃えていました。他にも、最近のメルマガではあまり見かけませんが、一番上の5行分くらいでヘッダーデザインを作ったり、見出しや文章の書き方を工夫したりしていました。現在は読者がスマホで見ることを前提に全体を作っているので、作成の際に意識することも変わってきていますが。

Q:当時はメルマガは珍しかったのですか?

A:
メルマガ配信サービスの「まぐまぐ」は既にありまし、私たちが作っていたメルマガの購読者数は1万人くらいだったかと思います……。でも、まだ知らない人も多かったですね。2001年に小泉純一郎氏が首相になって「小泉内閣メールマガジン」の配信を始めたことで、メルマガというネットサービスの認知度がアップして、配信してみたいと思う会社などが一気に増えていきました。その後、ボランティアで覚えたことが仕事になって、出版社やネット通販会社など4〜5社のメルマガ制作に携わりました。


■収入はボチボチ…。でもスキルが活きる仕事に手応え!


Q:最後に、その頃の収入や生活サイクルについて教えてください。

A:
最初の1年(1998年〜1999年頃)は年間で6〜7万位だったと思います。ミニコミ誌の仕事が月に5,000円で、あとは現物支給でしたから。朝、娘たちを幼稚園に送っていき、帰ってきたらパソコンの前に座り、お昼を食べたら最低限の家事をやって、娘たちを迎えに行き、後は家族が寝静まったら再びネットにアクセスしてといった生活をしていました。

翌年くらいから、徐々にメルマガ・原稿やイラストの仕事をしたり、書籍制作にも関わるようになったりで収入は増えていきましたが、内職やパートをしている周りのママ友の方がたくさん稼いでいましたよ。ただ、ネットでの友達や仲間もできはじめていたし、自分のスキルが仕事になっていくことが面白く手応えも感じていたので、私はそのままやっていこうと思っていました。

■令和川野
イラスト、チラシ、メルマガ制作と複業スタイルの基礎ができてきた平成川野。次回は、その後の仕事の変化と現在も続いているディレクションのきっかけなどをお聞きする予定です。

次回もお楽しみに!

お仕事図解0712


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