おおづやん

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鉄道が運ぶもの

新幹線の待ち時間に東京駅で興味深い展示をのぞいてみた 明治5年、日本初の鉄道が新橋〜横浜間で開通。奇しくもその年に「美術」という語が書画に変わって初めて使われ始めた。 鉄道と美術はともに日本の近代化の流れの中で寄り添い、時には刺激しあってきた。 全国40箇所から集められた鉄道美術の名作の中で、「なんだ坂、こんな坂」とタイトルのついた絵には、暮れゆく街道の坂道を駆け上がる鉄道(新しい輸送)と人力で苦労して登る古い輸送の対比が描かれていた。 この絵のように開化と因循の狭間

    • 忘れない夕焼け

      先日、おばあちゃんが逝った。101歳の生涯だった。 見事な大往生の姿だった。百年前と言えば、「大正デモクラシー」の頃。激動の時代を生き抜いたおばあちゃんに心から「お疲れ様でした」と何度も手を合わせた。 共働きの両親に代わって、保育園の送り迎え、家での食事、留守番など、いつもおばあちゃんと一緒だった。高校を卒業して、家を離れても、いつも気にかけてくれていた。 整理していると、一冊のノートが出てきた。字を書くのが苦手だったので驚きだった。皆でページをめくった。 「◯◯(私

      • 音のある風景

        寒さが少し緩んだ先日、那智勝浦町を訪れた。生マグロの水揚げで日本一を誇る漁港は、今がキハダマグロの最盛期。活気のある男たちの声が街に溶け込んでいる スマホを取り出し、細い路地裏に入った。懐かしい丸型の郵便ポスト、マグロをモチーフにした店看板、飾れている瓶製の「浮き球」など、趣ある風景ばかりだ。次々と訪れるシャッターチャンスのせいなのか、陽気な天気のおかげか、足取りは軽い。 港の外れには船の修理工場があった。眺めていると「カンカンカン」と鉄を打つ音がする。近くでは電気屋さん

        • 桃から学んだ心の形

          いよいよ桃のシーズンが到来した。私にとっても忙しくなる季節だ。 毎年、出荷できない痛んだ桃を安く買い、ジャムにするのが趣味なのだが、いつもの農家が「今年は成りがよく、痛む桃が少ないので申し訳ない」と話していたのがつい先週のこと。 5日後、再び電話がなった。 「大風で木が折れて、傷のついた桃がたくさんできたので、取りに来て」との一報だった。 現地に着くと、丸々と大きくなったのに傷がついている桃がたくさん横たわっている。「やった!たくさんある」と心の中で呟いたのだが、横を

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        • コラム
          3本
        • 子どもと育つ
          1本
        • 無題
          1本

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          怪我の功名

           この春から中学生になった息子。小学3年から始めた剣道を部活でもやると決めていた矢先のコロナ禍。対人稽古ができない中、一つの課題に取り組んでいた。  それは腰痛。3月ぐらいか痛みだし、少し動いただけで激痛が走るとのこと。診察の結果、股関節が硬く、体幹が弱いことで、振り上げたときに腰の筋肉が上部に引っ張られることで生じる痛みだと分かった。  理学療法士の先生に弱点箇所を鍛える体幹トレーニングを教えてもらい毎日汗を流した。地味だが、我慢強く三ヶ月続けた結果、最初は15秒もでき

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          百寸下の水の心

          先日、仲間内との会話で自身の転職の話になった時、18年前、大阪から和歌山へ帰り、働くきっかけになった一冊の本を思い出した。 それは、中学生時代から親しんだ吉川英治の小説「宮本武蔵」。野心旺盛で、何事も人と比べる傾向が強かった20代の私に、大きな転機を与えることになった本だ。 「なぜ宮本武蔵が佐々木小次郎に勝ったのか」 読後、浮かんだ一つのテーマをもとに小説を遡りながら考えた時、武蔵と小次郎の生き方の根っこにある違いに行き着いた。 己のため、名誉のために剣を磨いた小次郎

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          はじめまして

          どこまで続くか分からない まだ文調も決まっていない 遡ること10年、ブログ、Twitter複数、インスタ 、Facebookなど、SNSを無数にやってきたし、今も日々更新している その上でnote? 流行りの「今しかできないこと」? 明日でもできることでは? 「そんなこと言いながら明日も綴ってそう」

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