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20230901

 今日は、関東大震災から100年という区切りで、京都は磔磔にて、ソウルフラワー中川さんを拝見する運びとなっている。

 去年の9月の頭に(確か、9月の2日か3日の様に覚えています)東京は横網町にある東京被覆本廠跡にある横網町公園内にある東京都慰霊堂や関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑を訪ねて以来、関東大震災から100年はどの様に過ごそうかと考えていた所に丁度。

 ソウル‧フラワー‧モノノケサミットが阪神淡路大震災で被災地での演奏のレパートリーに「復興節」があるのも記憶に強く焼き付いていて、関東大震災とはどんなものだったのだろうかと考えていた。
 諸般の諸々を終えて帰宅。帰宅してからぼんやりと過ごしていると、お昼前、午前11:58を迎えて、丁度100年前に揺れ始めた時間に、被災された人やその後に起こってしまう、虐殺された人々に黙祷を捧げた。
 昼食を済ませた後に、少し時間があったので、1923年9月1日の様子はどうだったのだろうかと、自宅にある書籍の中から、当日の片鱗であっても、積み重なっている書籍や何やらの中から探してみる事にした。

 印象に残っているのは内田百閒さんの「長春香」という物語の中で、当時、学校でドイツ語を学ぶ事が出来なかった、弟子との話で、女性の弟子の住んでいた場所が東京被覆本廠の近くで、震災以降連絡が取れなくなって、何度となく現地に足を運んだという物語を思い出して、少し読み返してみた。
 内田百閒さんに関して、関東大震災について、被災した状況について、記された日記の様な記録を読んだ記憶もあるのだけれど、短い時間では見当たらなかった。

 書籍を探していると、ついつい別の書籍を読んでみたり、全く別の本を読んだりして脱線しながらも時間が過ぎた。
 で、X(旧ツイッター)のタイムラインを見ていると、石井正己さんの編んだ「関東大震災 文豪たちの証言」の紹介が流れてきたので、これは是非手に入れたいと、出来れば今日のライブの行き掛けにでも手に入れる事が出来ればと。

 そうしている間に時間が経って、出掛ける時間を迎えた。

阪急電車、手摺のパイプの佇まい。

 自宅を出発したのが16:30頃。磔磔の開場時間は18:00で開演が19:00の金曜日、平日の時間で、いつもより少し時間に余裕がある様な気もしながら。
 近くの駅から各停に乗って、優等列車の停車する駅で乗換え。阪急電車も、夕方からの通勤通学時間帯が始まろうとしている時刻の設定らしく、次にやって来るのは夕方一本目の「準特急」だった。

 もうそんな時間かと思いながら、駅のホームで西陽を受ながら、待つ事数分。暫くしてやって来た電車に乗った。
 「準特急」。桂駅までの停車駅は変わらないけれど、特急列車なら烏丸駅までは止まらない設定が、西院駅から終点の京都河原町駅まで各駅に停車する設定となっていて、阪急電車の特急が途中に高槻市駅くらいしか停車しなかった頃の急行の停車駅を思い出しながら揺られた。
 夕暮れ時の準特急。休日や昼間の時間帯だと、桂駅で接続するのが、長岡天神駅で待っていた先行の準急だか、各停だかと接続をするのも通勤通学の時間になった事を告げている気がする。

 そうして、桂駅を出て、桂川を渡って、列車は地下に潜って西院駅に停車すると学生さんが多い気がした。西院駅だけかと思ったら、次の大宮駅でも学生さんが多い様に見えて、流石、京都は学生の街だと思った。

烏丸駅、西改札口。

 終点の京都河原町駅のひとつ手前、烏丸駅に到着して、時間に余裕があれば、いつも駅の地下から地上に登る時に利用させて貰っているエスカレーターの奥にある本屋さん「くまざわ書店 四条烏丸店」に寄って、先ほど気になった「関東大震災 文豪たちの証言」を探した。
 文庫本の棚に向かって、探すまもなく中公文庫の棚を見てみると、目に飛び込んで来て、迷う暇無く、手に取ってレジへと。

 少し時間に余裕を持って、自宅を出発して良かったと思いながら、エスカレーターで地上に出て、河原町通りを東へ歩いた。

2023年9月1日、夕刻、京都の空。

 それから名前も知らない通りを左に折れて、磔磔へと向かう。仏光寺通りに当たれば、また左に折れると磔磔が近付いてくる感じで、少し緊張感を持つ。
 余裕を持ったつもりでも、到着してから開場の時間まで10分も無かった事に驚いた。得てしてそんなものだと思いながら。磔磔の前で開場の時間を待った。

京都磔磔。

 18:00を迎えて磔磔は開場。だいたい中央より上手側の席に着席して、取り急ぎの瓶ビールを注文する。
 ライブの開演前に読書をする人の姿を着席の公演の時になど、目にする事があって、自分も今日、初めてライブの前の読書が体験出来ると思い、先ほど手に入れた「関東大震災 文豪たちの証言」を開けた。さてとと構えて頁を開けると、開場の暗さと文字の小ささで、何が書かれているのか全く判らず。ただそこに文章が連ねられている事しか判らず、早々に読書は断念するより他に出来る事は見当たらなかった。

ビール。

 ビールとピザを嗜む事の幸せを噛み締めながら、改めて、関東大震災から100年という事を思い出して、被災後の関東一円にどんな光景が繰り広げられていたのだろうか、そんな事に思いを馳せて、開演までの時間を過ごした。

 19:00が過ぎて、客席が暗くなって、スピーカーから「川のない橋」が流れて、中川さんがステージに。チューニングを終えて、一曲目は何だろうと思っていると、まさかの「移動遊園地の夜」で驚いた。と同時に台湾は高雄にある瑞豐観光夜市の夜を思い出して、また伺いたくなるのが条件反射の様になってしまっている。音楽とはそんなものでもあると思う。それから「荒れ狂う波ごしの唄」へと続いて、気持ちは世界へと向かった。
 そうして空席以外はほぼ満員のライブが始まった。中川さんの気迫もいつもに増して鋭い様にも思えた。
 どうやら雰囲気が違うと思ったら、関東大震災から100年という事でのセットになっているらしい。
 それで、今日、関東大震災から100年という事を強く意識しておいて良かったと思う。
 MCで曲の説明があって「にじむ残響の中で」「残響の横丁」が続くと、(あまり伺った事が無いながらも)鶴橋から広がる色々な光景が頭の中で繰り広げられて、「倒れた者たちの祈り」と続いて、「ストレンジャー‧イン‧ワンダーランド」と続くと、考えさせられる事が多い。もし自分が海外で暮らす様な事があれば、どんな風に生活が繰り広げられるのだろうかと、違う視点でも考えたり、あと、この曲を聴く度に内田百閒さんの書いた「件」という話を思い出す。
 そして一部の最後に「チェンジズ」久々に聴く事が出来て、ただただ嬉しかった。

 幕間に外に出てみると、辺りは暗くなっていて、平日の公演でいつもより開演時間が遅かった事と、季節の進み具合を感じながら。煙草を嗜んで、席に戻ってハイボールを注文した。

ハイボール。

 二部。新しいアルバム「夜汽車を貫通するメロディヤ」から「生きる」で幕が開いた。数十年経った阪神淡路大震災の被災地、神戸を回った時に作成された曲との事。アルバム「夜汽車を貫通するメロディヤ」を拝聴した時、ラストの「生きる」にひどく感銘を受けた事を思い出した。から「満月の夕」は少しテンポが早く、MC関東大震災から100年の今日、阪神淡路大震災も都市型の震災で、いつもに増して阪神淡路大震災が発生した後のMCが心に響いた。続いて「アリラン」「トラジ」はいつもよりテンポが遅く聴こえた。
 中川さんのMCで阪神淡路大震災の話をされる時、貴重な記録だと思って胸に刻む。そんな風に思いながら今日も拝聴。
 それから話は100年前の関東大震災、壮士演歌師、添田さつきさんの話と続いて「復興節」。モノノケサミットのアレンジも良いけれど、中川さんがソロで歌う時のギターストロークがまた別格と思いながら拝聴。
 内田百閒さんも耳にしただろうか?と、100年前の自分の中の知識が並列に並んでいて、それを繋げてみたりする。
 出掛ける前に100年前の関東大震災に気持ちを同期させておいて良かったと、何度となく思う今日の中川さんのライブ。100年前の事は実体験出来ないけれど、作家さん達が残した文献で知る事が出来て、その知識に少し肉付けを出来た様な気がしないでも無い。そんなライブ。
 から発売禁止となったらしい「籠の鳥」へと。色々な唄の背景が色々あるなと。
 そして「聞け万国の労働者」。CDの音源から歌詞が更に洗練されて、中川さんのソロライブが音源化されないものかと思う。色々な場所での音や雰囲気がパッケージにならないものかと思った。
 第二部の終わりに、まさかの山之口貘さんが書いた詩に高田渡さんが曲を乗せたという「生活の柄」が演奏される。中川さんのMCで、山之口さんも被災をされて、という事を知って、二部のセットリストでまさかの「生活の柄」が、ジグソーパズルの最後のピースが嵌った様に。素晴らしい並びだと思って、その次に曲が感情に訴えて来て二部の幕が閉じた。

 休憩中にウイスキーの水割りをおかわりして、三部に備える。煙草を外に嗜みに出ると、辺りはすっかり暗くなって闇。

 からの三部。告知を聴くのも、先の約束がある様な気がして生きる糧。 「ウインズ‧フェアーグラウンド」のLPがリリースされるのは嬉しい。
 ザ‧バンドのロビー‧ロバートソンさんの追悼カヴァー「あの夜、南軍は陥落した」。恥ずかしながらオリジナルを全く知らず。中古レコード屋さんを回る機会があれば、ザ‧バンドのコーナーを探ってみたいと。同時に、この曲が歌われている頃のアメリカはどんな風だったのだろうと、頭の中にアメリカンな蒸気機関車を走らせながら考えてみる。
 そしてアルバム「夜汽車を貫通するメロディヤ」から「栄光は少年を知らない」から2023年版の生活の柄と紹介された「石畳の下には砂浜がある」。完全に納得。泣きそうになって、サビの部分になると、色々な場面を思い出してため息が溢れる。立て続けに「いのちの落書きで壁を包囲しよう」で、少し切なくなった気もして、またサビの部分で、歌いながら溜息が溢れる。要は曲にウットリとしている感じなのかと。何度も「遮るものの無い空」を心の中に描いた。それで本編が幕を閉じて、アンコールを求めた。

 アンコールに応じてもらって、方々のライブハウス(一度は伺ってみたい)の名前が出て来たMCから、音どめの21:00を気にされながら「地下鉄道の少年」が演奏されて「ピープル‧ゲット‧レディ」へと傾れ込んで大団円。かと思っていたらボーナストラック「寝顔を見せて」が演奏された。いつだっか磔磔でのソウル‧フラワー‧モノノケサミットの公演前に飲んだ瓶ビールを思い出したり、来月半ばのリクオさんの公演を期待しながら。

 いつも拝見する度に、いつもと雰囲気が違うなと思うのだけれど、今日は特に力強さの様なものを感じる夜でした。

 感情に訴えかける(グッと来ました)金曜日の夜をありがとうございました。

京都磔磔を玄関から。

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