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コロナになった レポ
まさか自分が、高熱を出した一か月後に再び高熱に倒れるとは思ってもみなかった。
11月の3週目あたりに熱を出した。その日は学園祭最終日。
前日から喉がイガイガとしていて、なんかやばいかもな〜と思いつつ、学祭に参加し友達と合流後「翔んで埼玉」を見て御徒町〜田端まで歩くという、自分の身体をこれでもかというくらいこき使うなどした。
それでも一か月前に高熱を出した時に比べれば喉も大したことないし、少しの気だるさ程度だったので学祭最終日も参加する気満々だった。
しかも、朝に爆売れヒットしている例の鬼太郎映画を友達と見に行く予定だったので、よっしゃ明日も身体フル稼働だぜ!という気持ちで眠りについた。
早朝。
目覚めた瞬間から「あ、熱あるな」となる。
しかしこの時は高熱が出ている自覚はなく、午前中の鬼太郎は諦めて午後から学祭参加しようかななどと呑気なことを考えていた。呑気すぎる。熱は39度近くあった。
滅多に熱を出さない私が2ヶ月連続で高熱を出したことに、私自身が一番仰天していた。
例によって身体は痛く喉も痛く背中が痛く、とてもつらい。
またまた例によって人にリスケの連絡を入れまくり、落ち込む。
あれ、一か月前にも同じことやったな、おかしいな.........
1日目はつらすぎたのであまり記憶がない。
深夜寝付けない中急にユーミンが聴きたくなって、「春よ、来い」を聴きながら無心で目を閉じる謎イベントがあったことだけは覚えている。
次の日、桃ゼリーをたべる。この時はまだ自分がコロナだということを知らない、というか1ミリもコロナの可能性を考えていなかったので、呑気に写真を撮っている。呑気だ。
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桃ゼリーを食した後、病院へ行く。
「まァ〜今コロナ少ないからね!インフルの検査だけでいいよね!」と先生。
「でも、学祭とかあったしぃ.........」とわたし。
「じゃ〜念のためね!両方検査できるやつね!やりましょう!」
結果コロナ陽性。
どうしよう、登場人物みんな呑気。当時はかなり切羽詰まってたけど、振り返るとかなり緊迫感薄まるな。
あわてて学祭で関わったサークルのみんなや友達に連絡を入れる。結果的に、私以外でコロナになった人はいなかったし、家族も全員無事だった。
自己完結型罹患者ここに生まれる。
それにしても、どこでもらってきちゃったんだろう。私は準備日も含めて全日マスクをつけていたし、一か月前の高熱を反省して早寝も心がけていたのに。なぜ私だけがこんなに辛い目にあわなきゃいけないんだろう.........と負の感情にダイブしてしまい、涙が止まらなくなった。
母はそんな私を見て、「学祭最終日に参加できなかったことが悔しくて泣いている」と思ったらしく、「悔しいよね、でも充分頑張ってたよ」と励ましの言葉をくれる。別に悔しくはなかったんだけど、優しさにまた泣いた。
コロナの薬といわれたけれど、コロナ自体を治す薬はまだ開発されていないらしい。9000円で買ってもらった塩野義製薬の薬は2日間かけて私の熱を下げた。
コロナの療養期間は暇だから、と周りは言っていたけれど私は割とずっとしんどくて、療養明け2日前までまっすぐ歩けなかったし、咳は1週間経った今でも続いている。
幸い味覚、嗅覚に障害は起きなかった。唯一の救いだ。
療養期間でできたことといえば、ドラマ「池袋ウエストゲートパーク」を完走したことと、ずっと観たかった今敏監督の「PERFECT BLUE」を見たことくらい。それもそれで、良い時間だったけれど。
もう1つ救いだったことは、観劇予定だった舞台の日にちが療養期間にギリ被っていなかったことだ。療養が終わったら観劇できるという事実が私を励まし、心を強く持たせていた。ありがとう。観劇は私の栄養剤です。
今年ももう終わるけど、12月末にまた高熱とか出たら泣くよ、私。せめて最後の一か月くらいはご自愛していきたいね。
あと、一昨日くらいにやっぱり鬼太郎映画観れなかったことが悔しくて、友人にLINEしたら今週末に一緒に観に行けることになった。嬉しい。楽しみすぎる〜。
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