長野県の自然に囲まれると心豊かな人間になると思ってないだろうか?
雪が積もった田んぼ道からの緊急レポートである。
長野県への移住を考えているあなたへ、真実をお伝えしなけらばならない。
しかし、移住の真実という前に。
私は、罪の告白をしなければならない。
東京で暮した30年間において、私は、都合のいいときだけ長野県出身を強調していた。
なぜか?
長野県出身といえば「心がきれいな人」と、勝手に相手が好印象を持ったりするからである。
ちょっと長野県を知っている相手には「真面目な人」と勝手に勘違いされたりもするからである。
もっといえば。
東中野の『スナック・アゲイン』では「長野県出身だからだいじょうぶ!」と愛人強要もした。
さらに、タクシー移動したあとの歌舞伎町のラブホテル『エンペラータワー』では「これが長野県なんだよ!」と、全裸の仁王立ちで言い切っていた。
どこが罪なのか?
自覚がないから罪なのだ。
私は、すごく心がきれいで、すごく真面目な人で、移住ジャーナリスト(自称)には適任だと自負しているが、他人から見ればそうでもないらしい。
それに論理的にも破綻もしているではないか。
長野県に、愛人も大丈夫もない。
長野県と全裸も仁王立ちも、なんら関係もない。
現在の私は、それらの罪も、それらの至らなさも全て認めて、悔い改めてもいる。
真実のみをレポートしているジャーナリストと証明するために正直に明かした次第である。
その上で、私は問いたい。
あなたは、子供を自然の中でのびのびと育てたいと思ってないだろうか?
東京から長野県に移住すれば、自然に囲まれて心が豊かな人間に育つと思ってないだろうか?
やめなさい、といいたい。
それは、いっときの気の迷い。
気持ちはわかる。
わかります。
地震やコロナなどの災害が発生するたびに、そういう人が増える。
なにか考えることがあったのだろう。
東京で生まれて、東京で育っているのに、便利な生活に慣れているのに、わざわざ自然の中に飛び込んで農民になったり猟師になったりする。
長野県の自然の中で育った私からすると、狂気の沙汰とまではいわないが、いっときの気の迷いとはいいたい。
決して批判ではない。
誤解しないでもらいたい。
私は、偏屈で偏狭で、なにかと理屈をこねて、頭がガチガチで冗談が通じない長野県人にしては珍しく、個人の自由な気持ちを尊重するほうである。
どうしても、行く末を心配している私がいる。
老婆心からの心配というのか。
自然というのは、人に優しいものではない。
厳しくて非情なもの。
真実のレポートのジャーナリストを賭けてもいい。
もう結論からいおう。
子供は、自然から、生きることの残酷さを学ぶのである。
とりもなおさず、社会のおかしさに気がつくのである。
あるいは、長野県の偏屈で偏狭に囲まれて、理不尽を受忍する態度という現代人にとっては1番にいらないスキルを身につけてしまう可能性が高い。
土着の長野県人である私がいうのだ。
東京で30年間の生活を経た結論である。
そうではないのか?
自然に対して期待しすぎではないか?
歌は、自然を美しく讃える。
あの田んぼの小川にはメダカが泳いでいる。
あの川では小鮒を釣った、などと。
現実はそんなことはない。
田んぼの小川では、農薬がキツくてメダカは住めない。
私は、メダカをはじめて見たのは、新宿のサブナードの熱帯魚店で30歳になってから。
諏訪湖は、アオコがびっしり浮いていて臭かった。
天竜川の魚は、釣っても食べてはいけなかった。
川も湖も、汚れているというイメージしかなかった。
私は、小鮒を釣ったのは、南麻布の老舗釣り堀『衆楽園』で40歳になってからとなる。
あの辺りは湧き水が豊富で、諏訪湖よりもよっぽどきれい。
長野県よりも心がなごむ。
あれと同じだ。
アフリカのサバンナに住んでいる人が、東京の上野動物園にきて、はじめてゾウとキリンを見たというのと。
つまりは。
長野県に移住しなくても、自然からは学べる。
第一、長野県では、我がもの顔で車がビュービュー走っていて、外で遊ぶのは危なくてしょうがない。
のびのび遊ぶどころではない。
こういう長野県で生まれて育つから、東京にいってから全裸の仁王立ちで長野県をアピールする大人になるといいたいが、よくよく考えてみたら私ではないか!
慎みのないレポートをお許し願いたい。
それに、あなたは、長野県への移住を考えておきながら「そうなんだ」と今さらいうような、すっとこどっこいではないはず。
また無駄なレポートを作成してしまった。
以後、気をつけたい。
いずれにしても、このレポートによって、私の身辺には一段と危険が迫ることになる。
過去の全裸を告発されるときは、刻々と迫ってきている。
妙なところの真面目さだけは、長野県人にはあるのだ。
それでも私は、移住者の将来のために、長野県の実態をレポートしなければならない。
ぜひ、その意気を買い、調査費として15,000円ほどのサポートをお願いする次第である。
なんなら、キリのいいところで20,000円でもかまわない。
誤解がないように申し添えるが、これは調査費であって、決して農協の裏にあるスナックにいってみようかなと思い立ってのことではない。
とにかくだ。
長野県に移住するのは、私の独自調査が終了してからでも遅くはない。
レポートの続きを待たれよ。
大俵一平
レポート作成に使わせていただきます。 ありがとうござます。