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「書経入門」鴻鵠先生の漢学教室4

 平成31年3月25日付けで角川ソフィア文庫のビギナーズ・クラシックスから「書経」(山口謠司解説)が出版されました。

 帯には「模範とすべきリーダーの行いを記すビジネスマン必読の書」とありますが、角川ソフィア文庫の「ビギナーズ・クラシックス」は、元々、若い中高生向けに企画されたシリーズということもあり、高校生にこそ読んでもらいたい一冊と言えるでしょう。

 孔子の生きている時代、学問と言えば「詩」と「書」しかありませんでした。それが後の時代に、儒教の経典として「詩経」「書経」とされたのです。
 「書経」とは、堯・舜・禹といった伝説の聖王をはじめ、商の湯王、周の文王や武王といった帝王たちの聖典です。野村茂夫さんの解説によれば、

「書」の語源は単に「記録されたもの」あるいは「記録すること」にとどまらない。この文字には呪術的要素が強いとも言われる。(白川静・漢字および説文新義三)
(中略)
建国の聖賢たちの言葉であることもさることながら、その記録を神前で読み上げることによって、記録そのものに、内容を超えて、呪術的な力が附与され、神聖な「書」がそこに成立したからであろう。

「書経」(野村茂夫 中国古典新書 明徳出版社)P.7より抜粋

としています。

 書経は昔から難解なものとして定評がありますが、それは、

神に祈り、神秘的な力を得た「書」として、王室に蔵されて代々伝えられていたからであろう。

「書経」(野村茂夫 中国古典新書 明徳出版社)P.8

と解説されていることからもわかるように、一般の民衆には公開されていなかった秘儀の書とされていたことに原因があると思われます。つまり、「門外不出の『書』」であったことが解釈を難しくしていると考えられるからです。

 故・中江丑吉氏は、「書経」の中心的な思想傾向の一つとして「明徳慎罰」(徳を輝かせよ、民を罰するには慎重に)をあげています。(『中国古代政治思想』岩波書店)

 日本でも、新しい天皇が即位すると恩赦・特赦が行われて刑罰を減免されることがあります。また「日本書紀」などでも、第十六代仁徳天皇の事跡として、「天皇が高殿に登って周囲を眺めてみると、どの人家からも煙が上がってない。つまり、水煙が上がってないのは、お米が食べられないほど民が貧しさに苦しんでいるとわかって、税をとることをやめた」と記されています。これも「明徳慎罰」あらわれと言えるでしょう。

 しかし、日本には「天命思想」「革命思想」の二つは伝わっていません。
 中国では、「帝王が王朝を開くためには、天帝から天命がおりる必要がある」と言われていました。「徳高き帝王には天命が降りる」というのが、王朝の正統性の条件とされていたからです。

 そのことから、日照りの害や干ばつなどで作物がとれない時には、帝王の不徳の致すところとして責任が問われました。ましてや、地震や洪水が起きたり、民衆の反乱が起きたりすることにでもなれば、天命が去ったと看做され王朝の交替が取り沙汰されたのです。このように天変地変は天罰であり、王の責任であるとされました。

 炮烙ほうらくの刑といった残虐な刑を科した殷のちゅう王(受王)も、その蛮行ゆえに「命があらたまって周の文王や武王に天命が降った」とされました。これが革命の論理であり、中国独自の考え方と言えるでしょう。日本には、このような革命思想は伝わりませんでした。

 「書経 大禹謨だいうば」に「人心れ危うく、道心かすかなり」という有名な言葉があります。宋学や陽明学においても重要視され、日本にも大きな影響を与えています。
 「書経」を学ぶことで、その影響が、いかに広範囲にわたるものであったか知ることができるでしょう。

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