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20240615

 諸般の諸々を経て帰宅。帰宅して体力の温存をする事が増えたのは、年齢のせいもあるのだろうけれど、日に日に暑くなって、それで奪われる体力を少しでも減らそうかと。そう考えると、自分も年齢を重ねてしまったなと、遠い目をしたくなる事が往々にしてある。
 そんな訳で、今日も体調を万全に整えて、自宅を出発。

 と、書いていて、これでは文字数が寂しくなってしまうなと。特に文字数に拘りは無いのだけれど、あまりに少ないのも考えものだと。
 気の効いた言葉を短い文章で綴る事が出来れば良いのだけれど、そんな技術はどこかに落として来てしまった様子で、近況の報告がてら、先日の出来事などを記せたらと。

 過日、季節が春から夏へと向かう段で、どうも体調が暑さに付いて行けず、ダラダラと過ごすより他無い様な状況下で、暑さで文章の入力もままならず。どこか避暑にでもと思って、文章の入力がてら、電車に揺られて西に向かう事にしてみた。
 お昼時に家を出発して、近くの駅まで自転車を漕いで。
 駅の近くの駐輪場に自転車を預けて、駅までは徒歩。券売機の前で、西へ向かうは良いけれど、どこまで向かうかまでは、まだ決めておらず。
 時間がもう少し早ければ、岩国辺りまで向かっていたかも知れないけれど、今から岩国まで行くと、到着するのは夜になってしまいそう。
 だったので、福山までの乗車券を購入して、駅のホームに上がって電車を待った。
 自宅の近所の駅が、各駅停車しか停まらないので、新快速電車が停車する新大阪駅まで向かって、そこから姫路駅まで新快速電車で一気に移動する事にした。

 各駅停車でも新快速電車でも、電車の中では、なかなな追い付かない書き物などを、手帳に纏めたり、パソコンを取り出して、拙い、日記の様なものの続きをツラツラと書き連ねたりする。
 時折、窓の外に目をやって、須磨駅を通過すると時に、進行左側に広がる海が目の前に広がると、もうそこは山陽路という気分になったり、明石駅を過ぎて、加古川駅の手前の高架線路の辺りを通過する時に、遠くの高砂辺りの工業地帯に並ぶ煙突を遠い目で見たり、そうしている間に、新快速電車は姫路駅。

 書き物をしていると、過ぎる時間はあっという間。青春18きっぷ等を使って、旅の途中の時間を潰すのに苦労している人は、書き物をすると、時間の過ぎる速さを感じてもらえると思った。

 姫路駅で昼食をと考えて、ホームにあるスタンドの駅そばでも良いかと思ったのだけれど、次に西に向かう列車がやって来るまで、少し時間があったので、改札から、一旦外に出て、姫路駅前の比較的新しい食道街にある「タコピィ」で昼食を摂る事にした。
 「タコピィ」で頂いた「明石焼き風たこ焼き」と言うらしく、ソースを付けた上で出汁に浸して頂くたこ焼きで、それを知った頃はソースを付けた上で出汁に浸すとは何事だと、出汁とソースの欲張りさ加減に、少し抵抗があって、ソースには付けず出汁にだけ浸して頂いていたのだけれど、何度か伺ううちに、一度ソースを付けて出汁に浸してみようと思い、実行してみると、これが案外スムーズにソースと出汁がお互いを尊重する様な味の加減だったので、受け容れる事が出来た。
 たこ焼きの生地とソース、出汁の関係について、機会があれば考えてみようと思った。

お椀の中の明石焼風たこ焼き。

 食べ終えて、駅に戻ると播州赤穂行きの各駅停車が停まっていて、乗り込むと座席は埋まっていて、普通の座席に座る余地は在らず。だったので、扉の横の補助席を出して座って、また書き物など。
 姫路から先、幾つかの駅に停車して、書き物をしている間に、先の山陽本線を往く電車に乗換える為に相生駅で乗っていた列車を降りて、対面に停車していた115系の電車に乗り込むと、すぐに発車して、西に向かう。追加料金を支払って、新幹線に乗ろうかと考える暇を与えない様にも思える。
 岡山で乗り換えならば、また途中下車をして岡山の街をウロウロしてと思っていたのだけれど、乗った電車は幸か不幸か、三原行きだった。なので岡山駅で乗換える必要も無く、そのまま乗っていれば、目的地なのか、今ひとつ定められていない様な福山駅。
 相生駅から先は普通の座席に座る事が出来て、やはり書き物など。山陽本線を下る。有年駅、上郡駅で智頭急行と別れて、三石駅、吉永駅、和気駅と停車して、それぞれの駅前に、長年積み重ねて来た歴史の様な風景が広がって、各駅停車に乗って揺られて、中からその光景を見ているだけでも楽しい。

山陽路。

 そして吉井川に沿う様に、熊山駅、万富駅、瀬戸駅と停車すれば、もうすぐ新幹線の高架線と並行して走る様になって、上道駅、東岡山駅にて、相生駅で別れた赤穂線と再び合流する。

 内田百閒さんの書籍を読んでいると、高校生の頃に、この辺りまで自転車を漕いで、山陽本線を走る蒸気機関車を見に来ていたらしい。百閒さんが亡くなったのが1971年の4月で、山陽新幹線の新大阪から岡山までの開通が1972年の3月だったので、百間さんは標準軌新幹線の岡山までの開通を待たずに亡くなっている事となる。
 今では、当然の様に山陽本線と並行して走る新幹線の高架橋を見ると、百閒さんは何と言うだろうかと少し考えてみるも、答えは出て来ず。

 そうして、百間川を渡って、旭川を渡ると岡山駅。乗った各駅停車は三原行きだったので、乗換える必要有らずで、時間の調整か何かで停車時間は少し長め。その間も書き物など只管。

 気が付いたら、電車は岡山駅を発車していて、山陽本線を下る。何度と無く通っていて景色も見慣れた感がある中でも書き物を続けた。

 電車は岡山県から広島県へと入って、大門駅から海側に望むのは、映画「家族」でも馴染みの深い、元日本鋼管のプラント(現JFE)に映画の中の光景を思い浮かべた。
 大門駅を発車して、プラントに引き込む線を横目にしていると、線路が広がって東福山駅。岡山駅と同様、新幹線の高架線路が並走して、飲み込まれる様に2層になった下の層を在来線は走って福山駅。

 書き物に没頭していると、時間が経つのもあっという間。というよりも、長い時間、電車には揺られているけれど、余り遠くにやって来た様な気分にはなれず。という感覚で駅の外に出て、在来線と新幹線が2層になった高架線路の下り方を見てみると、真っ直ぐな道路の上に青い空が広がって、すこし切ない様な気分になった。

道路はまっすぐ。

 電車に揺られている間、禁煙の時間が続いて、煙草を嗜もうと喫煙が出来そうな場所を探してみると、福山の駅前にも喫煙コーナーがいつの間にか設置されていて、これは有難いと思いながら嗜んだ。
 ここまで来たけれど、宛は有らず。尾道まで足を伸ばしてみても良かったけれど、滞在時間の短さや帰りの事を考えると面倒になってしまって、諦める。
 で、駅前にあったデパート、天満屋に入って地下のパン屋さんに併設された喫茶店で、コーヒーなど嗜みながら、アナログの手帳に日記の様なものを書いて時間を過ごした。
 ぼんやりとした、6月の頭。駅前のデパート。そんな言葉で頭に浮かんだのが「ビヤ‧ガーデン」で、調べてみると、このシーズンのビヤガーデンが始まったらしく、ならばと行ってみる事にした。
 実は、という程の話では無いけれど、前々から、よく知らない街のよく知らないビヤ‧ガーデンに行ってみたかった。
 ビヤ‧ガーデンが開催されている場所というと、デパートの屋上が多く、そこからどんな光景が広がっているのだろうかと、ずっと見てみたかった。
 そんな訳で、陽が沈む少し前の時間に、デパートの地下の食料品店街からエレベーターに乗って屋上まで。上がって、扉の向こうに会計をする小さな小屋があって、そこで会計を済ませた。

ビヤガーデン。

 先客に仕事を終えた10名弱のサラリーマンの様な出立の男性の集団が居て、そこから少し離れて自分の席を取った。
 福山の街の光景を眺めながらと、思っていたのだけれど、座った席の辺りの場所は、壁に囲われていて、周りは良く見えず。
 仕方が無いかと思いながら、空を仰いでビールを仰ぐ事にする。

 多分に漏れず、ここも飲み放題、食べ放題だったので、先ずは食べ物を調達せねばと、お皿を取って食べ放題のメニューが並ぶフードコーナーへと向かって、適当に見繕って席に戻る。
 次に飲み物を。ビヤ‧ガーデンなので、一杯目はビールの他に選択肢は無し。
 生ビールのサーバーから自分で注ぐスタイル。調子に乗って2杯3杯と飲んで、ここでも煙草を嗜みたくなったので、喫煙コーナーに向かってみると、そこから福山から東側の街の光景を眺める事が出来て、空に煙を吐き出しながら、暮れ滞む街の光景を眺めて、窓の明かりのひとつ、ひとつにそこでの暮らしがあるのだろうと、ぼんやりと考えながら数分を過ごした。

喫煙コーナーからの眺め。

 席に戻って、ビールを飲むにはお腹がいっぱいになってしまったので、ウイスキーのハイボールを飲む事にして、ドリンクコーナーへと向かう。
 ハイボールを注ぐのにもサーバーがあって、グラスに氷を入れて注いで、席に戻って夕暮れ時の至極の夕暮れ時を堪能。
 持って帰ったグラスは直ぐに氷のみとなってしまって、ハイボール2杯目。
 サーバーをよく観察してみると、ウイスキーの濃度が調整できる様になっていて、サーバーのレバーを奥に倒すと、注がれたハイボールにウイスキーが追加されるとの事。
 物は試しという事で、グラスに氷を入れて、サーバーでハイボールを注いで、レバーを奥に倒してみた。
 すると、薄い黄色のハイボールに濃い茶色のウイスキーが注がれて、ハイボールの中に融ける様に馴染んでいく光景が何とも言えず、ついついレバーを奥に押し込んだまま、その光景を眺めてしまっていた。そこにアルコールの濃度が濃くなるという考えは全く欠落してしまっていて、歳をとったもんだと思った。
 そんな調子でテーブルとサーバーの間を2、3往復している間にすっかりいい気分になってしまって、気がつけばそれを通り越していた。
 調子に乗って、レバーを奥に倒しすぎたという事に気が付いた時には既に遅かった。という事も記憶に無い位に泥酔状態となってしまって、よく知らない街でビヤ‧ガーデンに行くという企画(なのか)も一度きりで終わってしまいそうな具合の様な月曜日を過ごして、その週末。

 気を取り直して。

 半年振りの関西での公演、ソウル・フラワー・ユニオン「ソウル・サバイバーの逆襲2024」を拝見に京都は磔磔まで伺う段取りになっている土曜日。最近では、電車が定刻で走っていれば、だいたいどれ位の時間で磔磔に到着するのが判って、あまり焦る事も無くなってしまった様に思えて、少しは学習能力があるものだと思いながら。自宅をそれなりにの時間に出発して、駅まで。そこから各駅停車で数駅、次の特急電車に乗換える駅で、やって来たのは阪急京都線の9300系だった。
 全面に20周年の看板を掲げていて、9300系が登場して、もうそんな時間が経つのかと、少し吃驚。この時間の経つ感覚よと思う。

20周年。

 京都に向かう電車の中で、ぼんやりと月曜日の事など思い出しながら。
 電車は桂駅で先に到着していた準急電車を追い越して、桂川を渡って、地下に潜って、烏丸駅。昼食を済ませて無かったので、軽く昼食を済ませてから、磔磔へと向かった。半年振りの京都公演で、どんなライブを拝見出来るのだろうかと、何故だか拝見するこちらも、いつもの様に緊張もしながら。

磔磔の看板。

 開場10分前に磔磔の前に到着すると、既に凄い人の数で、人の多さに圧倒される。
 物販のTシャツは公演後に買う事にして、佇んでいると、開場のアナウンスがあって自分の番号が呼ばれて、ドリンク代を支払って入場。
 ビールを一本飲んで、今日は色々あって、もう一本飲んだ。開場時間から開演時間まで30分という時間に、どんどん人が入って、磔磔が人で埋め尽くされた感が凄かった。

 開演前のぼんやりした時間に、ニューエスト‧モデルを聴き始めたのはいつの頃だっただろうか、と思い出してみると、ソウル‧フラワー‧ユニオンを聴き始めたのが阪神大震災以降で、その後にリリースされたベスト盤「BEAST HITS」が初めて手にしたニューエスト‧モデルの音源だった。当時はまだサブスクリプションやCDからリッピングしてポータブル音楽プレイヤーにデータを放り込んで、等々のネットワーク環境で音楽を聞くという事が無く、ポータブルのCDプレイヤーに放り込んだままになった「BEAST HITS」を当時の諸般の諸々に向かう時に、繰り返し繰り返し聞いていたのが、まるで昨日の出来事の様に思い出された。また「BEAST HITS」を思い出すと、弁天町にまだバスターミナルがあった時代の大阪市バスもセットで頭の中に蘇った。そんな「ソウル‧サバイバーの逆襲2024」の開演時間までの待ち時間。

 18:00を迎えて、少し経って会場が暗くなって、大きなスピーカーから出囃子の「DIsco Armed Peace」が流れて来て、驚いた。これは踊るより他は無さそうだと思っていたら、一曲目は「踊れ!踊らされる前に」で、アルバム「ソウル‧サバイバー」からの曲が演奏されるだろうと思っていたので面食らって、逆に気持ちが一気に上がる。から「IN THE HOLIDAY MOOD」で、あぁソウル‧サバイバーと思って、何か腑に落ちる様な気持ちになって、と、なると今日のセットリストはどんな感じになるのだろうか、と、楽曲の色褪せなさ、どころか、今の魅力の増し加減も凄いと思いながら歌って踊る。
 から「シンヤの祝福」が終わって、何か切な気なメロディーが奏でられたと思ったら「オールド‧デキシー‧ダウン」のイントロから冒頭で涙腺決壊。
 そして、6月9日にYOU TUBEで公開されたニューシングル「川から海まで」。パレスチナのガザ地区で起こっている惨劇について唄われていて、思いをガザに馳せて聴いていると、込み上げてくるものがある。誰か、何とかしてくれないかと思うも、自分も微々たるものだけれど、声を上げねばと。曲の最後の部分に「パレスチナ」の一節が思いを加速させる。
 からリクル‧マイさんが歌う「レボリューション‧ロック」前々から一緒に歌いたいと思うも、まだまだサビの部分を少しと言う所で踏み止まってしまっていて、サビの部分のみ一緒に歌って、あとは只管踊る。ソロ回しが夏の趣。ソロ回しが終わってからの曲の展開が踊りを加速させて、これ以上の瞬間は無いだろうと思わせて貰える瞬間の連続が堪らず、また踊り始める。

 からMCでは、ビデオクリップで話題を攫っているあのバンドの事が、まさかの角度からの話で、驚いたのと面白かったのと。

 それから「満月の夕」「戦火のかなた」極上のメロディーラインの曲が続いて奏でられる。しかも2曲とも更に磨きが掛かっている様な気がして、何か美しいものを見た時や聴いた時に溜め息みたいなものが溢れる様だった。
 そして中川さんが22歳の時に作ったという「追いつ追われつ」が全く昔の曲と思えず、逆にこの新鮮さは何だろうと思う、続いて演奏された「デイズ」にしても然り。
 それで一部が終わって、やはり先と同じ様な溜め息をついた。

 周りは人で固められていたので、身動きは取れず、ぼんやりと時間を過ごした。

 二部の出囃子は「アイラー‧チンドン」だった。矢継ぎ早に、一曲目「ソウル‧サバイバーの逆襲」。リリースされた当時はどんな感じのライブだったのだろうかと、想像してみるも、追いつかず。やはり曲が終わりかける時の、畳み掛ける様な、ジャムセッションの様な所に悶絶。
 そしてパーカションの音が流れ始めたなと思ったら「グラウンド‧ゼロ」。昔の曲から最近の曲に、全く違和感が無く続いて、リクル‧マイさんが歌う「レイシスト‧フレンド」で思い出すのは、古くからの友人が見事にレイシストになっていた事で、連絡も何も取らなくなったのだけれど、そんな所から脱出していて欲しいなと、そんな事をぼんやりと思った。
 MCを挟んで「まどろみ」「青春の翳り」で弁天町バスターミナルからのバスの中を思い出して、最後の「お前らはどないやねん」と今も尚、自問自答をする時、頭の中に響くメロディーとフレーズを改めて聴いて、ハッとする。
 から「うたは自由をめざす」で、世界に思いを馳せながら、歌いながら踊って、途中のテンポがゆっくりとなる部分で、後ろにアクセントがあるリズムの心地良さよ、と思った。
 から「キラー‧ディラー」に続いて「ダンスは抵抗」と畳み掛けられると、踊るより他は見当たらない。歌って踊ってばかりであるけれど、実際そうなのだから仕方が無い。出来れば、人生、このまま歌って踊り続けたいと思うのだけれど。
 そして「秋田音頭」はリクルマイさん。秋田に行きたくなって仕方が無くなる。秋田の夏も暑いのだろうなと、数十年前の夏の真夜中の秋田駅が記憶に蘇ってきた。
 それから「風の市」で本編が終了。曲の最後の部分を10分位聴いて踊っていたいなと「風の市」をライブで拝聴する度に、メロディーラインを声で歌いながら思った。

 そしてアンコールで待ってましたの「こたつ内紛争」。やはりバスに揺られて「BEAST HITS」をポータブルCDプレイヤーからテクニクスのヘッドフォンに繋いでいた事を思い出して、今でもこの曲が頭の中でよく掛かる事があって、その頃とあまり変わってないのだなと気が付いた。数十年経っても。
 あぁ、堪らないなと思っていると、「海行かば 山行かば 踊るかばね」。ここで歌って踊っておかねばと思うと、歌や踊りが加速。
 古い曲も、比較的新しい曲も、見事に今を生きているという気分にさせてもらって、少し、色々考えたりもして、楽しい夜をありがとうございました。

磔磔オリジナル、バックドロップ。

 また伺います。

 磔磔を出てみると、ライブの熱を覚ます様な凄い雨が降っていたけれど、ライブの熱は冷めやらず。

 傘をお借り出来たのも嬉しかったです。

外は雨。

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