あっという間の3回忌
アレクサを通して、母から聞かされた。
そう、6月は母方の祖母が他界した月だ。
祖母の死によって、私は公務員を辞める決意をした。いうなれば、人生を変えた出来事だ。
当時、まだ世界はコロナが落ち着いたばかり。
そのため、出入国するときには陰性テストが必須だったし、飛行機の便も今よりずっと少なかった。空港も出入国で連日、長蛇の列だった時期。
私たち家族はシンガポールに住んでいたため、祖母の最後に立ち会えなかった。
2歳と4歳の子どもたちを置いて、日本には戻れない。実家から届くLINEの文面を見て、なんとも空虚な気持ちになった。
実感はないのに、祖母がもうこの世にいない事実を突きつけられる感じ。気の遠くなるような、ぐちゃぐちゃな気持ちが心を重くした。
落ち込んでいても、子どもたちのお世話はしなければならない。悲しみにくれる時間もなく、意味もなく大声を張り上げたくなる衝動に駆られた。
結局、祖母が他界して2か月後に本帰国となり、墓参りが叶った。
祖母宅に行っても、いつもの出迎えの言葉はもう聞けない。
背中が90度近くまで曲がっているのに、毎日3〜4時間は農作業していた祖母。
昭和1ケタ代の女性は強い。
長女だった祖母は家を守るため、祖父を婿として迎え入れたのだ。
それはそれは、とても強い女性で女帝のように君臨していた。
90歳をすぎても、衰えを知らない。
頭もしっかりしていて、耳も口もクリアであった。老化を受け入れながらも、自活していた。
そんな祖母から受けた最後の言葉。
当時は私と子どもたちは実家に暮らし、夫とは2年以上離れて暮らしていた。コロナ下で先が見えず、お互いに対して不平不満を抱いていた。
そんなときに言われたと記憶している。
祖母からの言葉と以前からの職場への違和感を加味して、今はフリーランスとして活動している。
元気であっても、いつ明日が来なくなるか分からないのだ。そんな当たり前を祖母は示してくれた。
だったら、進んでみたい方向に突き進もう。
やりたいことを実行できている今に、感謝だ。
なかなか祖母のお墓参りには行けないから、日常に想いを馳せる。
朝のウォーキング中に受ける風に。
雨に濡れたアジサイに。
空に浮かぶ一筋の雲に。
祖母を思い出す。
そして、語りかける。
そんな想いを、風に花に雲に託す。
すると、よく分からないけど涙が頬を伝う。
脈絡もなく、涙がこぼれるのだ。
なぜ涙が出るのか分からない。
でも、私はまた前を向いて、一歩を踏み出すのであった。
noteを継続して発信するため、サポートいただけると嬉しいです!いただいたサポートは、自分の気づきや発見をするための活動に使わせていただきます!