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鴻鵠先生の「漢学教室」2 陽明学入門

陽明学は聖人になるための学問です。略して聖学と言います。聖人に至るの道に志さねばならない、とするのです。聖人になることを志さねば、人は私利・私欲にはしり、世の中が乱れるとするのが王陽明の言いたいことです。

かって儒学の世界では、理想の世の中、争いのない恒久平和の世の中があったとされます。伝説の聖王、ぎょうしゅんの神聖政治の時代のことです。

その時代の治世のポイントが「人心あやうくどう心かすかなり」というものです。人の心は放っておくと何をするかわからない危険なものだというのです。人の心には善もあり、悪もあります。どちらに転ぶかわからない危険なものだから学問をし、修養をし、たえず心というものを良い方向に持って行かないといけないとするのです。

いわゆるメンタルトレーニングが必要であるということです。どんなに悪いことが起きても、いつまでも怒っていたり悲しんでいたりしないで、前向きに明るく生きて行こうとする心のケアと言ってもいいかもしれません。

しかし、それは西洋流の心理学とは違います。人の数だけ答えがあるようなものではなく、人間の心の中にある絶対的なる善の存在、周囲の環境に影響されない、神性・霊性・聖性に目覚めることを目標にしているのです。

この絶対善の存在を陽明学では良知と言います。ですから陽明学は、別名「良知心学」とも言います。良知心学では、この良知の絶対善、神性・霊性・聖性に覚醒した人のことを聖人と言います。ですから、人は誰でも聖人になれる、と陽明学では説くのです。

これは大乗仏教に似ているところがあります。カースト制度で、バラモン階級しか仏道修行をしない時代に、本当の意味で万人救済の衆生済度はありえなかったでしょう。

ところがおそらく西暦2、3世紀頃から大乗仏教が興り、法華経や般若心経などのいわゆる大乗仏典というものが成立し、人は誰でもほとけになれるのだ、とする大乗仏教が興るのです。人は誰でもほとけになれる可能性である「仏性ぶっしょう」を持っている。この仏性に目覚めることを、禅の世界では見性けんしょうといい、修行の最終目標となります。これを一般に見性成仏けんしょうじょうぶつと言います。

陽明学はこのような禅と似ているところがあり、人によってはこれは儒学ではないと批判する人も多かったのです。

しかし、王陽明の生きた時代、世の中は乱れており、民衆は苦しんでいました。役人は重税を搾り取って私腹を肥やし、賄賂を贈って高官の地位を買収したりしました。なんでも金しだいという拝金主義がはびこり、農民は重税に苦しんで反乱を起こして物を奪い取り、田畑を捨てて山賊となって良民りょうみんを苦しめたのです。

陽明学は民衆の学問でした。民衆が求めていたので、都市部よりもむしろ田舎の方に陽明学の学問所である書院が増えていったのです。
山中の賊を破るは安く心中の賊を破るは難し、と言った王陽明は心の乱れが世の乱れであることを見抜いていました。

だからこそ500年たってもいまだに人の心の乱れを救う陽明学は残っているのです。500年前の古いものだからいらないというのではなく、500年たっても人の心は変わらない、と考えるべきでしょう。

もっと言うならば、2500年前のお釈迦様の時代から、争いと戦争の時代は変わっていないと言えるでしょう。犯罪も動乱も戦争もなくならないのは、古代ギリシャ・ローマの時代から同じことの繰り返しで進歩はありません。科学技術は進歩しても、人の心は全く進歩していません。現代人は科学技術を進歩させるだけではなく、人の心を進歩させる人文学を大切にするべきだと言えるでしょう。

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